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【長編小説】陽炎、稲妻、月の影 #34

第5話 呻く雄風――(4)

 次の日。
 状況を鑑み、生徒の身の安全を確保する為、放課後の部活動は停止となった。
 これは当然の判断と言えよう。
 なにせ、〈よくないもの〉は徐々に増幅していっている。ポルターガイスト現象は頻発するようになり、それを生徒や教職員が恐怖し不安に陥り、空気はさらに澱んでいく。完全に悪循環だ。
 昨日までは精々机や椅子、生徒の私物が少し動く程度だったのだが、今日になって、それらは宙に浮き、遂には窓ガラスを割るに至った。幸いにしてまだ怪我人は出ていないが、もはや時間の問題かもしれない。
 流石にこうなってしまうと、アサカゲさんも授業を欠席せざるを得なくなってしまった。ハギノモリ先生も尽力しているが、如何せん機動力が違う。アサカゲさんはポルターガイスト現象が起きれば現場に急行して場を浄化し、その合間を縫うようにして結界の補強を続けている。
 二人が忙しなくしている反面、俺は一時間も校内を動き回ると、身体が負荷に耐えられなくなっていた。少しでもアサカゲさんや先生の助けとなる為に巡回を続けたいのに、俺自身が一番澱みの影響を受けやすいという体たらくである。
 放課後。
 アサカゲさん達と情報を共有しつつ、校内を巡回していた、そのとき。
 俺は、屋上のフェンスに座る人影を見つけた。
 足は外側を向いていて、いつ重心を前に傾け落ちるともわからない。けれど俺は、人を呼ぶべきか、判断に迷っていた。
 そもそも屋上は立入禁止で、常時施錠されている場所だ。この澱みに当てられて強引に立ち入った可能性も考えられるが、それにしては様子がおかしい。足をぷらぷらと揺らし、眼下の景色ではなく、もっと遠く向こうのほうに視線を向けているように見える。それは、飛び降りを躊躇しているようには思えなかった。
 逡巡の末、俺は一旦屋上まで様子を見に行くことにした。
 するりと壁を通り抜け外に出て、屋上に居る人物からは死角となる場所を選んで移動し、静かにその人の背後に回る。
 嫌な汗が頬を伝うような錯覚を覚えながら屋上に到着した俺は、しかし、その人物の後ろ姿を見ると、一気に肩のちからが抜けていくのがわかった。
 腰まで届く長さの銀髪は、あまり熱心に手入れをしていないのか、かなりぼさついている。ぱたぱたと揺れる足も、こうして見ると、なんとも無気力な動きだ。
「……――『ちーちゃん』?」
 咄嗟に口を突いて出たのは、イチギくんから聞いていたあだ名だった。
 しかし、これは悪手だったようで、彼女は心底嫌そうな顔をしてこちらを振り返ったのである。正確を期するのであれば、その無造作な髪によって、表情の半分も知ることは叶わなかったのだけれど、その全てを拒絶せんとする雰囲気が全てを物語っていた。
「イチギくんの仲間の人、だよね?」
 果たして、彼女はイチギくんのことが嫌いなのか、単純にあだ名で呼ばれることが嫌いなのか、舌打ちをしながらこちらに身を翻すと、大股で近づいてきた。その途中、背負っていたリュックサックから器用にノートを取り出したかと思うと、あるページを開き、俺に見せてきた。
石動イスルギ異散イチル
 これが自分の名前だと主張するように、彼女――イスルギさんは、ノートに書かれた文字を力強く叩きつつ、髪の隙間から俺を睨んでいた。
 身長は、アサカゲさんより僅かに高い程度。体型はかなり細身なようだが、それを隠すように、サイズの合わない大柄な長袖のTシャツを着ている。鎖骨や肩が露わになっているが、そのぶかぶかなシャツの下には、サイズの合ったタンクトップとジーンズを身に着けていた。
「俺、ろむって言うんだけど。君の相方――イチギくんから話を聞いてない?」
 とにかく、彼女が俺に向けている不信感を払拭しなければ。
 そう思って自己紹介をしてみたが、イスルギさんは変わらず俺を睨み続けている。うっかり聞き慣れたあだ名で呼んでしまったのは俺だけど、それだけでここまで怒らせるって、イチギくんはいつも彼女になにをしているんだろう。
 しかし、イスルギさんは記憶を辿った末に、イチギくんから聞いた話を思い出したのか、威嚇するような表情を収めると、すっと身を引いた。
 そうして、お前か、と言いたげに俺を指差す。だが、イチギくんは彼女に俺のことをどう説明したのか、その表情は未だに渋い。
「あー、ちなみに、今、この学校ってめちゃくちゃ空気が澱んでるんだけど、君は大丈夫?」
 イチギくんの説明不足によって微妙な雰囲気になってしまっているのをどうにか緩和しようと、俺はイスルギさんに世間話を持ちかけた。
 応えてくれるかどうかは半々といったところだったが、果たして、イスルギさんはゆっくりと首を縦に振った。『大丈夫』ということだろう。
 そして、ここに来てひとつ気づいたことがあった。
 それは、イスルギさんが出会い頭はあんなに怒っていたのに、ノートで自分の名前を示してきたことや、今も頷くだけに留めていたことだ。それらの所作から察するに、彼女はなんらかの事情があって声が出ないのかもしれない。
「へえ、大丈夫なんだ、すごいな。俺はもうモロに影響を受けちゃっててさ。……ちなみになんだけど、この澱み、死神にどうこうできたりしないかな?」
 それは神様違いとわかっていても、藁にもすがる思いで訊いておきたかった。
 案の定、イスルギさんは首を横に振る。
 そうだよなあ、と小さく肩を竦めたところで、ふと思い出す。
 ――ちーちゃんのほうが俺より死神歴は長いし、あの子なら、なにかわかるかもしれない。
 それは、俺の正体について、イチギくんに訊いたときの言葉だ。
 本題についてはイチギくんと同じ結論になるだろうから、一旦置いておくとして。
 イスルギさんが、どれくらい前からこの辺りの担当になったかはわからない。それでも、彼女ならハギノモリ先生が着任する以前のこと――もしかしたら、土地神について、知っていることもあるのではないだろうか、と考えたのだ。
「あのさ、イスルギさん」
 駄目で元々、とにかく訊いてみよう。
 そう思って呼びかけたのだけれど、当のイスルギさんは、どこからか取り出したボールペンを握り、ノートになにかを書き始めていた。その表情は途轍もなく面倒くさそうな感情を隠さないそれだが、そうまでして、なにか言いたいことがあるのだろう。俺は大人しく彼女の言葉を待つ。
「……え?」
 ほどなくして見せてくれた言葉に、俺は絶句した。
 イスルギさんが書いてくれた言葉は、ふたつ。
『この状況をどうにかできるのは、あなたのほう』
『あなたは、ここの土地神でしょう?』

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