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20220713そんなにやりたくないことから手放せない理由

なんだか勿体無い、もう少し先まで行ってみたい。人より休む時間は多いけれど、嫌に思って落ち込むことも多いけれど、その先が見てみたい。

3年でお終い、というのは制度や環境の問題で、
研究したい、何かを明らかにしてみたいという気持ちと続けたい気持ちとは別の時間軸で動いていることをよく覚えてなければいけない。

何かをゆっくり考えることは好きで、調べるのも好きだが、仕事の様にコンスタントにやり遂げることは苦手だ。
仕事になるというのは、そういうことなのだと思う。

縁郎君が研究職に邁進できるというのはそういうことなのだ。

片や、私は、どんなに疲れていても家事はそれなりにこなせる人間だ。
すっかり疲れていて、明日の朝ごはんの主食を用意せねばならないとき、パンをコンビニに買いに行く労力よりご飯を土鍋で炊いたほうが、お金も時間も結局は掛からない、と思ってご飯を炊く準備をいそいそ始められる人間だ。(まさに一昨日の話)

日本人は料理を作りすぎ、というが、それでも、それでも縁郎君の血肉になり、それが将来の健康につながるなら、手間もかけよう。
海藻や発酵食品、胡麻もできるだけ毎日。

でも縁郎君にはこれをするのは難しい。

私は家にある食材をほぼ把握しているが、縁郎君は把握していないし、毎日料理をしていないとこれを覚えるのも難しい。

自分でも思う、圧倒的に家事が向いている人間だと。
でもそれでも学生で研究の真似事をする理由は、やはり、仕事にはできないと思いつつも、なんとなく、今得られている機会に面白さも感じているからだと思う。

苦しい展開のゲームを進めてクリアしたい、気持ちに似ているかもしれない。ベヨネッタのノーマルモードも、最初はそんな感じだった。途中諦めて、二、三ヶ月放置して、また取り組んで、成績が悪いながらもエンディングに到達して、達成感を得て、そして今度は成績を良くするために繰り返すのだ。それも何年も時間をかけて。それが私は楽しい。

ま、仕事にはならないね。

私が向いてる家事に邁進するために、家計を支えるための、時間をかちっと決められる様な、定量的にはっきりした仕事を割り切ってやるほうが、精神衛生上良いんだな、と思った。
創造的な仕事(お金になるかはわからないが)は、個人的にひっそりやれれば、私はそれで満足できそうだ。
家族のアイテムを自己満足で作ってマーケットで売る夢もある。一人で勝手に楽しそうだ。だって、私が好きなのは家族だから。売れるものを作りたいわけじゃないから。
とことん、今まで一人でやってきたある種「創造的な」「社会的な」仕事に向いてない人間だな、と思う。家族がいては、家族で私の心と頭が占められた今では無理だ。

話は変わるが、
寝る前や起きたばかりの時に、今日のトップ画像の様な形で、良く夫婦で抱きしめ合ってゴロゴロする。

結婚した当初、縁郎君は
「そんなことした経験ないから、落ち着かない」

と不機嫌だったが、今では、
「とっても落ち着く」
とリラックスする儀式になっている。

ピッタリ腕と肩と頭がお互い嵌るので、神様は、そういう意図で人間をこんな形にしたのではないか、と思うこともある。

お互いがお互いに触れていると安心する、犬や猫の雑魚寝の様な気分になる。あれもきっとお互いがすっぽり収まるところを探して、お互いの重さや温かさに安心して、幸せな気持ちで寝てるんだろうと思う。

どんなパートナーもそうやって寝る前はお互いの重さと温かさでリラックスできるなら、ケンカも離婚もないだろうか。
少し気まずい思いをしても、すっぽり収まり合えば許せるし、そのままお話ししたほうが、冷静に話せるものだから。

以上

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