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【短編小説】自称神様見習いが便利屋の「私」に捕縛され〝話し合い〟をする話

『彼岸の名づけ親』


「そこの貴方! 幸せになりたくはないですかっ?!」
 八月十五日、昼過ぎ。
 午前中の業務が終わり、社用車を職場の駐車場に停めてエンジンを切り、外に出て数秒。
 駐車場の日陰に居た『それ』は、私と目が合うと、開口一番にそんなことを言った。
 刹那、外は災害級の酷暑だというのに、ぞわりと鳥肌が立つ。
 理由はふたつ。
 ひとつは、人間の体温すら超える気温の屋外で、『それ』は厚手のコートとマフラーを着込んでいる不審者であるということ。
 もうひとつは、『それ』が人ならざるもの――所謂、幽霊であるということだった。
 こんなもの、絶対に関わり合いになってはいけないに決まっている。
 私は俗に言うところの『視える人間』ではあるが、普段、よっぽどの事情がなければそういった類は無視を決め込んでいる。視えるからこそ、死者と容易に関わっていては境界線があやふやになってしまうからだ。
 ただ、その日に限って言えば、午前中にがっつり肉体労働をして疲弊していた上、息苦しささえ感じる暑さで、判断力が鈍っていたとしか言いようがない。言い訳のしようがないほど、しっかり『それ』と目を合わせてしまった。
 いや、もしかしたら『これ』は熱中症の症状が見せる幻覚かもわからない。ともかく事務所に避難しよう。そこなら冷房が効いていて涼しいし、なにより結界に護られているから幽霊は入ってこられない。
 私は幽霊から視線を切り、足早に事務所に向かう。
 しかし。
「お願いです、無視しないでくださいいいい!!!! 貴方、ここの便利屋のスタッフさんでしょう?! 話だけでも聞いてくださいようううう!!!!」
 酷暑でセミすら鳴かない真っ昼間に、悲痛な女性の声が響く。
 突如掴みかかってくることこそなかったものの、目前でこうも騒がれると、如何せん喧しい。これでは事務所の結界内に入ったとして、窓の外から延々叫び続けそうである。
「――害為す者を捕縛し給え」
 私はひどく深いため息をついた後、幽霊に向かってそう唱えた。
「ぎゃっ」
 次の瞬間、幽霊は後手に縛られ、膝をついた。
 視える側の人間であるからこそ、自衛の手段はもちろん持ち合わせている。
 私の場合は、子どもの頃に助け助けられた仲である大型犬の守護霊がそれだ。対象を護る能力を多く持っている私の守護霊は、その術の発動の権利をほぼほぼ私に委ねている。先の呪文じみた文言は、守護霊の力を引き出すものと言って良い。
 術が問題なく発動していることを確認し、私は一旦事務所に入ることにした。
「嘘ぉ?! この状態で放置?! 信じらんない! 鬼、悪魔っ!」
 背後から罵詈雑言が飛んできていたが、ひとまずは無視である。
 事務所に入って、事務仕事をしていた副所長に一声かけつつ、コップに氷を限界まで入れ、麦茶を注いで即座に飲み干す。冷凍庫から大量の保冷剤を取り出し、麦茶のおかわりを注いでから駐車場へと戻った。
 あんな暑い場所になんの対策もなく居続けたら、ものの数分で茹で上がってしまう。あの幽霊についてどう対処するにしても、暑さ対策は必須である。
「酷いですよう、私、なんにも悪いことはしてないじゃないですかあ……。鬼ぃ、悪魔ぁ、悪徳除霊師ぃ……」
 数分ほどで戻ってきたつもりだが、幽霊はこの世の終わりかというほど絶望してベソをかいていた。
 私が近くの日陰にパイプ椅子を置いて座っても、めそめそと下を向いているばかりで、一向に気づく気配がない。
「最近の幽霊は宗教勧誘でもしてるのか?」
