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パワハラ死した僕が教師に転生したら 9.人間

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 突然に始まった教師の壮絶なパワハラ体験の告白が終わった後の教室。
 押し黙ってそれを聞いていた生徒達がようやく口を開く。
 教師の4回目の社会の授業の続き。
 
「・・・・・ス、スゲェ、俺、ゾクゾクして・・・・・い、いや、なんでもない」と普段は鋭い瞳を少し潤ませた冬司が小声で言う。
「ちょっ、冬司・・・・・なに興奮してる?・・・・・お前、暴力シーンとかで興奮するヤツ?」と丸い瞳を更に丸くして優太が言う。
「ちげえよ・・・・・べ、別に・・・・・興奮してねえよ」と顔を少し赤らめ、褐色のゴツゴツした指で不揃いの短髪をかきながら冬司が言う。
「・・・・・悲惨すぎて、さすがにもっとゾクゾクさせてとは言えない」と鳥居が大きなリーゼントを小刻みに震わせ、怯えた表情で言う。
「・・・・・今の話は・・・・・本当のことですか?だったら、あってはいけないひどい話ですが」と少し疑わしそうに目を細めて文香が訊く。
「ええ、本当のことなのです」と教師が答える。
「しかし先生は、そんな経験をして・・・・・よく死なずに教師に転職できましたね」と文香が思いついたように言う。
「だから、死んで教師に転生したのですが・・・・・」
「・・・・・うーん、子供の頃ひどいいじめられっ子だったとか、どこかそういうトラウマ的な体験があるってところだけは信用できるのですが」と文香が真っ白の頬に細い右手の指を当てながらいぶかしげに言う。
「は?」と言う教師。
「先生には、そういう引き寄せ力があるのかなぁ?」と可愛らしい笑顔を浮かべた愛鐘が亜麻色の髪を撫でながら言う。
「・・・・・確かに、ビンタしても悪いことをした気はしなかったが・・・・・」と冬司が納得したように言う。
「うー、そういえば・・・・・おとなしそうだけど・・・・・すごく、超、上から?・・・・・そんで、べらべら理屈ばっか?・・・・・みんなの前で個人攻撃?・・・・・俺はお金がなくて一生できないとかいきなりマウント?・・・・・セクハラとかもしちゃう?・・・・・それで青白くて体弱そう?・・・・・変な名前?・・・・・こういう人は・・・・・いじめられやすい?」と優太が首をかしげてもそもそと言う。
「は?・・・・・僕はいじめられたことはありませんよ・・・・・いじめとパワハラは全く違う、パワハラとは大人の社会、ビジネスの世界、その中の集団と階層の中に固有の社会病理現象であって、学校などを舞台として子供の生来的な攻撃性から生じる無目的ないじめとは全く異なる、まさに経済的な事象を背景として不可避的に生じる、大人の社会が抱える闇、経済社会に必然的に生じてしまう病そのものなのです」と教師が大きな瞳を泳がせて、慌てて言う。
 腕を組んで虚ろな瞳で聴いていた颯太が「・・・・・ふうん」とつぶやく。
「・・・・・ほ、本当なのです」
「別に疑っていない」と颯太が無表情で無関心そうに言う。
「・・・・・そ、そんなことより授業の続きなのです。とにかくそういう訳で、とにかく集団と階層の中では、とにかく悪意と暴力が上から下へと・・・・・」と早口で続ける教師。
「でも、現在の日本で本当にそんな凄惨なパワハラが起こっているのですか?先生だけが引き寄せた、先生に固有の病理現象でなくてですか?」と文香が真顔で訊く。
「・・・・・ひどいパワハラがいくらでもあるのです。ニュースになるのは、有名な、誰もが知っている会社で起きたパワハラ、しかも隠蔽工作に失敗したものだけです。それ以外の、有名でない会社で起きたパワハラは、ニュースにしても誰にも関心を持たれず、誰にも読まれず、利益が出ないので報道されません。そして社会には、そういう報道されないパワハラが山ほどある、いたるところでひどいパワハラが横行しているのです」
「うーん・・・・・本当ですか?」と首をかしげる文香。
「・・・・・本当なのです」
「でも、さっきの店長もそうですが、それこそ何の得もないのに、どうしてそこまでひどいことをするのですか?結局、前世の先生をいじめて殺してしまって・・・・・」
「・・・・・だ、だから、いじめとパワハラは違うのです。前世も現世も僕にはいじめられた記憶はないのです」と教師がおどおどとした口調でまくし立てる。
 
「ふうん」と颯太が小声で言う。
「ふうん」と冬司が小声で言う。
「うー・・・・・ふうん」と優太が小声で言う。
「ふーん」と愛鐘が甘い小声で言う。
「パラノ野郎、ふうん!ふうん!ふっうーん!」と頬杖をついた鳥居がおっさんのような目をニヤニヤさせて大声で言う。
 
