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京都のある蕎麦屋の思い出

私が中学生の頃の話である。


 修学旅行で京都を訪れた際、2日目に班単位でタクシーを貸し切って、自由行動ができる時間が設けられていた。私と同行するメンバーは、男子2人と女子3人の生徒6人。それに現地の白髪交じりのタクシーの運転手の男性。

 車でしか回れない郊外の有名な観光スポットと八ツ橋屋などを一通り回って、そろそろお腹が空いてくる正午頃。とにかく声の通る女子の一人が運転手にこんな声を掛けた。


「ここら辺で一番美味しい店を教えてください!」


 これに「よっしゃ、じゃあ一番美味いところ連れてったるわ」と運転手。ハンドルを握り、車を動かすが、なかなか到着する気配がない。気付けばそのまま15分程度走り、京都駅にほど近い場所で車を停めた。目の前には、お世辞にも立派とは言えない老朽化したプレハブのような建物に、暖簾が下がっていた。


 「ここが一番美味いんだ」と運転手。およそ期待は持てないが、入ってみると実は美味しい 俗に言う"きたなトラン"という物だろうか。おじさんに促されるまま中に入る。


 そこには、公立の老朽化した小中学校にありがちなトイレタイルが敷き詰められた内装に、背もたれのない真っ赤な座面が破けた回転椅子が5個ほど並んでおり、歪んだカウンターが設置されていた。店内ではコバエが群れを成しており、いかにも異様な雰囲気である。

 メニューを見るとどうやらそば・うどんの店だったようだ。おじさんは「いつもの」と短くオーダーしているところを見ると、通い慣れているようだ。普段からあまり物を深く考えないタイプの当の女子は、既にこの環境に適応しており、あっさりと何かを頼んだ。


 私も何かを頼まなければ昼食を取るチャンスを逸することになるが、どうにもこの雰囲気では頼みたくはない。一通り考えた後、おじさんに促されるがまま、記憶が確かならば、きつねうどんを注文した。「あいよ」と調理のおばさんの声。


 5分ほどすると、既におじさんは躊躇なく麺を啜っており、当の女子は「本当に美味しいですね!」とおじさんに話し掛けていた。程なくして、私や他のメンバーにも、そばやうどんが続々と配られていった。嫌な予感がする。


 案の定、私が頼んだうどんの中には、目視できるだけでコバエが10匹以上は浮かんでいた。しかし、調理のおばさんも、脇で食べている運転手も気に留める様子はない。言うまでもなく、張本人の女子も。


 ここで空気を読まず「コバエが入っているので作り直してください」と言えれば良いのだが、店内は既におびただしい数のコバエが、我こそはと料理を狙っている。これを入れないように調理をしろという方が無理難題であり、ナンセンスなようにすら思われた。私はカウンター備え付けのレンゲかスプーンで、それを避けながら啜った。油揚げは100円均一のスポンジを食べているような感覚だった。


 ここから先はほぼ何も覚えていないのだが、店を出た時に運転手が「どうだ、美味かったろう」と自慢気に微笑んでおり、事の発端となった女子だけ大声で「はい!絶品でした!」と返事をしていたのだけは鮮明に覚えている。



 この衝撃的な食事経験を、修学旅行から5年程経った後に思い出した私は、あの店は一体何だったのかを調べることにした。プレハブのような佇まいで、チェーン店ではなく、店の後ろには不自然に広いスペース…。何となく場所は覚えていたので、Googleストリートビューを使って捜索した。

 
 現在のストリートビューでは見当たらなかったので、実際に来店した2013年頃まで捜索範囲を広げて遡ったところ、ようやくその姿を現した。現在は再開発がされており、その姿を拝むことはできないらしい。


 ここで、食堂の二階に掲げられたタクシー会社の名前が入った看板に気が付いた。裏手にあった広いスペースは、その運転手が在籍するタクシー会社の営業所のようで、どうやら来店した蕎麦屋は、福利厚生の一環で建てられた社食を兼ねている店だったようだ。

 あの運転手はいまどうしているのだろう。ひょっとすると名簿や顔写真などがHPに貼られているかも知れないと思い、好奇心から社名をGoogleに入力した。


 検索結果は見事にヒット。だが、そこに入ってみると、元号が令和に変わる前の段階で、既に廃業した旨が記されていた。あの運転手のおじさんの「どうだ、美味かったろう」という言葉と屈託のない笑顔の裏には、自社に少しでも貢献しようという意識もあったのかも知れない。



 いかがでしたでしょうか。今回は単発モノでエッセイ?を書いてみました。旅先で現地の人にオススメされた飲食店に入るのがオツなんだ、という方も多いとは思いますが、私はこれが本当にトラウマで、旅先ではほぼ必ずチェーン店に入るようにしています…。皆様の旅先での食事の楽しみ方なども、コメント欄で是非教えてください。


 起立性調節障害体験記や、その他の旅行記なども併せてよろしくお願いいたします。それではまた。


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