 麦茶を飲み干してから私が口を開くと、幽霊ははっとして顔を上げた。
「げげっ、いつの間に戻ってきたんですか?!」
「なんだ、悪徳除霊師に用はないのか。それじゃあな」
「わー嘘です嘘うそ、嘘に決まってるじゃないですかー! 神様仏様便利屋さん様~っ!」
「いや語呂悪いな」
 なんだよ、便利屋さん様って。
 幽霊は無理に口角を上げ、貼り付けたような笑顔を見せている。私の機嫌を取ろうとしているということは、少なくとも除霊は避けたいということだろうか。
 私は様々に思案を巡らせつつ、保冷剤をタオルで巻いて首元に当てながら、幽霊との対話を試みることにした。
 最低目標は、この場から立ち去ってもらうことである。
「あんた、幽霊だろ。ここでなにしてる?」
「ち、違います、私は幽霊じゃアリマセン」
 幽霊は挙動不審な様子で首を横に振り、私の推測を否定する。
「私は、神様見習いです! だから怖くない、怖くないデスヨ~」
「胡散臭ぇ……」
「酷い!」
「ああ、悪いな。思ったことがそのまま口から出てた」
「初対面の人を相手に、なんて失礼な!」
「その初対面の人を相手に、宗教勧誘みたいなことを言ってきたのはどいつだよ」
「私です!」
「返事だけ良くてもなあ」
「あ、でも、宗教勧誘ってのは否定させてください。私はそういう目的でこの町に来たんじゃないんです!」
「じゃあ、本来の目的はなんなんだ?」
「へへっ、よくぞ聞いてくれました。なんと神様見習いである私は、この町に、善行を積みに来たんです! ちゃんとスキメ様の許可も取ってますっ!」
「へえ」
 話の風向きが変わってきた。
 ただの通りすがりの幽霊かとばかり思っていたが、スキメ様――この町の大元を造ったカミサマみたいな存在――外部からの異物を極度に嫌うあの人が許可を出しているのであれば、目の前のこれに脅威はないと考えて良い。或いは、どこかでスキメ様の存在を知って勝手に名前を出した可能性も考えられないことはないが、その場合、あの人が即座にこの場に現れるだろう。来ないということは、前者と捉えて良さそうだ。
「それなら、どうしてウチの前で待ち構えてたんだよ。町ん中を歩き回っていれば良いじゃねえか」
「それがですねぇ、どういうわけか、先月くらいから目に見えて外を出歩いている人間が激減しまして……。善い行いをしようにも、する相手が見つからない状態なですよぅ。ここを見つけたのは偶然ですが、ここなら、困っている人が来るだろうし、私が助けになれるかなと思いまして」
 外を出歩く人間が激減したのは、間違いなくこの酷暑が原因だろう。
 天気予報を見れば、どこも不要不急の外出を避けるように呼びかけている。そうでなくとも、人間の体温以上の気温になっているところに自ら飛び込む命知らずは居ない。
「残念だったな、ウチへの依頼は基本的に電話かネットからだ。直接事務所に依頼人が来るのは、年に数件程度ってところだな」
「そんなあ……。あ、それじゃあ、私ここで待ってるので、私に力になれそうな案件を回してもらうことって――」
「できるわけねえだろ。生者の労働を奪おうとするな。ウチはそれで商売やってんだぞ」
「デスヨネー」
 肩を落とす幽霊に、嘆息する私。
 とはいえ、このまま没交渉で放置はできない。
「善行ってのは、具体的にはどんなことをするんだ?」
 両者にとって落としどころはないものかと、私は幽霊に訊いてみることにした。
「幸せにすることです」
 私の問いかけに、幽霊は真っ直ぐな目で答えた。
 が、あまりに具体性に欠け過ぎている。見た目は成人していそうなものだが、社会人としてその回答はあまりに不適切である。
「例えば?」
「た、例えば……」
 幽霊は懸命に記憶を辿るように、視線を右往左往させながら、言う。
