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【福島浪江訪問レポート】 東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れて

 プロジェクトデザイン研究室・災害復興チームは被災地を自分の目でみて体験するプロジェクトの一環として2022年7月8日・9日に東日本大震災の被災地である福島県浪江町を訪ねました。
今回は東日本大震災・原子力災害伝承館へ見学したレポートです。


 2011 年 3 月 11 日の東日本大震災から約 11 年半が過ぎ、東北各地には慰霊のためのメモリアルパークや、震災に関する資料と記録を展示し、防災の大切さを伝える施設が続々と整備されている。その中の一つである福島県が 2020 年 9 月 20 日
にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪れた。
太平洋に面する東部「浜通り」を中心に、福島県では地震と津波に加え、東京電力福島第 1 原子力発電所(大熊町・双葉町)の事故でも甚大な被害を受けた。未曽有の複合災害の記憶を風化させず、そこから得た教訓や復興に向かう姿を国内外に発信している。

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福島第 1 原発から北へ約 4 キロの双葉町中野地区に完成した東日本大震災・原子力災害伝承館
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木材を印象的に使用した明るいロビー。地上 3 階建てで、 総床面積は 5256 平方メートル


最初に足を踏み入れるのは、床面も含めて 7 つのスクリーンを持つ導入シアター。地震と津波、原発事故の恐怖がリアルに再現され、住民避難の様子や復興へ向けた取り組みなども映し出される。
シアターを出て、2 階の展示室へと向かうらせん状のスロープでは、震災と事故の状況を伝える写真を時系列で展示・解説している。来館者に災害を「自分にも起こりうるもの」として捉えてもらうような工夫を感じた。

シアターを囲むスロープの展示。福島第一原発の工事に着手し た 1967 年から始まる


2 階は、「災害の始まり」「原子力発電所事故直後の対応」「県民の想い」「長期化する原子力災害の影響」「復興への挑戦」の 5 つのゾーンで構成されており、原発が立地していたが故に課された複合災害の過酷な状況を、当事者の証言や各種データと組み合わせ、多彩な映像やグラフィックなどを駆使して展示されている。
中でも目を引くのが、地震発生時刻で止まった時計やがれきの中から見つかった品々、避難所で使われた設備など、県が収集した貴重な資料。
全 24 万点の収蔵品から約 150 点を展示している点だ。地元で被災した案内スタッフも常駐し、展示の解説に加えて、当時の心境や自らの経験も教えていただくことができた。

事故の状況が把握しやすい福島第一原発の精巧なジオラマ
色鮮やかなインフォグラフィックと一緒に、防護服や除染廃棄物 を詰める「フレコンバッグ」も展示


浜通りでは、震災から約 11 年半を経た現在も被害は進行形だ。伝承館がある双葉町も大部分が帰宅困難区域のままで、福島第 1 原発の廃炉作業には最長 40 年かかるとされ、風評被害も払拭できていない。

屋上からの風景。約 500 メートル先には、高い防波堤が築かれ ている。その手前では、復興祈念公園の工事も進む


県の担当者は「震災を知らない世代も増えてくるし、海外の方にも複合災害を自分ごと化してもらい、防災意識を高めてほしい」とし、資料の保存・展示に加え、震災遺構などを巡りながら災害について考える「学びの拠点」としても伝承館を
活用していきたいと言う。
同じ敷地内には、「双葉町産業交流センター」も10 月 1 日に開所し、復興整備の関連事業者や地元企業などが利用すると共に、フードコートやレストランなども入り、伝承館来訪者の利用も見込まれ、両施設が町の産業復興や観光交流の中心地となることが期待されるのではないだろうか。


最後に、福島県では、東日本大震災、とりわけ誰も経験したことのない原子力災害の実態や復興への取組など、福島県がこれまで経験してきたことや経験から得た教訓、これから経験していくことを、国や世代を超えて継承・共有することが重要
になっていくのではないだろうか。
これからも出身地として福島と向き合って生きていきたい。


文章:宍戸(B4)

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