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【長編小説】暮れなずむ秋と孤独な狛犬の歌 #30

10月7日(月)ーー(2)

 中学校に入ってからというもの、昼休みの時間はいつも教室の外に出ていた。それは一重に、教室の居心地がとにかく悪かったからだ。しかし教室から一歩外に出ると、件の上級生に追いかけ回されることになってしまった。図書室や保健室なんかの、とにかく他人の目がある場所に逃げ込めたら御の字。間に合わなければ件の上級生に捕まって、あいつらのストレス発散に付き合わされていた。
「じゃあさ、美秋。ここはどう歌わん?」
「ここは、確か……」
 しかし今日の僕はと言うと、教室で賢斗と楽譜の読み合わせをしていた。朝学活前、全部わからないとのたまった賢斗の言葉に嘘はなく。少しずつ音程を教えていたのである。
 あの少女なら、もっと上手に教えられたんだろうな。
 そう思いつつも、僕はあの神社に賢斗を連れて行こうとは考えなかった。どうしてか、神社に僕と少女以外の人間が居ることを想像できなかったのだ。
「そういえばさ、美秋。こんな話知ってるか?」
 昼休みも残りわずかというところで、賢斗がそんな雑談を振ってきた。
 オレもさっきの掃除中に班のやつから聞いたんだけど、と前置きして、賢斗は言う。
「中学の近くにある神社に、幽霊が出るって噂」
「……なに、それ」
 思いもよらない話題に、内蔵全てを鷲掴みにでもされたような気分だ。
「知らないか? 中学からちょっと行ったところにある、ボロい神社。まあ、オレも山道の先にあるらしいってことしか知らないんだけどさ」
 そこに幽霊が出るらしいんだ、と賢斗は続ける。
「何日か前から、誰も居ないはずなのに人影みたいなものが動いていたり、呻き声とか泣き叫ぶ声とかが聞こえてくるんだって」
「……」
「美秋、どしたん? ビビった?」
「……ビビってない」
 いや、広義ではそうなのかもしれない。少なくとも、その噂を聞いて、僕は肝が冷えた。
 その噂は、十中八九あの少女のことだろう。
 呻き声は、声出ししているときのもの。泣き叫ぶ声は、僕のことか、少女のことか。或いは、両方かもしれない。
「賢斗。その話って、もうみんなが知ってるのか?」
「さあ……? ああでも、清掃班の中には知ってるって言ってたやつも居た気がする」
 いよいよもって、内臓を掻き回されるような思いがした。嫌な予感と不安が綯い交ぜになって、喉が詰まる。
「……ちょっと、保健室に行ってくる」
 おもむろに、僕はそう言って席を立った。
「え? ああ。気ぃつけてな」
「うん」
 賢斗の声に心半分にそう答え、僕は教室を出た。
 保健室に行くと言っても、体調が悪いわけではない。
 これはあくまで確認だ。
 まずは、先生達にまで噂が広がっているのかを確認する必要がある。この手の話が一番早くに入るのは、保健室だ。この学校の保健の先生はとても親身に相談に乗ってくれる人で、立ち寄る生徒が多い。
 どうして僕が保健室事情に詳しいかというのは、言わずもがな、あいつらが原因だ。例によって八つ当たりの暴力を受けたあと、頭が痛いとか、適当に理由をつけて保健室で休んでいたのである。その際、相談や雑談をしに、保健室に多くの生徒が立ち寄ることを知ったのだ。
 もしも保健室の先生の耳にこの噂が入り。
 もしも先生の勘が冴えていたら。
 それが現在行方不明中の女子生徒のことと繋げる可能性は、十二分に考えられる。
 そうしたら噂は他の先生達にも報告され、警察に連絡が行くだろう。
 捜査の手が神社にまで伸びれば、それで終わりだ。
 少女は発見され、家に連れ戻される。
 僕が少女のためにできることは少ないだろうけれど。
 できることが無いわけではない。
 それならば僕は、僕にできることをするまでだ。
「――でさあ、マジウケんだろ」
 保健室へ向かう途中の、階段の踊り場。
 その先から聞き覚えのある声がして、僕は咄嗟に身を隠した。気付かれないようそっと声のするほうを覗いてみると、予想通り。
 そこに居たのは、四月から約半年間に渡り僕に難癖をつけくる上級生達だった。しかも、面倒なことに三人とも揃っていやがる。
 ここを通れば、まず間違いなく連中に絡まれてしまう。そうすれば、保健室にだって行けなくなってしまう。
 別な道を通って向かおう。
 そう考え、この場を離れようとした僕の耳に、
「だからさ、放課後に見に行ってみようぜ、その神社」
と、そんな言葉が飛び込んで来たのだった。
 途端、僕の足は縫い付けられたかのように動かなくなる。
 まさか。