「子どもじゃ手の届かない場所に行っちゃったボールを取ってあげたり、川から落とし物を見つけ出したり……ですかね」
「それは対象となる人間に視認されている必要はあるのか?」
「ないです。あくまで人の助けになる行いがカウントされていくだけです」
「カウント……ってことは、ノルマみたいなものがあるのか?」
「はい。右の手のひらに、あと何回善行を行うべきかの数字があります。見ます? 見たいですよね? それなら、その、拘束を解いてもらって良いでしょうか」
「……あんた、俺が拘束を解いたら、即座に逃げるつもりだろ」
「ぎくっ」
 さきほど視線を彷徨わせていたのは、やはり逃走経路の確認だったか。
 別にこの場を逃げられても困ることはないが、根本的な問題が解決していないと、今後何度も今と同じような状況に陥りかねない。できればこの場で解決してやりたいと思うのは、果たして職業病というやつだろうか。
 私は一度深呼吸をすることで思考を切り替え、それから、トオル、と守護霊の犬の名を呼ぶ。
「この人のこと、くるっと回して、こっちに背を向けさせられるか?」
 私の声に、すぐさまワンと鳴き声が返ってきたかと思うと、幽霊の身体はひらりと反転し、こちらに背を向けた。
「え、犬? どこ? うわわわっ」
 律儀に全部に反応した幽霊をよそに、私は椅子から立ち上がり、彼女の手元を確認した。右の手のひら。そこには確かに、数字が刻まれていた。その数字は現在『89』。これが今後行うべき善行の数だとしたら、なかなか心が折れそうである。
 この町で善行を積みに来たという、自称神様見習い。
 スキメ様の許可も出ている。
 それならもう拘束を解いてしまっても良い気がするが、なにか引っ掛かる感じがする。
 そもそもの話、この町には既に複数の神社が在り、それぞれに住んでいる神様によって町は護られている。町を護る神様を追加するなんてことが有り得るのだろうか。それとも代替わりでもするのだろうか。別段、私はこの町の神事に本格的に関わっているわけではない。あくまで便利屋として、時折手伝いをする程度だ。いや、この気配の感じからして、『これ』が言うところの神様見習いは、単に方便である可能性のほうが高いのだろう――というか、十中八九ただの幽霊でしかないだろう――が、万が一ということもある。
 さっさと対処して、涼しい事務所で昼食にしようと思っていたが。これは存外面倒な案件かもしれない。少なくとも、自分一人で判断するには荷が重く感じられた。
 と。
 聞き慣れた車のエンジン音が近づいてきて、ふと見遣れば、それは隣の市まで送迎依頼に出ていた、もう一台の社用車だった。
 こちらに向かってバックで駐車しに来ているが、私と幽霊が居るのは駐車スペースの奥のほうだから、邪魔になることはないだろう。
 なんの気なしに駐車しているさまを眺めていたが、それもあっという間に終わり、中から運転手が出てくる。
「お疲れさまでーす。ええと、志塚しづかさん。わかってると思いますけど、絵面最悪ですよ」
 運転席から出てくるなりそう言ったのは、後輩の笹森ささもり咲麻さくまだった。彼女もまた視える側の人間であり、この便利屋へ転職してきてからは、オカルト案件に関わることも少なくない。つい最近も、生霊に憑かれた女子大生の依頼を、私と共にこなしている。
「俺がやってることより先に、このトチ狂った格好をしてる幽霊に文句を言ってくれ」
「確かに見てるだけでこっちが熱中症になりそうですけど。その人、なにか悪いことしたんですか?」
「ウチの事務所前で顧客を奪おうとしてる、自称神様見習いだ」
「それは一旦捕縛で間違いないですね」
「だろ」
 後輩に向けた、冗談交じりの状況説明はさておき。
