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【短編小説】友達(猫)を殺した犯人を捕まえる為に友達(人間)と協力して張り込みをする「私」の話

『はんぶんこの二乗と抱擁』


 友達が二人、公園で殺された。
 いや、この表現は些か正確性に欠くか。事実に即して著すのであれば、「友達の地域猫が二匹、公園で殺された」である。
 私は子どもの頃から、猫と仲が良かった。
 それは一般的に動物に好かれている状態というものではなく、本当の本当に、猫に特化していると言って良い。母さんが言うには、赤ちゃんの頃に公園デビューしたその日に、それはもうすごい数の地域猫が寄ってきたそうだ。
 さらに、私には猫の話す言葉がわかるということもあり、猫たちとは加速度的に仲良くなっていった。小学校に上がるまでは、姉さんの次によく遊んでいたのは地域猫の一匹であるしろさんだったし、小学生以降、登下校のときには常に数多の地域猫による見送りと出迎えがあった。無論、それは高校生になった今でも継続中である。
 ただし、地域猫の中でも一番仲の良かったしろさんは、もう居ない。私が高校受験を控えた中学三年生の冬に、老衰で亡くなってしまったのだ。野良猫でありながら十六年も生きたのだ、大往生だろう。
 私の前世は恐らく猫で、しろさんと兄弟だったのだと思う。思い起こせば、しろさんは最初期、私のことをよく「兄さん」と呼んでいた。今生の私は、その名残で猫の言葉がわかるのだろうし、だからこそしろさんは、常に私のことを気にかけてくれたのだと思う。根拠なんてなにもないけれど、なんだろう、魂が理解している、という表現が一番近いのかもしれない。
 しろさんが前世の猫である私について話すことは、ほとんどなかった。ただ、子猫の頃に二匹で協力して生き抜いていた最中に私が死に。その翌年、人間の家で新たな生を受けて戻ってきた気配を察知して、それはもう喜んだと言っていた。
 私がこうして猫から人間に生まれ変わったのであれば、しろさんだって可能性はある。しろさんにだってわかったのだ、私だって、しろさんの生まれ変わった姿に気づけるはずである。そう思っていたのだが、あれから二年が経った今もまだ、巡り会えてはいない。人間に生まれ変わっているのだとしたら、生活圏が異なっているのだろうか。或いは、しろさんのことだから、また猫に転生しているのかもしれない。そう思って、高校生になってから始めた動物の保護施設でのボランティアでも、それとなく犬や猫と接する際に気にかけてはいるのだが、状況は変わらずである。
 話が逸れてしまった。
 友達が殺されてしまった話をしていたはずだ。
 一人目の殺害現場は、私もよく猫集会で利用する、そこそこの大きさの公園。
 死因は、失血死。
 実際にこの目で見たわけではないが、目撃者(猫)によれば、遺体は何者かに噛み千切られていたらしい。犯行時刻は恐らく夜で、犯行現場を目撃した子はおらず、朝になって餌を探しに出てみたところで、血溜まりに横たわる仲間の死体を見つけた、とのことだった。
 話を聞いた当初、犯人は凶暴な野生動物かと思ったのだが。猫たちの証言によれば、噛み傷は犬や猫のものではないらしい。それなら猪か熊なんじゃないか、とも考えたが、しかし、町役場からそういった情報は出されていない。
 であれば、犯人は人間なのだろう。
 ニュースで時折耳にする、野良猫を虐待したり毒殺したりする異常者が、この町にも現れたのかもしれない。
 勿論、大人たちも動いている。公園には、見回りの大人が頻繁に来るようになったし、私も猫集会に顔を出しては、猫たちに注意喚起を行っていた。
 けれど。
 その努力も虚しく、二人目の犠牲者が出てしまった。
 犯行場所も犯行時間も、それから死因も、一人目と同じ。
 夜のうちに公園で噛みつかれ、そのまま失血死。
「――というわけで、雅貴まさたかくん。犯人確保にご協力をお願いします」
 日曜日の昼下がり。
 件の公園の奥にある広場で、私と同様に猫集会に参加を許可されている人間――辻瀬つじせ雅貴くんに事情を話し、協力を求めた。
