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90歳とSNSへのパッション

まただ。また今日も彼女は座っている。

ボクは怪訝な顔をしていたわけではない。
大丈夫かな、と心配していた。

彼女との出会いは、ふとしたことだった。


ボクたちがいつものように朝回診をしていると、顔を赤らめながら、何やらこちらをチラチラ見ている人がいた。

同僚が担当している患者さんだった。

患者としての彼女は、退院した後もちょくちょくボクの外来の日に病院にやってきては、整然と並んでいるその椅子に、ちょこんと座っていた。

「先生、今日も来てますよ!」
と外来のベテラン看護師が、いつものように
教えてくれる。

同僚の外来を受診する日でもなく、
ただそこにいる彼女は、
「キヨ、頑張って生きよう!」
なんて洒落を言う、キヨさん、90歳だ。


キヨさんがまだ入院していた頃、
顔を赤らめながら「先生のファンなんです!」と90歳とは思えないほどハツラツとしていて、とてもハキハキした声で声を掛けてくれた。
ボクは冗談だと思っていたけど、少し照れて「ありがとうございます!」と返していた。


その冗談だと思っていたキヨさんがある日、
倒れて病院に運ばれてきた。

持病とはまた別の理由がキヨさんの体を苦しめていた。
緊急手術が必要だった。

手術の準備を進めている段階でも、
本人の意識はしっかりしていた。

90歳のキヨさんは、そんな時でも「手術中もスマホを持っていたい」と駄々をこねてスタッフを困らせていた。
ボクが理由を聞くと「好きな俳優のSNSが気になる」とのことだった。
命に関わる緊急的な状態にも関わらず、
ボクはクスッと笑ってしまった。

不謹慎だったとは思う。

ボクにはわかりすぎるくらいわかる気持ちだったけど、ボクの中でどうしても、生死の境目にある「90歳とSNSへのパッション」がなかなか結びつかなかったのだ。

キヨさんは苦しいはずなのに、
スマホを両手で抱えて離さなかった。

世界を脅かしているコロナより、自分の体のことより、「それ」がその人にとって大切なんだと知って、ほっこりした。


キヨさんは、元来丈夫な人だった。

退院後、時が経って、
90歳のキヨさんは帰らぬ人となった。

ボクは「キヨさんが気になっている俳優」が誰なのかずっと気になっていたけど、それを意外な形で聞かされることとなる。


辛うじて窓を叩く音の正体で、外の天気を知った今日。
降り始めた雨は、どこか肌寒さを感じさせた。
雨がしとしと降っている様は、
まるで亡くなったキヨさんが泣いているかのようだ。

キヨさんが亡くなったその日は、
キヨさんの91歳の誕生日だった。


キヨさんが天国に旅立ってから、御家族が病院を再訪された際、気になっていた「あのこと」について話をしてみて、ボクはとても驚いた。

そう、あのこととは、キヨさんがスマホを肌身離さなかったあの時のことで、

「とても好きな俳優がいる」
「SNSが気になる」

ボクはこれがどうも忘れられないでいた。

ボクはてっきり、SNSの有無に関わらず、
例えば舘ひろしさんとか高倉健さんとか、
シブイ人を想像し、イケメン俳優だと思い込んでいたけれども、それは全く違っていた。

「とても気になる俳優のSNS」

それはボクがとても好きな人のことだった。


ボクはキヨさんがまだ入院していた時に、
キヨさんと歳が近い同室の患者さんを受け持っていて、その方によく話していたのが、ボクがとても好きなその芸能人のことだった。

キヨさんはその話をいつも聞いていて、
その芸能人の「推し」になったみたいだ。

冗談だと思っていたボクのファンと公言してくれたその言葉は優しく、ボクの好きな人までファンになってくれたことが嬉しかった。


キヨさんがいつも外来の椅子に座っていたのは、いつも人並外れて元気に見えるボクをパワースポットだと思い、若いエネルギーをもらいに来ていたと言う。そして、実は体調が良くなくて、ボクに助けてほしかったんじゃないかと御家族は話されていた。


キヨさんとボクの「推し」が、
もしnoteを始めていたら、何て書くのかな。

キヨさん、言ってくれればよかったのにな。
そしたら楽しい話がたくさんできたのに。

キヨさんの分まで、ボクはこれからも全力で「推し」ていく。


それはとても、幸せなことです。


そしてボクとキヨさんに推される人は幸せだぞ!と思いながら、いつか会ったこともないその人に、会って伝えたいことがある。


キヨさんがよく座っていた外来の椅子には、
もうキヨさんの姿はない。

あるのは、キヨさんが生きた証、
もう更新されることのない神様のカルテが
残されている。



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