 この幽霊は、私に除霊されない為に神様見習いなんて嘘をついたのだろうし、それ以外に害意はなさそうだ。それならさっさと解放しても良いが、或いは――
「――珍しいじゃん、『それ』がこんな田舎町に居るなんて」
 背後から、男の声がした。
 いつの間に、という疑問を今は持たない。知っている声だし、何故気配がないのか、その理由もよく知っている。
 私は首だけそちらに振り返り、声の主に挨拶をする。
「よお宇宿ウスキ、お前こそ珍しいな。仕事は良いのか?」
「仕事は明日から取り掛かるさ。……相変わらず驚かないのな、シヅカは」
 私の挨拶に、スーツ姿の男は肩を竦めてそう言った。
 多少着崩してはいるものの、この暑い中ジャケットまで律儀に着込んでいる彼もまた、人ならざるものである。
 宇宿望生ミキ。本人曰く、その正体は死神だ。
 死神は本来、現世において実体を持たない。だが、やんごとなき理由があって笹森と知り合ったことをきっかけに、人形を媒体にして現世にやってきて仕事をすることになったという、風変わりな死神である。最近は仕事を理由に現世こちらにやって来ては、笹森と食事に行き、様々な料理に舌鼓を打っているらしい。今日もその帰りだろうか。
「サクマとは、駅前で偶然会ったんだ。声をかけたら、ちょうど事務所に戻るってんで車に乗せてくれてさ」
 早々に事務所に入っていく笹森を指差し、宇宿は言う。
「報告を上げたら昼休みらしいから、このあと一緒に飯に行くんだ。なあ、シヅカのおすすめを教えてくれよ。この間教えてもらったラーメン屋も当たりだったから、俺はシヅカの味覚をかなり信頼してるんだぜ」
「当たり前のように心を読むんじゃねえよ……」
 いくら人ならざるものが起こす超常現象に耐性があるとしても、そんな高等技術を行使してくるのは、ごく一部に限られる。そんなものが当たり前のように職場の後輩と友達をやっているというのだから、事実は小説よりも奇なりというやつだ。
「うん? ああ、悪いわるい、無意識だった」
 右手を立てて、軽い調子で謝罪のポーズを取った宇宿は、ちらりと横目に幽霊を見て、続ける。
「おすすめの店を教えてくれるなら、今のあんたに有益な情報を教えてやろう」
 やけにもったいつけるような言いかただ。この死神は、一体なんの映画に影響を受けたんだ。
 思わずため息が漏れそうになるが、しかし、私の心を読んでなおふざけ倒す性格でもない。その言葉に、間違いはないのだろう。
「乗った。とっておきを教えてやる。ちょっとこっち来い」
 だから私は、わざと悪ふざけに乗っかったふりをし、宇宿を事務所の玄関まで来るよう促した。
「あのう……、本当の本当に便利屋さんの業務妨害はしないと誓うので、解放していただけませんか……?」
 それまで、突然人が増えたことに恐れ慄いていたらしい幽霊が、おずおずとそんな発言をした。当初に比べれば、かなり控えめな主張である。
「駄目だ。そこでもう少し待っててくれ」
「そんなぁ!」
 幽霊からの抗議の声は無視して、私は自身の守護霊に声を掛ける。
「トオル、あの人のこと、見張っててくれるか」
 私の声に、ワン、と元気に返事をすると、そのほとんど透明な身体は幽霊の近くで腰を落とした。万が一なにかあっても、これで対応できる。
 宇宿と共に事務所の玄関先へ移動するが、中には入らない。涼しい室内に入りたいことこの上ないが、基本的には宇宿も結界で弾かれる対象である以上、ここで話をするほかないのである。
「幽霊にもいくつか種類があるけど」
 宇宿は、小声で言う。
「『あれ』は、自殺者の魂だ」
「……なるほどな」