 雅貴くんには、公園に居る間だけ時間の流れを遅くするという能力がある。しろさんが、それなら天気の良い日の昼下がり、公園に来て貰えれば昼寝の時間が伸びるのでは、という天才的な発想により、三年ほど前から猫集会に呼ばれるようになった人間だ。とはいえ、雅貴くんは社会人で、平日の昼間は会社で仕事をしている。だからといって猫からのお願いを無下にすることなく、休日の昼間に時間を作っては集会に顔を出してくれているという、優しい大人のひとだ。
「いやいや、どうして僕に頼むんだよ。そういうのは志塚しづかのほうに頼んでくれよ。そういう案件こそ、便利屋を利用するべきだろ」
 右手をぱたぱたと横に振り、優しい大人であるところの雅貴くんは、やんわり拒否の姿勢を取った。
 雅貴くんの言う『志塚』とは、彼の同級生であり、現在はこの町で便利屋に勤める友人である。雅貴くん経由で話したこともあるし、ボランティアの散歩中に何度か仕事中の彼を見かけたこともある。友達の友達という距離感は難しいところがあるのだが、問題はそこではない。
「バイトもしてない高校生が、便利屋さんに依頼できるほどのお金を持ってるわけないじゃないですか」
「お小遣いとかお年玉とか、貯めてないの?」
「俺、そういうのは本とゲーム代に溶かしちゃう派なんですよね。あ、そういえば雅貴くん、この間言ってた作家の新刊、もう読んだ? 俺さ、主人公の宿命ってやつが――」
「こらこら、話が逸れてるぞ」
「おっと」
「あと、僕はまだその新刊は読めてないから、ネタバレしないで欲しい」
「えー、あれ発売されたの、先々週だよ? 遅くないですか?」
「社会人は読書の時間も確保しにくい、哀しい生き物なんだよ……」
 なにやら社会人の闇が垣間見えてきてしまったので、話を戻そう。
「ともかく、予算の都合上、便利屋さんへの依頼はできないかな。それとも、雅貴くんが代わりに払ってくれるんですか? 犯人確保するまでの張り込みとかを考えると、拘束時間が長くなるから、結構な料金になると思いますよ」
「……。よぉし琥珀こはくくん、僕と一緒に犯人捕まえような!」
「わーい、やったあ!」
 というわけで、人員一名確保である。
 流石に、未成年が一人で夜の公園に居るという状態が危険ということはわかっていた。だから、万が一のときに外部へ連絡し、助けてくれる人間が居るというだけでも、安心感はかなり増す。
「まあ、手伝うのは別に構わないんだけどさ。聞いた感じ、見回りも注意喚起もしてるんだろ? 僕らがどうこうしなくても、そのうち捕まるんじゃない?」
 近くに寄ってきた猫を撫でながら、雅貴くんは言った。
「それはそうかもだけど、でも、その間、この子たちは危険に晒されるわけじゃないですか。現に、見回りも注意喚起もしていた中で、犠牲が出ちゃってるし。下手に長引いたら、冬になっちゃうかもしれない。猫たちの動きが鈍ってるところを狙われたらと思うと、早めに解決しておきたいなって思って」
 今は九月中旬。
 少し気が早いかもしれないが、友達の命が危険に晒されている状態が長く続いて良いことなんて、ひとつもない。
「なるほどな。確かに、それは急いだほうが良い。気がそぞろになって、二学期中間で酷い点を取って補習になるのも、友達に悪いものな」
「そ、それも理由のひとつではあるけど……」
 そういえば、一学期の期末テストの点が振るわなかったことを、雅貴くんには話していたんだったか。
 私は猫の言葉がわかるという特性を活かして獣医を目指し、日々勉学に励んでいるのだが。先のテスト期間は迷子の猫を捕まえることに熱を注ぎすぎて、勉強が疎かになってしまったのだ。
「それで? 夜に公園に張り込んで、犯人と思しき人物を特定していく感じで良いの?」
「そうだね。証拠映像を撮って、警察に捕まえてもらうのが現実的かなとは思ってます」
 猫に危害を加えている決定的場面でなくとも、噛みつこうとしているその手前まで撮れていれば、それで良い。猫への被害は極力抑えたい。
「俺は比較的猫が集まりやすいここら辺で張ろうと思うので、雅貴くんは向こう側、公園の出入り口辺りを、近くの高台から見張ってもらいたいなって」
「僕が公園に入ると時間経過が遅くなるし、それが良いだろうね」
