組織のリーダーとしての在り方
前回、組織論について書いたその延長とも言える「リーダー」について考えてみようと思う。
ある日上司は自分に向かってこう言った。
「どんなリーダー像を描いているのか?」
言わばどんなリーダーになりたいか、と。
自分なりに考えていないわけではなかった。
しかし、自分が思い描くリーダー像にはなれていなかったのかもしれない。
というのは、周りが自分に求めるリーダー像と、自分が心に思うリーダー像に「ズレ」があるように感じていたからだ。
ある日、当時SMAPのリーダー中居さんは、
「ダンスをしていても、自分はメンバーを後ろから見守っているタイプ。自分は俺についてこい!というタイプではなく、あくまで傍観者としてメンバーを見ながらまとめていくタイプだから。個々が確立しているから、それぞれに任せて見守っている。」
というような内容をテレビで話していたと
記憶している。
なるほどな。
そういうまとめ方もあるのか。
そこで思った。おそらく自分はこのタイプだ。
引っ張っていくタイプではなく、
任せて見守る。
任せることで責任転嫁をするのではなく、
それがリーダーとして寛大なことであると、
その時そう解釈していた。
2011年女子FIFA World Cup 日本を優勝へと導き、その年Ballon d'or(バロンドール:世界の年間最優秀選手に贈られる賞)にも輝いた、なでしこジャパン主将澤穂希さんは、
「苦しい時は、私の背中を見て」
と表現している。
チーム(組織)でプレーしていれば、
誰にでも苦しい時は必ずやってくる。
自分が苦しい時は、仲間も苦しいはず。
どんなに苦しくても、どんなに辛くても、
リーダーはみんなより前で走り続けて、仲間に勇気を与える存在であり、それがリーダーとして一番大切な仕事であると述べている。
実はこの姿こそ、自分が求められているリーダーとしての姿であることはわかっていた。
2011年その翌年の2012年、
なでしこジャパンはロンドン五輪で
FIFA World Cupの決勝で戦った相手、
アメリカと再戦している。
日本はアメリカに試合内容として負けていなかった。
しかし結果は銀メダルで終わり、選手たちは泣き崩れていた。
その表彰式、なでしこジャパンは
ビッグスマイルで登場した。
あの姿を見て思った。
リーダーの在り方次第だと。
2015年12月27日ラストマッチ。
澤穂希さんの引退試合を観に行った時も、
それは強く感じた。
前半戦0対0で折り返した後半戦。
残り時間わずかとなったその瞬間。
川澄選手からのコーナーキックにヘディングで合わせてゴールしたのは、リーダーの澤穂希さんだった。
リーダーとしても、サッカー選手としても、
自ら示した有終の美。
後の番組で「澤穂希」という選手について、なでしこジャパンのメンバーはこう語っていた。
「そこにいてくれるだけでいい、そんな人」
みんなを信じて任せて見守るのも、
時には叱咤激励しながら引っ張っていくのも、その全てがリーダーに求められることであり、状況の変化に応じた器量の良いマネジメントをできることこそが、現代社会において求められているリーダーとしての役割なのかもしれない。
その全てを物語っているのが、先に記した
「そこにいてくれるだけでいい、そんな人」
それは何か問題が生じた時に責任をとるだけの人、ということではなく、みんなのことを良く見ていて、空気や状況をみながらその能力や士気を高めていく人だという結論に至った。
そんなリーダーとして改めて機能していかなければならない、2020年。
オリンピックも延期になった。
今年の世界恐慌とも置換できるような感染症も次第に緩和されてきているが、終息はしていない。
この先、どんな世界が待っているのだろう。
そしてその度に、各国のリーダーはどう世界を導いていくのだろう。
いつの時代も、常にそのリーダーとしての在り方が問われている。
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