 神様見習いを騙る割に、存在に神性さが欠片も感じられなかったわけだ。加えて、幽霊であることすら否定したのは、人間は幽霊を怖がるものだと思ったからだろうか。ようやく見つけた人間に怖がられては、善行が積めない、というところだろう。
 人間には人ならざるものの事情なんてわからないと高をくくった上での嘘だったのだろうが、残念ながら私は例外である。いや、まさか猛暑の中でようやく見つけた人間が、霊能力のようなものを持ち合わせているだなんて、普通は想定すらしない。
「自殺者の魂は深く傷ついているから、善行を積むことでそれを癒やさせるんだ。大抵は効率良く善行を積む為に、都会のほうに居ることが多いんだがな」
 それでさきほど、宇宿は『こんな田舎町に居るのは珍しい』というようなことを言っていたのか。
 内心で納得する私をよそに、宇宿は続ける。
「『あれ』に生前の記憶はなかっただろ?」
「どうだろう。少なくとも、生前のことをにおわせるようなことは今現在まで発言していない、という状態ではあるが」
「それならそれで良い。自殺者の魂は、死神によって生前の記憶を厳重に封じられている。思い出したところで魂が消滅するわけじゃねえけど、善行を積むことに支障をきたしやすくなるんだ。それだけ注意して接してくれりゃ、問題ないと思うぜ」
「まるで俺がこれからなにをするつもりかわかってるような物言いだな――なんてのは、皮肉にもなんねえか」
「ならないねえ」
 宇宿はいたずらっぽい笑みを見せ、そう言った。
「なあ宇宿、これは純粋な疑問なんだが」
 不意に思ったことを、私はそのまま尋ねる。
「人間相手に、自殺者の魂の行く末なんて話して良いものなのか?」
 生者にとって、死後の世界とは未知で不確かなものだ。そもそも存在からして疑われているものなのだから、こうして死神と平然と会話をしている時点で、個人的には危ない橋を渡っているような気分になる。が、本人の言を信じるのであれば、限られたごく少数の人間が死神と交流する程度であれば、問題にならないらしい。
「うん? 普通は駄目だけど」
「おい」
「シヅカは守護霊が憑いてるから良いんだよ」
 駐車場のほうを指差し、宇宿は言う。
「あの犬、あんたの守護霊だろ? 守護霊憑きは絶対に自殺しない。いや、できないって言ったほうが正しいな。守護霊が、絶対にそれを許さないんだ。だから、その末路を辿る可能性がないシヅカにはこの話ができるが、逆に、守護霊の憑いていないサクマには、絶対に話せない」
「死神ってのも、いろいろ面倒なこと考えて生きてるんだな」
「これくらいは面倒でもなんでもないさ」
 宇宿は、目を伏せて小さく笑ったかと思うと、次の瞬間にはぱっと顔を上げる。
「それよりさ、シヅカのおすすめを教えてくれよ」
「ああ、それ、マジのやつだったのか」
「別になくてもさっきのことは教えてやったけど。ねえの、おすすめ」
「そうだなあ……。お前ら、今なに食べたい気分なんだよ」
「俺もサクマも、麺類の気分だ。サクマは暑くて食欲ないからとりあえず麺類って感じみたいだけど、できればしっかり食べてほしいかな。人間ってこの時期、夏バテってのになりやすいんだろ?」
「いくつか候補はあるが、そもそも今日はお盆だろ。今日も店開いてるところってなると……」
 脳内で、今日も営業中である可能性の高い店舗を検索する。ほどなくして、条件を満たしそうな店舗がヒットした。
「全国チェーン店ならどこでも開いてると思うが、それ以外なら『白椛しらかば食堂』はどうだ? 前にラーメンと定食が美味いって紹介した店だが、今は季節限定で冷やし中華とかやってると思うぞ」
「冷やし中華! それはまだ食べたことないやつだな」
 あとは笹森の食欲次第と言ったところだろうか、と考えたところで、ちょうど本人が姿を現した。暑さに顔をしかめながら、外に出てくる。