 そうして雅貴くんと計画を練っていたところに、この辺りのボス猫である茶トラのチヒロくんがやって来た。その後ろには、黒猫のヤマトくんも居る。
『琥珀、聞いてくれ。犯人を見たってやつが居たんで、連れてきたんだ』
 にゃあにゃあという猫の鳴き声は、私にとっては人間の言葉と同じように聞き取れる。音としては鳴き声なのだが、脳が勝手にそれを理解してしまえる、と表現するのが、感覚としては一番近いのかもしれない。
「本当? ありがとう、チヒロくん」
『良いってことよ。ほらヤマト、さっきの話、こいつにもしてやってくれ』
 言いながら、チヒロくんは胡座をかいている私の膝上にどかっと座った。頭を撫でてあげると気持ちよさそうに目を細めたが、後輩であるヤマトくんの手前か、いつものように自分から甘えてこない。
『おれ、きなこに噛みついた人間を見たんスよ』
 私の前に腰を落としたヤマトくんは、開口一番に有力な情報を口にした。きなことは、二人目の犠牲者となった茶白の猫の名前である。
「その人間、オスかメスかはわかった?」
『メスでした。毛が長かったッス』
「どのくらいの長さかな。肩くらいとか、腰くらいとか……」
 身振り手振りで髪の長さの目安を尋ねると、ヤマトくんは少し首を傾げて記憶を辿るような仕草を見せてから、
『肩くらいまでッスね』
と答えた。
「髪が肩まである女性か……」
『あ、あと、きなこに噛みついたあと、そのままきなこのことを喰い始めたんスよ。おれ、人間の言葉はわかんねえけど、なんかぶつぶつ言ってて、すげぇ怖かった……』
「それは、怖くて当然だよ。君になにごともなくて、本当に良かった」
 私が手を差し出すと、ヤマトくんはすっとこちらに寄ってきてくれた。撫でながら、念の為、この子に怪我がないかを確認する。が、特に外傷はないようだ。
『じゃあおれ、これから夜野よるののばあちゃんのところに、ご飯もらいに行くんで!』
「うん、話してくれてありがとうね」
 気をつけて、と言いつつ、ヤマトくんを見送る。近くの茂みに入っていったヤマトくんの姿は、あっという間に見えなくなった。
「チヒロくんも、ありがとうね」
『どうってことないさ。オレも、仲間を殺したやつは早くここから居なくなってほしいし』
「そうだよねえ。あ、妹のチカちゃんは元気? 最近あんまり見かけないんだけど」
『チカは今、源本みなもとさんちの敷地内に居るように言ってあるんだ』
「そっか、源本さんのところなら安心だ。チヒロくんも今はそこでお世話になってる感じ?」
『オレはパトロールがあるから、ずっとじゃないけど。夜は源本さんちで寝るようにしてるぜ』
「うん、しばらくはそれが良いよ」
『じゃ、オレもパトロールの続きがあるから。またな、琥珀』
「うん、またね、チヒロくん。忙しいのにありがとう」
 ひょいと私の膝から降りると、チヒロくんは来た道を引き返して行った。流石、しろさんが直々に後継者と認めた猫だ。ボス猫然とした、堂々たる足取りである。
「……というわけで、犯人に関する新情報ゲットです」
 言って、私は雅貴くんのほうに向き直った。
「何度見ても、不思議な光景だなあ。でもまあ、今のはなんとなくわかったよ。さっきの黒猫が犯人を見かけた、みたいな話でしょ?」
「うん、だいたいそんな感じ」
 そうして私は、たった今ヤマトくんから聞き取った情報を、雅貴くんに共有した。
 犯人は、髪が肩ほどまである女性らしいということ。
 猫に噛みつき、そのまま食べていたらしいということ。
 その際、なにやらぶつぶつと言っていたらしいこと。
「……それ、なにを言ってたのかは、わからなかったんだよね?」
「そうみたい。まあ、人間が猫の言葉を理解できないように、猫も人間の言葉は理解できない場合が多いから。特にヤマトくんは若い猫だから、余計にね」
 逆に言えば、長生きしている猫ほど、人間の言葉を理解することが多かったりする。とはいえ、それは個人差が大きい。人間の言葉がわかる猫に追跡を頼めば、その呟いていた内容もわかるかもしれないが、あまりに危険度が高過ぎる。外で暮らす猫を喰らう異常者には、極力近づけたくなかった。
「今夜から張り込みを始めるとして、琥珀くん、僕とふたつだけ約束をしよう」