 照れたような困ったような表情で鳥居を見つめ、深いため息をつく教師。
 
「・・・・・ふうん・・・・・しかし、どうしてそんなひどいことができるのでしょうか?」と文香がまっすぐな綺麗な黒髪に指を通しながら訊く。
「それは、人間は多かれ少なかれ、もともと悪意に満ちていて暴力的だから、そして、集団と階層という仕組みが、人間がもともと持っている悪意と暴力性を解放する、存分に解き放つからだと思います」
 
 教師が一抹の威厳を取り戻すためにとても真剣な表情で授業を続ける。
 
「まず、人間の悪意ということでは・・・・・例えば、SNSやネットの匿名掲示板での誹謗中傷がその表れではないでしょうか。現実から切り離された自由なネットの世界、誰にも言動を妨げられない世界、そこで私達がすること、したいことが、誹謗中傷なのです。自分と何の関係もない芸能人やスポーツ選手に向かって大勢の人間が『生きてて恥ずかしくないの』と投稿し、自殺にまで追い込んでしまう。投稿はしなくても、なんて陰惨な世界だと思いながら、これを眺めて楽しんでいる自分がいる。
 それから、不倫や不祥事をネタにして芸能人や政治家をおとしめる本当かどうかわからないようなスクープ、それを読んで芸能人や政治家を裁き、断罪し、あざ笑い、打ちのめし、心を満たすことを楽しんでいる人がたくさんいる。
 何故、こんなことをしているのか、こんなことはやめて自分の人生をしっかり生きれば良いじゃないか、と思いませんか?それでも、ようやく仕事から解放され、一人になり、ほっと一息ついたプライベートの時間にすることが、これなのです。結局のところ私達は、他人をあざけり、罵り、馬鹿にし、見下し、侮辱したくてたまらない、他人に対する理由のない悪意に満ちているのです。
 みなさんも心の中では、理由もなく誰かを蔑んだり、馬鹿にしたり、罵ったりしているはずです。僕もそうです。僕の中にも、みなさんの中にも、多かれ少なかれ他人に対する悪意が必ずあるのです」
 
「先生はいじめられたせいで歪んでそうなってしまったかもしれませんが、私達は違います」と文香が薄い色の唇を尖らせて言う。
「だから、いじめとパワハラは違うのです」
「私達と先生も違うのです」とせっかちに言い返す文香。
「うー・・・・・文香ちゃん・・・・・喋り方とか、アトム先生と似てきた?」と優太が心配そうに言う。
「・・・・・え、そう?・・・・・」と文香が瞳を曇らせて言う。
 
 教師がなんとなくの笑顔を浮かべながら授業を続ける。
 
「それから、人間の暴力性ということで言えば・・・・・そうですねえ、究極的な暴力と言えば相手を殺すということですが、人間は、マンモスの時代だったら、肉を得るためにマンモスを殺す、食べられるものなら何でも殺す、他の部族が攻め込んできたら自分達を守るために殺す、他の部族から奪うために殺す・・・・・私達にはそういう暴力性が確実にある、それがなければ人間は生き残って来れなかったのです」
 
 少し間を置いてから、穏やかな口調で生徒に問いかける教師。 
 
「・・・・・みなさんは牛とか豚を殺せますか?」
「は?」と文香が言う。
「うー・・・・・絶対、嫌・・・・・無理」と優太が眉をひそめ、目を伏せて言う。
「でも、食べ物が何もなく、飢えて、牛と豚が目の前にいれば、殺せるのです。簡単に殺せるようになる。勢いで刃物を叩きつけ、突然に喉元を切り裂く、その瞬間の牛や豚の眼、噴き出す血を想像してみて下さい。でも、それを見ても何も思わない、平然と満足げに肉を切り裂き、それを喰らう、なんなら人間の肉でも喰らう。そうやって生き残って来た、それが私達人間なのです」
 
「私達と先生は違う、別の種族です」と文香が華奢な肩を突き出し、怒ったように言う。
「先生に生き物が殺せるとは思えない、かなぁ」と大きな瞳に笑みをたたえて愛鐘が言う。
「・・・・・アトムは血を見ただけで倒れるヤツだろ?」と生暖かい眼差しで冬司が言う。
「いいえ、殺せるのです。・・・・・みなさんは、人類の大量虐殺の歴史を知っていますか?ナチス・ドイツが主導したホロコーストでは人類は600万人以上を虐殺した。カンボジアのクメール・ルージュ政権下では人類は200万人以上を虐殺した。他にも虐殺事件はたくさんあります。そして、特異な指導者の下で実際に虐殺行為を行ったのは、その時代における普通の、一般的な人間なのです。それぞれに歴史的な背景はあったし、指導者に煽り立てられてもいた。指導者に逆らえば自分が殺されたかもしれない。ですが、そもそも多くの人間の中に暴力性がなければ、そういう狂気がなければ、こんな大量虐殺ができるはずがないのです。そういう暴力性を多かれ少なかれ抱え込んでいる存在、それが私達、人間なのです」
 