「お二人さん、こんなところでなにしてるんですか?」
「シヅカに昼飯のおすすめを訊いてたんだ」
 私がなにか言うよりも先に、宇宿が笹森の質問に答える。
「なあサクマ、『白椛食堂』で冷やし中華はどうだ?」
「良いねえ、冷やし中華。今日はそこにしよっか」
 そう言って頷いた笹森の顔色は、あまり良いものではない。連日の暑さに加え、お盆期間に依頼が集中したこともあり、疲れが出始めている。
「笹森、社用車を使って良いから、原付で行くのはやめとけ。マジで熱中症か日射病になるぞ」
 自身が通勤で使っている原付バイクに向かっていた笹森の背中に、そう声をかけた。
 今日の午後は、夕方に送迎の依頼が一件入っているだけだから、この時間帯に一台使っても問題ない。……というか、笹森の原付バイクで二人乗りはできない。どうやって宇宿と二人で向かうつもりだったのだろう。それこそ、宇宿が人形に姿を変えて、笹森の鞄にでも入る予定だったのだろうか。
「わーありがたやー。お言葉に甘えさせていただきますー」
 私のポケットに入ったままになっていた社用車のキーを、笹森に渡す。エンジンを切ってから少し時間が経っているから、車内の温度は若干高いだろうが、原付バイクで向かうよりはマシだろう。
 演技がかった動作で恭しくキーを受け取った笹森は、社用車に足を向ける。その後ろを、宇宿が着いていく。
「ミキ、だから貴方が乗るのは助手席だってば。ほら、反対側の前の席」
「うん? ああ、そうだったな。ジョシュセキ、ジョシュセキ」
 現世の文明に疎い死神を助手席に座らせると、笹森も社用車に乗り込み、エンジンをかけた。換気の為に窓を全開にし、笹森はそこからひょいと顔を出す。
「それじゃあ志塚さん、お昼お先にいただきますねー」
「またなー、シヅカ」
「おう、いってら。白椛さんによろしく言っといてくれ」
 学生の頃から通っている定食屋への伝言を頼むと、後輩は親指をぐっと立てて了承してくれた。その横で、死神は乗り慣れていない車にはしゃいで手を振っている。
「……さて」
 二人を見送ってから、私は駐車場の奥へと戻る。
 ぱちんと指を鳴らして彼女を拘束していた術を解き、守護霊に声をかける。
「トオル、もう良いよ。さんきゅな」
 守護霊はワンと元気に返事をし、私の足元へ戻ってきた。頭を撫でてやると、ほとんど透明な愛犬が、嬉しそうに目を細める様子が微かに伺えた。そうして満足すると、とぷんと私の影に溶けて行く。ここがあの子の家なのだ。
「こ、拘束を解いてくれて、ありがとうございます」
 霊体だから身体が拘束で軋むことも痛むこともないだろうが、生前の性質に引っ張られているのか、幽霊は自身の肩や手首をさすりながら、そう言った。
「あんたさ、善行を積みたいんなら、この町の役場で働かないか?」
「へ?」
 なにを言われているか全く理解できない、と言った様子で、幽霊はぽかんと口を開けていた。実際、幽霊が町役場で働くなんて、冗談にしか聞こえないだろう。
 しかし、ここは透目町すきめちょうだ。
 どれだけ奇妙なことだろうと、日常が飲み込んで正常に成立させてしまえる土地なのだ。
「この町には、一般的に多く利用される透目町役場の他に、第二役場ってのがあるんだ。不思議なもんで、特殊な事情があったりして人間社会からはみ出しちまった人らは、昔から自然とこの町に行き着くらしい。だから行政も、ある程度は対応できるんだ」
 たとえば、水中での生活が主で陸上での生活ができないから、定期的にウチに日用品の買い出しを依頼してくる常連さん。
 たとえば、何十年経とうと三十代前半ほどの見た目から変わらないから、ときたま外部とのやりとりをウチに委託してくる喫茶店のマスター。