「なに?」
 首を傾げた私を、雅貴くんは真っ直ぐに見据えて、言う。
「張り込み中は、常に僕と音声通話を繋いでおくこと。あと、危ないと思ったらすぐ逃げること」
「それは、保護者として?」
「半分はそう。もう半分は、友達としてだよ。僕だって、友達に傷ついて欲しくはないからさ」
「それは、うん、そうだね。わかった」
 それじゃあ、頑張ろう。
 そう言って、私たちは互いの拳をこつんと合わせた。


 張り込み開始から三日が経過した。
 あれから、犯人と思しき人物は公園に現れていない。
 よく公園に来る猫たちに聞いてみても、怪しげな人間は見ていないとのことだった。
 警察による見回りと、有志による注意喚起の周知活動が功を奏したのだろうか。これで犯人がフェードアウトしてくれるのであれば、直近の危機は去ったとも言える。念の為にもうしばらく張り込みを続ける程度で、事件は緩やかに解決へと向かっていっていると思っていたのだけれど。
 その日の朝。
 私はいつも通り、猫たちと話をしながら登校した。
 そしてすぐに、教室内で普段と異なる点があることに気がつく。
 それは、普段は朝早くに登校している友達が不在である、ということだった。
 花桐はなぎりみどり――彼女は私と出身中学が同じで、進学した高校も一緒になった友達だ。一年生のときはクラスが離れていたが、今年は同じクラスになったということもあり、朝の挨拶は恒例となっていた。
 そうは言っても、彼女は子どもの頃から失声症という状態にあり、最近でこそか細い声が出るようになったとはいえ、一般的な声量での日常会話は未だに難しい。それでも私は、毎朝彼女から精一杯の「おはよう」の声を聞くことを、ささやかな楽しみにしていた。
 一方で、彼女は私と二人きりのときに限り、とても雄弁に語る。
 それでは先の彼女の状態と相反するのではないか、なんて思われるかもしれない。だが、彼女には『もうひとつの声がある』と言ったら、話はちょっとだけ変わってくるだろう。なにせ、彼女には――
「――……く、琥珀……」
 自分の席について、鞄から机に勉強道具を移していた私に向けて、震えた声がした。
 見れば、みどりが目元を真っ赤にして、こちらを見ているではないか。
「ど、どうしたの、みどり?! 転んだ? それとも、お腹痛いとか?」
 咄嗟に立ち上がり、彼女の状態を確認する。外から見た感じ、怪我はない。泣き腫らしているとはいえ、顔色が悪いということもない。
「は、ハルちゃ……ハルちゃん、が……」
 か細く掠れた声で、ぼろぼろと涙を零しながら、みどりは必死に状況を説明しようとしてくれている。しかし、あまり無理に話そうとすると、彼女の喉に負担をかけかねない。
「保健室に行こう、保健室! あ、牧田まきた君、花桐さんが体調悪いみたいだから、俺、保健室まで送り届けてくるね! 一限目、休むかもしれないって先生に言っておいてくれる?」
 隣の席のクラスメイトに伝言を頼み、私はみどりと連れ立って教室を出た。
 が、行き先は保健室ではない。今は彼女にとって安心して話ができる場所――駐輪場裏に行くべきだと判断した。生徒玄関を目指し階段を降りている途中に、朝のSHRショートホームルーム開始を告げるチャイムが鳴った。他の生徒は皆、私たちと逆に階段を上っていく。
 下駄箱で靴を外履きに履き替え、一応は周りに誰も居ないか注意しつつ、駐輪場裏へと到着した。ここなら人目につきにくい上に、美術部であるみどりが頻繁に来ている写生スポットだ。彼女のテリトリーであるここでなら、安心して話ができるはずである。
「とりあえず……お茶、飲む?」
 教室を出る前、咄嗟に鞄から持ち出してきた水筒のコップにお茶を注ぎ、みどりに差し出す。すると、移動中に涙は一旦止まっていたらしいみどりは、少し呆然としつつもそれを受け取り、
『……ありがとう』
と、カワセミの鳴き声を発して、そう言った。
 そう、彼女にはもうひとつの声がある。
 それは、カワセミという鳥の声だ。
 本人曰く、昔は姿もカワセミに変えられたらしいが、現在は声を発するのみ。また、そういう特性があるが故に、みどりは鳥全般と会話ができるのだ。
