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他人に理解されようと思わないし、理解される必要もない20220719

博士審査に挑戦できるか、自分のモチベーションが上がったり、ずっと停滞が続いていたり、研究対象と関わりたくないという生理的な嫌悪が沸々と湧き上がってくるのを抑えたり、自分が心地よいと思える人たち以外に自分のテリトリーが侵されることで精神的に滅入ってしまって家で明るく過ごせなかったり。

夫の縁郎君はガンダムオタクなのだが、
「デリカさんはニュータイプだね、もしくはカミーユ」
と彼からよく言われる。

いや、カミーユだと私、破滅するんだが…

縁郎君はそんな私の状況をよく理解してくれていて、かつ、彼は私が家にいて家のことをしてくれている方が幸福度が高いみたいだ。

苦しい思いをして社会や他人と関わったり、休日も関係なく根深い地域課題に飛び込む様な研究を目指してぼろぼろになって、家で泣いている私より、
家でご飯を作ってくれて、掃除洗濯をしてくれて、季節の保存食やおやつを作って、コーヒーを淹れてくれて、休日は一緒に時間を過ごしてくれる私が良い。
そうしたらまた僕も研究や仕事を頑張れる。

といつも話してくれる。そして、そうしたあり方が私にも、私たちにも最適だということが私にはわかっている。

独身の頃、結婚する気は全くなかったし、今関わっている研究テーマや仕事に意義を感じていたし、たとえ結婚したとしても私はこうして働くのだ、と思っていた。しかし、出会って1ヶ月で縁郎君と結婚を決めて、結婚しながら進学して働き始めたとき、あららっと面白いくらいに体と心のメンタルが崩れた。

全く幸せに思えなかったのだ。

結婚当初、縁郎君は学生で家にいた。私の集中力が仕事と研究と家事とに3分割されている様で、実際うまくできなくて、仕事を始めて集中したと思ったらお昼が来て、また研究して集中したと思ったら仕事の電話が来て、バタバタしていると晩御飯の時間になる。縁郎君がお昼を作ってくれることもあったが、そうしたことが続くと、だんだんと縁郎君の元気がなくなっていくことが目に見えてわかった。
休日も、眠っている縁郎君を置いて働きに出て、帰ってくると、縁郎君は「洗濯しといたよ、お昼ちゃんと食べたよ」と報告してくれる。でもそれがどこか寂しそうなのだ。

なんとか聞き出すと、「朝目が覚めると、デリカさんがもういなくて寂しくなる」「家事だってできるし、自分でもご飯は食べられるけど、やっぱり僕はデリカさんのご飯が一番好き。」というのだ。

こんなの全然幸せじゃない。
私は、結婚したとしても、自分の独身時の理想を貫くためにやってみた、それが自分が幸せになれると思った。
でも結果、一番信頼している人が全然幸せそうじゃなくて、私も悲しくなった。

我が家が全然うまく回ってない。そうわかった。それで一度仕事をやめた。

私の意識が縁郎君と、その生活以外に強く向くことが、私にとってストレスであり、縁郎君にとってもストレスであり、家族にとっての生産性が全く上がらない、ということがよくわかった。

これは、心の持ちようがとか、我慢が足りないとか、そういうことではないと、2年でよくわかった。どうしようもなく二人が苦しいのだ。私たちには、かつて理想した生活はできないのだ。そもそも私たちに適した理想ではなかったのだ。

ただ、ふと、この様な在り方で、現実暮らせていけるのだろうか、という不安が頭をよぎることもある。
縁郎君の次のジョブが得られなくて食べられないほど困窮したら?縁郎君が病気や怪我をしたら?

まぁ、そうなったら多分私は縁郎君第一主義なので、きっと彼のために働くのだろうと思う、驚くほどあっさりと。
でも、今仕事をしていなくて、そのとき仕事が見つかるのかな?そんなことも思う。

そう思うのは、あるとき姉が言った「うちの実家の生活は、ママが専業主婦で暮らせたのは、当時の日本経済の状況とか、パパの働いていた会社のこともあるからね」
と言った言葉が、検証できてないながら、ずっと頭に残っているのも、大きく影響している。

何不自由ない、専業主婦の家庭で私は生まれ育った。両親は当時にしてはおそらく珍しい、二人とも当時の晩婚・国際結婚・高齢出産で、独身時代が長かったこともあってか、当時の日本経済から考えてもお金にも十分余裕があった。母はいつも家にいてくれたし、3食たっぷりご飯を食べさせてもらって、ケーキやクッキーもよく作ってもらって(私はその甲斐あって肥にこえたのだが)、母の実家のある海外にも家族で行くことができた。

余裕のある家庭だった、とはいえ、両親自身は決して裕福な出ではなく、特に母は片親で貧しい家庭だったのもあって、できればなんでも手作りし、ファッションや美容などお金のかかる趣味はなく、父もゴルフは好きだが、何事も物持ちが良く、買ってからずっと使う主義だ(革のサンダルに至ってはおそらく30年修理しながら使っている)。

もちろん家族の問題だって起きなかった訳ではないが、それでも今、私たち家族は仲良く、お互いを思いやる関係を築けている。
そんな生活はレアケースだと、姉から言われて当時少し衝撃だった。
そうか、この生活や家族の在り方は、あんまりないことなのだ、と何故か寂しくなり、ショックを受けた。
私のこの幸せの価値観は、現実を知らない、甘い考えの上でしか成り立ってないのかもしれない。

そんな風に不安に駆られている時に、違う宗教ながらも同じく信仰を持つ縁郎君はいつもこう言う。
「お金も食べ物も仕事も、良いことも、人間にとっては嫌なことも、全部、神様から必要として送っていただいているもの。神様のお考えは私たち人間にはわからないことだが、何事も神様によくよく御礼申し上げて、お願い申し上げましょう。」

縁郎君の実家は、義父様のお仕事から考えると、かなり裕福な家庭に分類されると思うが、義両親は信仰が厚く、慎ましく、お金や地位に頓着せず、神様が必要なことだから用意してくださったこと、といつも謙虚で、ある意味楽観的とも外からは表現される様な方々だ。
縁郎君は、そんなご両親の姿や実践の様子を見て、彼自身もそんな風にいつも考えて、また信じ、実際そうだと実感を持っている。

いつ、今の生活が様変わりするかわからない。お金で苦しい思いをするかもしれない。家族の怪我や病気で辛い思いをするかもしれない。悲しい思いや悔しい思いもするかもしれない。傷つくかもしれない。
いつ今持っているものが失われるか私たちにはわからない。

だから、他人にどう思われようと、私たちが一番に価値を置いて、一番幸せだと思えることに自分の人生の在りようを持っていく。
人が大切だと説くことでも、自分や大切なパートナーが幸せだと思えないことであれば、それは無用の長物だ。
もっと向上心を、もっと「充実した」生活を、よりよいキャリアの選択を、他人の価値観に耳を貸してはいけない。
私の価値観は誰かに共感されるものではないかもしれないから。仮にされるものだとしても、共感を得て確認するものでもないから。

大切な人の顔を見て、自分の顔を見て、私たちが元気で幸せであるなら、どんな形だって良いのだ。

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