「あんたもそうだが、そういう人たちは一般的な行政では管理しきれない。が、透目町はこういう土地柄だからか、多少のノウハウがあってな。この町でのみ有効な身分証やら口座やら、なにかと支援してくれるんだ」
「……つまり、私もその役場で働いて、そういう人たちの支援に関わることで、それが善行に繋がる、ということですか?」
「理解が早くて助かるよ。それに、その支援はあんたにだって適用される」
「ゆ、幽霊にも、ですか? ……あ」
 訊いてから、自身が幽霊であると自白したことに気づいたらしく、彼女は思わず両手でその口を塞いだ。が、既にその言葉をしっかり聞き取った身としては、はぐらかされてやるつもりはない。
「神様見習いなんて胡散臭いって、最初に言っただろ。もとより信じちゃいなかったが、あんた、自分が幽霊だって自覚はちゃんとあるんだな?」
「……はい」
 僅かな逡巡の末、彼女は首肯する。
「どれくらい前のことかはわからないですけど、この手にある数字がゼロになるまで善行を積んでいけば成仏できるって、言われたんです」
 先の宇宿の話から察するに、それを彼女に伝えたのは死神だろう。
「それ、特に時間制限はないんだろ?」
「はい」
「じゃあまあ、この町でゆっくり善行を積んでも良いんじゃないか?」
 さきほどの宇宿との会話を頭の中で反芻しながら、私は言う。
 自殺者の魂は、善行を積むことでそうなるに至った傷を癒やす。
 果たしてそれは、カミサマに与えられた罰なのか、救済なのか。一人間である私には、皆目見当もつかない。
 ただ、この町に居る間は、せめて穏やかな時間を過ごせるように、とは思う。
「幽霊でも、職員として福利厚生はきちんとしてるらしいぜ。第二役場ってのは旧町立病院を改装した建物なんだが、空いてる部屋を霊体職員の個室として使ってるって、そこに勤めてる地縛霊のおっちゃんが言ってたんだ。細かいところは実際に行って訊いてみるしかないと思うが、あんた、どうする?」
 恐らく彼女にとっては急転直下の展開に、口を真一文字に閉じて懸命に私の言葉を噛み砕いていた。
 噛み砕いて、噛み砕いて、確かめて。
 そして、飲み込む。
 すっと顔を上げて、幽霊は私と目を合わせた。
 どうやら心は決まったらしい。
「この町で働いてみたいです」
「おっけ。じゃあ早速行くか、第二役場。あんた、先に車に乗って待ってろよ。鍵がかかってても、霊体ならすり抜けて入れるだろ?」
「そりゃあ入れますけど、え、これから行くんですか? 今日、お盆ですよ?」
「第二役場のほうは、基本的に誰かしら居ることになってるから、問題ない」
 第二役場はその性質上、基本的に年中無休だ。稀に、緊急で保護や支援が必要な人が現れる以上、そうせざるを得ないのである。勤務形態でトラブルは起きていないと聞いているが、人手が増えるのは大歓迎とも聞いている。
 私は再び事務所に戻り、副所長に事情を話して社用車の鍵を借りて、駐車場へ戻るとロックを解除し、助手席に幽霊が待機している車に乗り込んだ。エンジンをかけ、冷房を最大出力で回し、出発する。
「第二役場に着いたら、俺が話を通すところまでは手伝えるが、一応、面接とかはあると思うからな。それだけ念頭に置いておいてくれるか」
「が、頑張ります……!」
「そんなに緊張しなくて良い。変なやつかどうかの確認だけだから。ああ、だから間違っても『幸せになりたい人を探してます』とか言うんじゃねえぞ」
「肝に銘じておきます……!」
「……」
 本音を言えば、第二役場に到着するまでにもう何個か言っておきたいことはあったのだが。私が言えば言うほど肩に力が入っていく様子では、これ以上は必要以上に萎縮させかねない。
「そういえば」
 だから私は、意図的に話題を変えることにする。