 私が問題なく聞き取れる動物の声は、猫が主だ。そこから、犬、鳥類と、言語の解像度が下がっていく。みどりと話をするようになってまだ一年ちょっとだが、その間にだいぶカワセミの言葉は聞き取れるようになったほうだと自負している。
 みどりがお茶を飲んで一息ついている間に、一限目の開始を告げるチャイムが鳴った。欠席については牧田君に伝言を頼んでいるから、ただ引率しただけの私の欠席は訝しまれるだろうが、みどりのほうは問題ないだろう。
『……ハルちゃんが、死んでたの』
 気力のない弱々しい声音で、みどりは言った。
「ハルちゃんって、確か、みどりの近所で巣を作ってた、ツバメのことだよね?」
 それは春先から夏にかけて、みどりが頻繁に口にしていた話題だ。忙しなかった子育ても最近になってようやく落ち着き、ゆっくり話ができるようになって楽しい、というようなことを話していたと記憶している。
『ハルちゃん、うちの近くで……噛み千切られて死んでて……それで、埋葬してから学校に来たら、いつもより遅くなっちゃった……』
「噛み千切られて……」
 どうしたってこのタイミングでそう言われてしまえば、公園に出没する猫殺しの犯人を想起せざるを得ない。しかし、鳥が亡くなる理由は、なにもそれだけとは限らない。交通事故、野犬、野良猫――そういった要因で亡くなった可能性だって、十二分に考えられる。
 と、思ったのだけれど。
『それでね、ハルちゃんを埋めてるときに、チカちゃんが来て、教えてくれたの。「この子を殺したのは人間だよ。ヤマトが言ってたやつがやったのを見た」って。ねえ、ヤマトって、琥珀の知り合いの猫だよね?』
 どうやら私の知らないところで、状況は動き続けていたらしい。
 先日、私に情報提供の協力をしてくれたチヒロくんの妹である、チカちゃん。彼女が現在避難所として滞在している源本さんの家は、みどりの家がある住宅街の近くだ。きっとチカちゃんは偶然犯行現場を目撃し、その被害者がみどりと仲が良いことを知っていたから、善意でみどりに教えてくれたのだろう。けれど、如何せんタイミングが悪過ぎる。友達が殺されて間もない人間にそういうことを伝えたら、復讐心を煽るのは明らかだ。
 案の定、どういうことなのか、とみどりから、言外に詳細を語るよう圧をかけられているのがわかる。
 張り込み人員が増えるのであれば、事件の詳細を洗い浚い話してしまっても良いんじゃないか、という気持ちが半分。
 状況的に冷静さを欠く友達を巻き込むのは、あまりに危険ではないか、という危惧が半分。
 思案する私に、みどりは圧を強めるように、涙を拭って、言う。
『琥珀は事実を正しく伝えてくれたら、それで良い。それを聞いて私がどう行動するかまでは、貴方の責任じゃないでしょ』
 私の思考を読んだかのような言いかたに、思わずごくりと唾を飲んだ。
 なにが正解で不正解かなんて、今の時点でわかるわけもない。仮に選択肢を間違えたとして、選択した瞬間に戻ってやり直せるわけでもない。人生は日常的に選択をして構成されていくが、こういう盤面での選択ほど苦しいものはない。
 けれど、選ばないという選択は、あまりしたくない。
 選ばなかったことを、なにもしないでいたことを、後になって悔やむのだけは嫌だった。
 だってそれは、しろさんの最期から学んだことだったから。
「……わかった、話す、話すよ」
 降参です、という意思表示代わりに両手を軽く上げながら、私は言う。
「話すけど、それによってみどりがどういう行動を取ろうと、俺はそれをフォローするつもりだから、そこのところよろしくね」
『別に、フォローなんて、要らないのに』
「友達が困ってたら助けたいと思うのが、俺の性分だからさ。たぶんそれは、今みどりがハルちゃんのことでなにか行動を起こしたいって思うのと、似たものだと思うんだ」
『……そうだね。琥珀は、確かにそういう人だね』
 そう言って、みどりは力なく笑った。
「それで、ええと、チカちゃんが言っていたことなんだけれど……」
 そうして私は、現在、近所の公園で起きている事件について話した。
 みどりは終始、眉間にしわを寄せていたが、いろんな言葉を喉の奥に押し込んで、黙って聞いていた。
