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patercycleとは? (バイオ編 1)


自己紹介編パート2!
今回はバイオグラフィー(つまり、どんな奴?)前編です。


で、どんな奴?


プロフィールにも書いていますが、僕は平日は会社に勤めています。
ものづくり系と濁していますが、ざっくり言うと木材加工をしています。
まあ、元々物を作るのが好きなんだけど、自分の作品を作っているわけではないので、作るという点では半分しか満たされていないという感じでしょうか。

元々四人兄弟の末っ子で生まれ育った事もあり、周りは年上ばかり。
元来の性格もあってか、受け身で引っ込み思案。
自分からはなかなか打ち解けられず、友達を作るのにも苦労してきました。
そして優柔不断。良く言えば熟慮断行。悩みがちで決断が遅い。
何か始める時もエンジンがかかるのが遅い。
そのくせ急かされるのが何より嫌いという・・・。
自分で目的を定めて、納得してからでないと動けないというか。慎重で見切り発車が苦手。

会社勤めを始めていくらかマシにはなりましたが、我ながらめんどくさい奴だと思います。
と同時に子供時代からどこか生き辛さを感じて生きてきました。

自分では自分は普通と思ってきたけど、どうも周りと違う?

マイペースとかわがままみたいな言い方をされたこともあります。
思えば割と幼少の頃から頭の中で空想したりするのが好きで、一人で絵を描いたりして遊んでいることが多かったようです。

子供の頃から主に8つ上の兄の影響でマンガ(手塚治虫「ブラック・ジャック」藤子不二雄「ドラえもん」など)に夢中になり、模写では飽き足らずにオリジナルのマンガを描いて、友達と合作を作ったりしました(たしか小学4年の頃)。
それはクラスの中で回し読みされ、結構人気を博しました(この頃が今までの人生で一番のピークかもしれない・・・)。

その後、僕はマンガを続けたものの次第に当時人気が出てきたファミコンに興味が移り、しばらくファミコンにどっぷりの生活を送ります。
しかし中学3年になると、高校受験のためファミコンは親に没収されました(泣)


音楽に目覚める、そして救われる


ちょうどその頃、兄から何本かのカセットテープをもらいました。
特に気に入って聴いたのが、ビートルズの「青盤」ビリー・ジョエルの「ニューヨーク物語」というアルバムでした。トーキング・ヘッズの「フィア・オブ・ミュージック」も好きだったな。

ファミコン熱はどこへやら、今度は音楽にのめりこみます。
通い始めた塾の帰りにレンタルショップによってCDを借り、カセットにダビングするようになります。音楽雑誌を買ってユニコーンフリッパーズ・ギターと出会ったり。

そしてなんとか高校に合格。しかし、そこは必ずしも自分の行きたい高校ではなかったのです。というのも、工務店を営んでいた父が建築科に行って欲しかったようで、そこを受けたらうっかり受かってしまったのでした。


物を作るのが好きとはいえ、理数系が苦手だった僕は勉強に苦労しました。
そして、工業高校特有の雰囲気。科のほとんどが男子でしかもスポーツで有名な学校だったため、運動もどちらかというと苦手だった僕は、そこでも馴染めませんでした。
同じ中学からの友人は一人いましたが違うクラスで、僕は3年間をほとんど一人で過ごしました。

そんな暗黒時代を救ってくれたのが、地元の高校に進んだ友人と音楽でした。

電車通学を始めたので、途中の駅で降りて発見したレンタルショップでCDを借りまくったり、兄の持っていたギターでコードを覚えたり、休日に友人とキャンプに行ってウクレレで合奏したり。
オリジナルもこの頃少しずつ作り始め、テープレコーダーに吹きこんだりしていました。

その後高校を卒業し、浪人を経由して芸術系の短大に入りました。
実は芸大に入ってバンドをやるというのが秘かな憧れだったのです。


今はあまり使わないかもしれないけど、「アート・ロック」という言葉があって(Velvet Underground,Doorsなどが代表格)、実際にTalking Heads,Rideなんかはアートスクール出身でした。日本のバンドでもカーネーション、ゆらゆら帝国、スピッツ等に芸大美大出身のメンバーがいますし、その他ユーミン、noteでもおなじみ高野寛さんもそうだし、そしてかくいう兄も美術系短大でバンドを組んでいたのでした。

しかし、音楽性が合わなかったり、持ち前の人見知り(まあ今の言葉で言えば「コミュ障」になるのかな)が発動してバンドを組むには至らず・・・。

一体、いつになったらバンドを組めるのか??


と、ここでお時間となりました。続きは次回です。岩のペーター、ついに動きます!





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