 額の右側に右手の指をあて、一息置いてから、授業を続ける教師。
 
「・・・・・ただ、僕もみなさんも、悪意や暴力性を持ってはいますが、同時に優しさも持っています。人を傷つけたくないと思う。誰かを思いやり、その誰かの痛みや苦しみを、自分の痛みや苦しみのように感じることができる。自分とは違う誰かを危険や困難から守り、助け出そうとする。自分とは違う誰かを受け入れ、親密になろうとする。私達は、そういう優しさも持っているのです。
 それから、私達は誰もが、自分や自分の愛する人を殺されたくないと願っています。そして、この願いを実現するには、自分はあなたを殺さないから、あなたも自分を殺してはならないという協定を、社会の構成員の全員と結ぶ必要がある。そこで人間は、人を殺してはいけない、という価値観を社会の構成員全員で共有し、これを社会のルールとしたのです。そして、道徳教育や殺人者への刑罰を通じて、この価値観を維持しています。僕の中にも、みなさんの中にも、この価値観があります。それは強制的に植え付けられたものでもありますが、私達が殺されたくない、殺したくないと願い、望んで受け入れ、自分の中に創り上げたものでもある。傷害や略奪、言葉の暴力などに対しても、私達は同じような価値観を持っています。
 そして、こういった人間の持っている優しさと価値観が、悪意や暴力に対するリミッター、悪意と暴力の行使を抑止する心理的な装置となっています。
 だから、僕も文香さんも、悪意や暴力性を抱えていても、それが行動に表れないのです」
 
「一緒にしないで下さい、私と先生は絶対に別の種族です」と文香が教師を睨みつけてまくし立てる。
「・・・・・文香さんは・・・・・今日はいったい、何を怒っているのですか?」
「・・・・・別に怒ってません。警戒しているだけです」
「・・・・・警戒?」
「・・・・・だから・・・・・さっきのパワハラの話とか・・・・・大量虐殺とか・・・・・いつもそういう極端なストーリーで生徒の感情を煽り立てて・・・・・その・・・・・洗脳・・・・・しようとしてくるから・・・・・」
「洗脳?・・・・・これが?・・・・・」と文香を見つめながら言う教師。
「そういうところ・・・・・ある」と冬司が乾いた声でゆっくりと言う。
「・・・・・私、もともと理屈っぽいし・・・・・乗せられやすいし・・・・・何かこの授業って、教科書とか新聞とは全然違うし、めちゃくちゃ腹が立つんだけど・・・・・妙に納得してしまう時があって・・・・・確かに一理はあって・・・・・私、この授業の影響を確実に受けてる気がして・・・・・でも、このまま行くと私、他の先生が言うこととか、教科書とか新聞とかに書いてあることを信用できない、すごく歪んだ人間になってしまうんじゃないかって・・・・・」と文香が少しだけ頼りない声で言う。
「大丈夫です、文香さんはそんな歪んだ人間には、絶対になりません」と文香を励ますように穏やかな笑顔で教師が言う。
「・・・・・本当ですか?」
「大丈夫です・・・・・たぶん・・・・・」
「たぶんって・・・・・そもそもこんな変な授業、本当に必要なのですか?」と文香が小柄な細い身体を乗り出して怒ったように言う。
「・・・・・別に聴きたくなければ寝ててもいいし、なんなら耳栓でも買ってきますが・・・・・それで話を戻しますが、私達は生来的に悪意や暴力性を抱えていますが、リミッターが心の中にあって、普段の行動にはそれがあまり出ないのです。しかし、極端な状況に追い込まれると、リミッターが外れてしまう。そうなると、もともとの悪意や暴力性が剥き出しになり、行動に反映されてしまうのです。そして、集団と階層の中には、労働者の心のリミッターを外してしまう要因や、悪意や暴力の行使を助長する要因が、いくつかあるのです」と言い、素早く板書をする教師。
 
 チョークと黒板の音のぶつかる音。
 黒板の大きな字。
 
 
 
株主からの過大な利益追求圧力
上と下という人間関係
労働者の近すぎる距離
サイコパスな社長
同調欲求
 
 
 
「これが集団と階層の中にある、労働者の悪意と暴力性を解き放つ主な要因です。次の授業からは、この要因を一つずつ説明して行こうと思います」
 
「・・・・・まだこんなに続くんだ・・・・・」と引きつった顔つきでつぶやく文香。黒縁眼鏡の奥の繊細で生真面目な瞳が密かに微笑み、その声にほのかな好意が漂っている。

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