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具体的指示に慣れすぎている

よく「指示待ち人間は使えない」といわれますが、これはどういうことでしょうか?
「指示待ち人間」がネガティブな評価をされるのは、
・自分で考えない、調べない
・自分ではどうしようもないときに、分かる人に聞かない
など、受動的な姿勢が生む余分なコストが理由だと思います。
当たり前ですがどの組織でも、組織にとってメリットとなる行動を自分から能動的にしてくれる人がほしいはずです。

ではなぜ「指示待ち」をしてしまうのでしょうか。


私が思うに、体系化のレベルが十分ではなく、理解できる抽象度に差があるからだと思います。
「やること」が誰にとっても他に解釈の余地がないほどガチガチに具体的であれば(言語化可能なら)、再現性高く誰でもできるはずです。
例えば、雑に「美味しいものを作れ」とだけ指示されるのではなく、「この食材を、この分量、このタイミングでこの鍋に入れ、中火で3分間加熱する」などと、言葉通りに作るだけで良いほど丁寧なレシピ(具体的指示)があれば、誰でも目的の料理(美味しいもの)を作ることができます。


このように、指示を待つとは、「明確なゴール」と「ゴールまでの道筋」を誰かに教えてもらうまで待つことです。

○具体的指示への慣れ


私たちは、良くも悪くも具体的な指示を受けて動くことに圧倒的に慣れています。答えが用意されているフィールドに慣れているとも言えるでしょう。

勉強であれば、点数や順位がつけられることで「高偏差値がゴール」だと有無を言わさず意識させられます。まずこれが勉強をさせるための抽象度の高い指示のように振る舞います。そして学校の授業は、カリキュラムという具体的プロセスにのっとっており、子供はその準備されたレールをとりあえず走ります。加えて、入試をはじめとして、試験範囲は比較的具体的に決まっているにも関わらず、その具体的範囲の中からさらにゴールまでの道を示してくれる塾などに、人(本人ではない場合が多いですが)は多額のお金をかけます。

ちょっと勉強から派生したものですが、「読書感想文」を苦手としている人はかなり多くなかったですか?多分、読書感想文が難しく感じることも、具体を知らなすぎるからだと思います。型や枠(具体)を知って、どのように書くかを最低限は体系化できていないと難しいものです。型が決まってないと変数が多すぎますからね。

勉強だけでなく部活などでも、強豪と言われるチームは、多くの場合具体的指示がされます。自分で考えられるようになるのは十分に具体を学んだあとです。


ずっとこのように、準備された具体を得られることが当たり前だった人にとって、具体的指示が与えられないと動けないことは、当然のことです。


それでも世の中には、「フワッとした指示」が溢れています。
抽象的すぎる指示では人はなかなか動けませんが、他に解釈の余地がないほど抽象度を下げていくと、いずれ誰でも分かる指示になります。

○具体に落とす指示系統・仕組み


多くの場合、ある程度の規模の組織が何かしらの安定した成果をあげるためには、属人的にならないような仕組み(マニュアル)や指示系統が必要となります。
想像の域は出ませんが、会社で考えます。

一番役職が上の人が決める目標は、かなり抽象度の高いフワッとしたものです。~の売上を上げる、収益を上げる、損益を逆転する?とか(さすがにもう少し具体的ですかね)。現場で起こっていることをしっかり認識できていても、抽象的な目標になることは仕方がありません。無数の具体的課題から吸い上げられた問題を、上の役職の人が最大公約数的にまとめて発表しますから。各方向に手取り足取り指示は出さないはずです。
それを受けて、次に高い役職の人は、少し具体に深堀ります。
その次に高い役職の人は、もっと具体に掘ります。
そして最終的に、属人的にならないよう現場がちゃんと動けるように、具体的な指示に砕かれていないといけません。チェーン店のアルバイトのマニュアルが解釈の余地もないほどガチガチなことが分かりやすい例ですね。

特に高度なテクニックが必要ではない前提で、誰にとっても同じ解釈ができるレベルに緻密にマニュアル(具体的指示)を作れていたら、理論上は安定した成果をあげられます(もちろん他に成果に影響を与える変数はたくさんあると思いますが)。

○行動が究極の具体


どれだけ良質なものをインプットしても、頭でいくら具体的に考えても、それはまだ、抽象度の高いものです。実際にやってみることで、インプットしたことに経験の具体が結びついて腹落ちできたり、インプットや思考ではカバーできていなかったところに手が届きます。有名な成功者が書いた本や自己啓発本をいくら読んでも、それだけでは何も変わりませんし、育成が抜群にうまいサッカーのプロが10年間ただ座学で教えても、1年間実際にボールを触れさせる経験には敵いません。
そもそも言語化の可能な範囲ですら実際にやってみないと分からないことが多いですし、言語化の難しい感覚的なものは、座学ではどうしようもありません。

○まとめ


初心者には個人差はあれ「具体」が必要です。抽象的指示では解釈が許される余白が大きすぎて、到達してほしいところ・進んでほしい方向に行けない可能性があります。
しかし、多くの具体を経験するうちに自分の中で体系化され、いずれ抽象的指示でもある程度の精度で動けるようになるはずです。


私は特に世の中分からないことだらけですので、圧倒的に具体を浴びることを意識しないといけないなと感じています。

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