『……次に私が言うこと、琥珀はもうわかってると思うけど、言わせてもらうね』
 私からの説明が終わると、みどりはそう宣言し、大きく深呼吸をしてから、続ける。
『私も、一緒に張り込みする』
「うん、だよね」
 そうなるのだろうな、と予測ができていた私は、ただ頷く。彼女の立場になって考えてみれば、それを跳ね除けることも否定することも、できるわけがなかった。
「あ、だけど帰りは俺に送らせてね。今回の犯人がどうこう以前に、夜道は危険だからさ」
『それは……いや、うん、わかった』
 なにかを言いかけつつも、みどりは了承してくれた。
 もしかしたら、帰り道だって鳥の友達と一緒に帰るから、送迎は不要だと言いたかったのかもしれない。みどりは人間よりも、鳥の友達のほうが多いのだ。
「それじゃあ、今夜の張り込みからよろしく頼むよ。公園は、ちょうど俺とみどりの家の間くらいの場所にあって――」
 結局、それから張り込みの計画を詰めていたら、一限目が終わっていた。
 見事に授業をサボったことになった私たちは、今回は初回ということで、担任の先生から厳重に注意を受ける程度で済んだのだった。


「妙だな」
 夜。
 仕事終わりの雅貴くんとも合流し、昼間のことを話したところ、彼は険しい表情を浮かべてそう言った。
「妙って、なにが?」
 犯行現場が公園以外だったことだろうか。
 それとも、猫以外が殺害されたことだろうか。
 私が咄嗟に思いついたのはそのふたつだったが、雅貴くんは、
「順番が逆じゃないか?」
と、そのどちらでもない点を指摘した。
『まずはネズミなどの小動物、それから鳥、犬や猫――それが順当ということですか?』
 雅貴くんの意図するところが読めたように、みどりは言った。
 雅貴くんとみどりは、以前から猫集会で顔を合わせている仲だ。雅貴くんもみどりがカワセミの声で話すほうが楽ということは理解しており、私が逐一翻訳して彼に伝える。
「それが順当ってやつなのかどうかはわからないけど、まあ、論理としてはそうだね。少しずつ殺害対象を大きくしていって、最終的には人間を殺したい。そういう凶悪犯罪は、これまでにも起きてるからさ」
『だけど今回、成猫二匹を殺したあと、ツバメを一匹殺している。殺害方法が同じなのに、対象のサイズが小さくなってるのは、確かに妙だと言えますね』
「俺がこの辺りの猫に直接注意喚起した結果、猫が人前に現れにくくなったからっていうのも考えられない?」
「たぶん、それも一理ある。犬猫が見当たらなくなって、標的を鳥に移した可能性はある。或いは、最終目標が人間の殺害ではない、とか……?」
『ていうか、そもそも、動物を噛み千切って食べるって、どういうことなんでしょうか』
「そういう特性なのか、単に異常者なのか……。どちらにせよ危険人物であることに変わらないわけだけど……二人とも、張り込みは続けるの?」
 雅貴くんの問いかけに、私とみどりは、ほぼ同時に力強く首肯した。
 私もみどりも、犯人に友達を殺されている。
 その罪を償わせる為の行動を辞めるつもりは、毛頭なかった。
「まあそうだろうね」
 雅貴くんは苦笑して、続ける。
「これは琥珀くんにも言ったことだけど、みどりちゃんも張り込み中は僕たちと通話を繋いでおいてね。あと、危ないと思ったらすぐに逃げること」
「あ、それなんだけどさ、雅貴くん。みどりは俺と同じ場所で張り込みしてもらおうかなって思ってるんだけど、どうかな」
「確かに、夜の公園に女子高生が一人で居るより、公園の近くで成人男性と二人で張り込むよりかは安全かな。みどりちゃんも、それで良いんだよね?」
『はい』
 頷いて、みどりは持参したリュックサックから、いくつかの防犯グッズを取り出した。防犯ブザー、催涙スプレー、スタンガン。準備万端である。
『なんだかんだで親が過保護なもので。あ、予備も持ってきてるから、琥珀に貸してあげるね』
「あ、ありがと」
 そう言って、みどりがおもむろに渡してきたのは、催涙スプレーだった。有り難く受け取り、ズボンのポケットに仕舞う。
 そうして、雅貴くんは公園近くの高台へ、私たちも公園内にある猫集会場所近くへ移動し、張り込みを開始した。