 いや、早とちりをするな。神社なんてこの辺にはいくらでもある。あいつらの言う神社が、少女の居るところだと決まったわけではない。
 どうにか自分を落ち着け、あいつらの会話に耳を傾ける。
「前田さあ、そんなん信じるん? どうせ猿かなんかだって」
「そうかもしれんけど、気にならねえ? 緒形はどう思う?」
 そう問い掛けられた緒形は、この三人組のリーダー格である。
 体格で言えば、他の二人のほうが優れている。しかし緒形には、飛び抜けたずる賢さが備わっているのだ。その無駄によく回る頭があるが故に、学内外で好き勝手にやっているくせして、先生からのお咎めは一切ない。どころか、先生受けはむしろ良いほうなのだ。
「そうだねぇ――」
 思考を巡らせる緒形の声に、ぞくりと悪寒が走る。あの声は、間違いなく悪巧みをしているときのものだ。
 頼むから、どうか。
 自身の手を握り、僕は願う。
 どうか『くだらない』と一蹴して、他所へ行ってくれ。
「――いいよ、行こうか」
 果たして、僕の願いは見事に潰えた。心臓がきゅうきゅうと痛む。
「話振っておいてなんだけど、珍しくね? 緒形、こういうの興味ないじゃん?」
「端から幽霊なんて信じちゃいないさ。さっき小林が言ってたように、猿の仕業という可能性は高い」
 だけどねぇ、と緒形は続ける。
「そこに居るのが生きた人間だったら、もっと面白いだろ?」
「は?」
「どゆこと?」
 緒形の意図を掴み取れない二人は、揃って疑問符を浮かべた。
 それが日常茶飯事である緒形は、慣れたように嘆息して、言う。
「今、この村で行方不明になってる女子中学生。そいつがそこに居るかもしれないとは、考えられないか?」
 その言葉を聞いて。
 血液が加速度的に身体を巡り。
 僕は、僕を抑えることができなくなった。
 不安が、恐怖が、一気に僕の身体を支配する。
「――やめろ!!」
 そうして気がつけば、僕はあいつらの前に飛び出していたのである。
 しまった、と思ったときにはもう遅い。あいつらは少し驚いた様子でこちらを見ていた。
「……あの神社に、近付くな」
 どうにでもなれ。
 半ば投げやりに覚悟を決めて、僕は言った。
「は? いきなり出てきて、なんだよお前」
「つうか、俺らの話を盗み聞きしてんじゃねえぞ、竹並」
 体格の良い前田と小林が、表情をがらりと変えて睨んでくる。真っ直ぐに向けられる敵意が怖くて、僕はいつも立ち竦んでしまう。
 けれど、今は怯えている場合じゃない。
 なんとかしてこいつらの興味を神社から逸らさなければ。
「ねぇ、竹並」
 意を決して口を開くと同時に、緒形に割って入られた。
 緒形は楽しげな笑顔を浮かべて、言う。
「どうして神社に近付いてほしくないんだ? 理由くらいあるんだろ?」
「そ、それは、あの神社に、不審者が出るって聞いたから……」
「へえ? それを俺達に教えてくれるなんて、竹並は優しいなぁ」
 だけど、と緒形はその嘘くさい表情を変えずに、続ける。
「おかしいなぁ。俺が前田から聞いたのは幽霊が出るっていうふわっとした噂で、不審者が出るなんて具体的な噂じゃないんだよねぇ」
「……っ」
 緒形は、言葉に詰まった僕に接近してきたかと思うと、思い切り胸倉を掴んだ。
「なぁ竹並。お前、あの神社になにが居るのか、本当は知ってるんだろ?」
「し、知らない……」
「ふうん? じゃあやっぱり、俺達で確かめに行くしかないなぁ」
「それはやめろ!」
「あっはは! お前、わかってる? 俺達を止めようとすればするほど、お前があの神社になにか居るって言ってるようなものだぞ?」
「ぐっ……!」
 どうしよう。どうにかしなければ。
 気持ちばかりが急いて、思考がまとまってくれない。それでもこいつらだけはどうにかして止めたくて、僕は思いきり緒形を睨んだ。
「はは、お前のその目、何度見てもすっごくむかつく。うん、やっぱり神社は行こう。こいつがこんなに必死になって、なにを隠したがってるのか知りたいし」
「やめろ! ――ぁ、が……」
 刹那。
 腹部に、鈍い痛みが走った。
 鳩尾を思いきり殴られたと気付くには、もう数瞬を必要とした。
 痛い。身体が動かない。
 必死の抵抗は、朦朧とする意識によって虚しく空振る。
 僕の身体がどこかに引きずられて行く。
「へへ、ばぁーか」
 前田の稚拙な罵倒が聞こえたかと思うと、僕の身体は投げ出され、冷たい床に伏した。
 遠くて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ったような気がする。
 わからない。
 気のせいかもしれない。
 僕の意識は、そこで途切れた。

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