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交い湖 Episode 2

執筆:ラボラトリオ研究員  畑野 慶


波紋

村人はまん丸い石を道祖神として祀っていました。大小さまざまな重い石にも関わらず、湖底から浮かび上がって岸辺にたどり着いたものと言い伝えられてきました。かつては発光していたという逸話もありました。頭部ほどの最も大きな丸石は、どちらの村も長老の家に続く坂道沿いに鎮座していました。


二つの村にはそれぞれ長老がいて、村の外れにある湖を望む場所に住んでいました。権力があるわけではなく、年上を敬う文化の上で成立した知恵を授ける存在です。皆がしきたりを守り、互いを尊重して、長らく平穏な暮らしを保てるように祈ります。

いつから生きているのか誰も知りません。大人たちですら自分が子どもの時からお爺さんだったと口を揃えます。白い立派な髭を口元に蓄えて、さながら兄弟のような二人の長老は、雨につけ風につけ毎朝家の前に出て、湖面の様子からその日を占います。大きな鏡は空模様と季節の移ろいだけでなく、湖底にある神々の世界をも映し出すと信じられてきました。


八年前の夏、二人は予言めいた同じことを口にします。神々の世界では若い女が足りず、二年に一度相応の花嫁を迎えに来ると。二つの村からたった一人を。噂の拡がりは、隣村でも同じことを言っていると気づかせます。文字すら持たない彼らにとって、必然性を感じる衝撃的な話でした。詳細まで一致したのです。二人の長老は離れた場所に住んでいて、口裏合わせなどできるはずもありません。

選ばれた娘の、家長にのみ事前に知らされるという。嫁入りすれば必ず幸せに、その娘は多くの子宝に恵まれるという。そして、花嫁を送り出した我々は天災から守られるという。断ったらどうなるのかと、村人たちは恐れます。同時に、これは生贄などではないと考えようとします。選ばれた娘は誰よりも幸せになれると。


数か月後、成人式を終えたばかりの娘が行方知れずになります。その家族の話では、湖に丸太船で出て行ったきり。そういった事故は珍しくないのですが、家族の誰一人慌てる様子も悲しむ様子もなく、ただ寂しそうではありました。

気立ての良い娘でもありましたから、村人たちはあの噂の花嫁になったのだと察しました。我々の代表として旅立った、いや犠牲になったと考える者もいて、口には出さずとも娘に同情します。ある者は弓張り月とヘビの文様が入った土器を湖に落として祈りました。満ち欠けを繰り返す月と脱皮を繰り返すヘビには、再生の願いが込められているのです。


そして二年後、その次の二年後も、二つの村いずれかで同様の失踪が起こり・・・


洋々

あの妹思いのナマヨミという青年も、今年が二年周期に当たることと、ここ八年間目立った天災が一度もないことを知っていました。未婚の娘が行方知れずになる話をまだ耳にせず、妹には一日も早く結婚してほしいと思っていました。

ですが、良縁と思しき色白の男は、少しずつ妹の心を開かせようと、少しでも自分を好きになってもらおうと、強引にならず努力を重ねます。誠実さが現れていました。凡そ十日に一度、自作の装飾具か編み物を携えて遠い道のりをやって来ます。草いきれの、ちょうど暑い盛りでしたから、ずいぶん日に焼けて、弱々しい面影は遠い過去のようでした。労をねぎらっても、疲労の色を一切見せません。誰かを心底好きになるとはこういうことかと、ナマヨミはその姿に毎度心を打たれ、恥ずかしがって素直になれない妹に苛立ちます。相思相愛になりつつあると気づいていました。


暑さの峠を越えたある時、ナマヨミは帰路に同伴します。男二人旅です。川の冷たい水を共に飲み、眺めが良い場所を迂回して、緑陰の山道を歩きながら色んな話をしました。互いに片親だと知りました。亡き親に恥じない生き方をしようと、考え方も良く似ていて、互いにまだ半人前であるという自己評価も同様でした。

