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バリバラで取り上げた部落・人種問題をうけて 今は社会的カーストに化ける

BLACK IN BRAKU

被差別部落の問題は、学校教育では士農工商という社会的カーストとも呼ばれるに等しいものに付随して学んだものである。バリバラでは同じ「蔑視されてきた」という歴史を持つアフリカンアメリカン(+ネイティヴアメリカン)が関西の郊外で同じ歴史をたどってきた人たちと語り合う内容であった。

私は1991年生まれであるが、中3の頃部落問題を知った時に、社会の恩師からはいまだに関西の一帯で「名字を聞かれる」「士農工商穢多非人」を聞いていまも区別させようとする人が居るという衝撃的な事実を伝えた。そして電子網が発達したいまもなお国を問わない「レイシスト」がこのような蔑視を各種SNSで発信するなどの問題があることがわかった。タブーが原因で起きたものは、虚実混交な情報だったりレッテルだったりとすごくルーツに対する誤解を招くような、騙されるような情報であった。しかも、自分だって知らずに誤解を招くような情報を流していたり、騙されたものを鵜呑みにしてしまったそのまま流してしまったかもしれないという加害妄想が付きまとうこともある。

当時の集落は食肉解体業、革加工職人、清掃員などを中心としてまとめて郊外に隔たされ「汚い、穢れ、非人道的なやつ」だと見なされ続けてきた(持病など病人だけ隔離した地域もあったらしく、それはジブリ映画ではもののけ姫の一節でも描かれていた)ネガティヴなイメージを持っていた「部落文化」だったが、この番組はポジティヴなところも紹介していて、この地域における人間関係の密接さを挙げていた。もとはといえば、一方的な蔑視が生んでしまった問題だったのかな、と思った。
漢字のニュアンスを調べてみたら
「穢多」→「汚いもの、猟奇的なもの、淫らなもの、グロテスクなもの」
「非人」→「人道的でないもの、人の心を持たないもの、人間として生きられないもの」
そんなものが頭に浮かんだ。

愛の不自由、 ふたたび

バリバラでは、部落出身との恋人との恋愛がうまく言っているのに、家族が部落ルーツに対する蔑視の一点張りで反対されるという例が放送された。正直悲しく思った。みんな同じ「人間」であるのに、何でその特徴や立場であるからと生き方を制限されなければいけないか、本当に不条理で理不尽なことこの上ない問題だった。ネットだけの問題なのかと思ったら、現実問題でもまだひどかったんだなと改めてわかった。

現代の「危険地域」「犯罪予備軍」などのレッテル

番組の通り、いまもなお、このようなレッテルを貼られることはネット上に溢れていることはわかっている。それは部落から別の形に拡張して、性的因縁の問題(性指向や嗜好)、趣味や属性の問題(理系・文系)、心の障害や葛藤、こだわりや専門のもの、特定の職業にも拡張されていることは間違いない。
それが起きた原因は、例えば公職不祥事が引き起こした暴動によりその近くの集落に悪いイメージを与えられた件(1980年代 大阪の例)、凶悪事件の犯人像の伝え方によるネガティヴキャンペーンなどが引き起こした例がある。これは世界でも、コロンバイン襲撃事件が起きた時に、スクールカーストが下にあるとされた人に更に言われもないレッテルがはられたことも記憶に新しく、それはマイケル・ムーア監督が描くノンフィクション「ボウリング・オブ・コロンバイン(※)」がその問題を伝えていた。レッテルをはられた者は日本の「オタク」にほぼ相当する「ギーク,ナード」や、勉強の虫といわれる「ブレイン」、それ以外には「サブカル」「ゴスロリ」などがいる。これらは事件が起こる前にまとめて「ルーザー」「被虐者」とよばれ日本の「士農工商」の下にある「穢多非人」とほぼ同一視されているような扱いをされている階級であったそうだ。

(※)日本語にも訳されており、吹き替え版もある。アーティストのマリリン・マンソンも出演しており(テレビ東京では三木眞一郎さんがマリリン・マンソンの吹き替えを担当)、彼はその時自分の作品がコロンバイン襲撃事件の種をまいたような扱いを受け、どん底に陥らされたと辛い胸の思いを語った。しかも当時の米国は情勢が他国へ武力行使を伴う真っ最中であったため何故そちらを問題視しなかったのか、という不平等さを感じていた。

今の日本社会では、社会ごとこのようなカーストができてしまっていることにより新たな「部落問題」が形を変えて生まれてしまったように見える。米国におけるスクールカーストの「サブカル、ゴスロリ、勉強の虫、オタク、フリーク」系にネガティヴな見方をされる扱いは、本当に日本における性自認や趣味に対するネガティヴキャンペーンをする現象と重なっている。

多面的な理解と、啓発を

いま日本社会に必要なのは、これに関する市民権運動やポジティヴな意思表示をする機会であると思う。海外の例を調べると、オタクも日本と同様に差別されていた風潮を乗り越えて「Geek Pride day」(今年;2020年 は5月25日)に人権啓発パレードやイベントを行ったり、米国の婦人デーマーチ(女性の権利回復)、性的多様パレード(LGBTQIA+の権利回復をこえて、誰にでも広範的に受容するSOGIESCの啓発)を行っていることがわかった。バリバラに出演されていたネイティヴアメリカンの皆様から2月にもう黒人の歴史月間が制定されている、ということを教えてくださったが、これにより日本の場合は人権週間がある以外がよくわからないため、人権と言っても様々な人権週間を設けていけばいいのでは、という考えをもつようになった。

背景をさらに知っておくと、更に奥深さを感じることになるだろうと興味がある話題だった。


2020/10/01 追記

 なんと、前編後編とも2020年9月24日、10月1日の2週にわたって再放送をしてくださいました。
Black Lives Matterが再燃してしまったことを受け、かつて起こっていた同国の「穢多非人」差別がBLMと似ている一節もあったため、
私は日本での人種差別解消のいとぐちを探った例をアフリカンアメリカンと一緒に考えていくいい機会だった、と思って再放送をリクエストしていた回でした。
 リクエストに応えていただいたプロデューサーの皆様に感謝の意を伝えます。

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