「あんたの名前は? まだ聞いてなかったよな」
「そうですけど、名乗っていないのは、貴方も同じですよね」
 言われてみれば、名乗っていなかったか。思えば、出会い頭に捕縛して尋問してたものな、なんて考えつつ頬を掻く。
「俺の名前は、志塚拓人たくとだ。それで、あんたは?」
「私の名前は……ずっと前から、わかんなくなっちゃってまして……」
 それは、死神によって封印された記憶に名前も含まれているのか。
 それとも、途方もない時間を幽霊として過ごしているうちに忘却してしまったのか。
 そこまでは、私では踏み込めない。
「じゃあ、この町で使う名前を決めなきゃだな。特に希望がなければ、名字は俺のを貸しても良いけど」
「名前……」
 呟くようにそう言って、彼女は黙りこくってしまった。
 言わずもがな、自分がこれからこの町で名乗る名前を思案しているのだろう。第二の人生、と呼ぶには不謹慎が過ぎるだろうが、この町に居る限りは必要なものだ。どうせなら本人が納得できる名前を決めて欲しい。
 田舎の代わり映えしない風景を、法定内速度で車は進んで行く。彼女が名前決めに難航するようであれば、目的地まで遠回りで向かったほうが良いか、なんて考えた矢先。
「志塚さんに決めてもらいたいっていうのは、駄目ですか?」
 と。
 運転中で顔はそちらに向けられないが、視界の端からじっと見つめられているのがわかった。
「構わないが……俺で良いのか?」
「自分で考えてみても、なんか格好つけみたいな名前ばっかり思いついちゃって。現実的で日常的な名前って、考えてみると難しいんですね。親ってすごいんだなあ」
「……」
「志塚さん?」
「うん? ああ、名前だったな。そうだなあ……」
 私が考えて良い範疇から外れたことまで考えだしたところで呼び止められ、私の思考回路は本題に戻る。
 私は独身で、人に名前を付けたことなんて一度もない。私が付けた名前といえば、それこそ、守護霊の犬くらいのものだ。あのときは、至極単純だった。『透目町』の『透』の字から取って『トオル』。我ながら良い名前だと思うが、しかし、人の親のようになにか願いが込められたものではない。
「俺だってセンスがあるわけじゃないから、気に入らなければ自分で考えてくれよ」
 そう前置きしたところで、車はちょうど赤信号で停止した。
 左に曲がれば、第二役場。
 右に曲がれば、遠回りすることになる。
 ウインカーをどちらに出そうか考えながら、私は言う。
きく。志塚菊はどうだ?」
 口に出して言った直後、後悔に苛まれる。
 トオルのときから、全くセンスの成長が見られなかったからだ。
 今回に至っては、今日がお盆で、ここ半月ほどお盆の準備やらなにやらで、頻繁に菊の花を見たからという理由だ。これは流石に却下だ、と思いつつ、ウインカーを右に出そうかと思ったのだが。
「良いですね、その名前。志塚菊、菊、菊さん、菊ちゃん……うん、私、その名前にします!」
 見れば、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「俺が言うのもなんだが、本当にそれで良いのか?」
「無問題です!」
「それなら別に良いけど……」
 言って、私は左にウインカーを出した。
 志塚菊。
 八月十五日に突如便利屋の前に現れ、神様見習いを自称した、その実、自殺者の魂。
 彼女はその後、第二役場の敏腕職員として名を馳せることになるのだが、それはまた別の話である。




※志塚と笹森が、女子大生からの依頼を受けた物語はこちら。

※笹森と宇宿の出会いとなる物語はこちら(有料記事です)。


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