「私も結婚するつもりはありませんでした。でも、妹さんを見た瞬間、そんなことを言っていられなくなりました」

嫉妬するほど眩しくて、自分も同じように誰かを好きになってみたいと思いました。ふいに立ち止まると、華奢な足も止まって向き直りました。

「君はもう、私の弟だ」

空の手を差し伸べました。握手という文化がなく、なぜそうしたのか自分でも分かりません。ですが、弟はどうすべきか理解してくれたようです。ゆらりと踊る葉洩れ日を浴びて、兄弟は固く手を結びました。


隣村に着くと、弟から一宿一飯の誘いを受けますが、ナマヨミは母と妹が心配すると言って、トンボ返りで走りました。日没を物ともしません。良い目には見通しが明るく映っていました。近い将来妹は結婚するのです。あと一歩なのです。相手の男は素晴らしい若者です。自分の弟になってくれたのです。目の前には希望しかなく、夕闇に沈む湖面など目に入りませんでした。


兆し

その夜更け、不気味な夢を見ます。白装束の女が現れて長老の元へ行けと言いました。嫌な予感がして忘れたことにすると、あくる晩も同じ夢、語調が強くなっていました。家長は男である自分です。

ナマヨミは夜明けに長老の家へ向かいます。東の空を染め上げる紫色が、道端にも点々と、さながら色合いを写し取ったように咲いていました。道祖神の丸石の前で手を合わせました。帆翔する鳥を見上げて、お前はどこへ行くのかと問い掛けました。不安を抱えて到着すると、長老は家の前で目をつむり祈りを捧げていました。終わるのを静かに待ちました。眼下に広がる穏やかな湖面を眺めながら。

「なぜ呼ばれたのか、分かっておるの」

「分からぬ。私は神のご意思を受け取り、伝達しているにすぎぬ」

頷きもせず必死に受け入れられないと拒絶します。妹の結婚相手は決まっているのだと。

「お前さんは神を信じないのか?」

夢でここに呼ばれ、それを長老が事前に知っていたのです。神の存在を否定できません。ナマヨミは人知を超えたものに遭遇して、あの噂は正しいと信じます。ただ、どこまで正しいのか疑問を持ちます。どうにかならないのか長老に知恵を求めます。誰でも良いのではないのか、希望者にすべきではないのかと。食い下がるように。

「分からぬ。私は神のご意思を受け取り、伝達しているにすぎぬ」

湖面を見ても何も分からず、長老の話を聞いた上でどうするか判断するしかありませんでした。妹に伝えれば悲しみをこらえて受け入れるだろうと思っていました。心根の清らかな妹ですから。皮肉にも、神がいるとして、選ばれて当然だと思っていました。

「次の満月の夜、黄色と紫色の花かんむりを被って、湖畔で待つことになっておる」

本当に使者は迎えに来るのか。本当に神々の世界は湖底にあるのか。命だけ取られるのではないのか。ナマヨミは父にも問い掛けました。長老といくら話しても答えは出ませんでした。良い方に考えれば、妹は神々の世界で幸せになれるのです。


そう考えるべきかもしれないと思い帰宅すると、妹が物憂げな表情でしゃがみこんでいました。神に選ばれたことを知り得たのかと、一瞬驚きましたが、彼女の手元を見て、それが愛しい人を思ってのことであると察しました。

「結婚すればいい。彼はもう私の弟なんだ」

「私がお嫁に行って、寂しくない?」

「何言っている。たかが隣村じゃないか」

聞いていた母が頷き、答えは出ました。迷いを恥じました。自分が妹の代わりになろうと決めました。神と直接交渉に行くのだと。死ぬのではなく、父もそうだったのかもしれず、すべて良い方に考えて、妹と弟を結婚させようと思いました。自分は二度と会えなくなるかもしれない悲しみを、なんとしても乗り越えて。

(つづく)

← 交い湖 Episode 1はこちら

交い湖 Episode 3はこちら →

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【畑野 慶 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。そこでの経験が、表現することの探求に発展し、言葉の美について考えるようになる。言霊学の第一人者である七沢代表との出会いは、運命的に前述の劇団を通じてのものであり、自然と代表から教えを受けるようになる。現在、neten株式会社所属。

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