 秋の涼しい夜風が吹き、秋の虫が至るところで鳴いている。
 こんなに穏やかな秋の夜に、それとは正反対の不審者を捕まえる為の張り込みをしているという状況が、いやにちぐはぐだ。うっかりすると気が抜けてしまいそうな環境だが、それを正すような夜の闇と静寂が、重く横たわっている。
 ここ数日は動きがなかったのに、今日になって動きがあったこと。
 その標的が、猫ではなく鳥に変わっていたこと。
 単に殺害を楽しんでいるだけなのか、雅貴くんの言っていたように、最終的に人間を殺す為の練習をしているのか。異常者の思考回路を完璧に理解したいとは思わない。私が望むのは、この異常事態を終わらせることだけだ。
 と。
 小さな羽ばたきと共に、みどりの隣にフクロウが降り立った。
 フクロウはみどりに向かってなにかを伝えるように鳴いている。彼女の友達だろうとは思うが、夜間にみどりを見かけたのが珍しくて、声をかけにきたのだろうか。
 みどりの発するカワセミの声は聞き取れるようになってきたが、鳥の声は種類によって異なるからか、カワセミ以外はからきしだ。特にフクロウとなると、日常的に接する機会がない動物であるが故に、私にはフクロウがなにを話しているかは全くわからない。きっと、普段私が猫と話をしているとき、他の人からはこんな風に見えているんだろうな、なんて、半ば和やかな気持ちでそれを眺めていたが、みどりの表情が徐々に険しくなっていくにつれ、そんな気持ちは吹き飛んでいった。
『……うん、ありがとう。貴方も気をつけてね』
 みどりがそう言うと、フクロウは颯爽と飛び立っていった。あっという間にその姿は夜の闇に溶けていく。
 それを見送ってから、みどりは私のほうに向き直り、
『犯人かもしれない人間が、こっちに来てるって』
と言った。
 そういえば、今日の昼休みと放課後に、例によって学校の駐輪場裏で、なにやら鳥を集めて話していたなとは思っていたが。まさか、鳥による情報共有と収集を始めていたとは思わなかった。
 緊張で、喉の奥あたりがかっと熱くなったような錯覚に陥る。
「雅貴くん、聞こえてる?」
 私は自身に冷静になるよう言い聞かせながら、通話を繋いだままの雅貴くんに呼びかけた。
『聞こえてる。どうした?』
「みどりの友達のフクロウさんから、目撃情報。犯人かもしれない人間が、こっちに来てるって」
『……どうする? もう警察に連絡しようか?』
 僅かの逡巡の末、雅貴くんはそう提案してきた。
「いや、現場を捉えたわけじゃないから、今通報したところで警察は来てくれないでしょ」
『今、公園に猫は居る?』
「今のところ姿は見てないけど、もしかしたら茂みに隠れて寝てる子がいるかもわからない感じです。とりあえず俺らはこのまま、ここで張り込みを続けます」
『……わかった。くれぐれも気をつけて』
「了解です」
 通話を繋いだままだが、ここで一旦会話を終わらせ、改めて公園を見回す。猫の姿も鳥の姿も見えない。私たち以外は誰も居ない、がらんと静まり返った夜の公園だ。
 あくまで、それらしい人間がこちらに来ている、というだけだ。
 似ているだけの人間かもしれないし、犯人だとして、公園に入ってくるかまではわからない。念の為、すぐに撮影を開始できるようにだけ準備をし、息を潜めて待つ。
 果たして。
 ふらふらとした足取りで、一人の人間が公園に入ってきた。
 私はそっとスマホで動画撮影を開始した。
 路上生活者なのだろうか、あまり身奇麗な格好はしていない。着ている服も履いている靴もぼろぼろだ。
 そして、髪の毛の長さ。ヤマトくんが言っていた通り、髪は肩ほどまでの長さの女性だ。しかし、前髪が顔の半分ほどを占めていて、表情までは窺えない。どういう感情で、なにが目的で、田舎の誰も居ない夜の公園に来たのだろう。
 ふらふらと、酒に酔っているような、或いは、怪我でもしているかのような危なげな歩調で、女性は歩みを進めている。まるで強い執着でもあるかのように、絶対にその足を止めようとしない。わけのわからないものがこんなにも恐怖を掻き立てるのかと、改めて戦慄する。向こうから私たちが見えていないのが、唯一の救いだ。
「――っ」
 が、その安堵は一瞬にして崩れ去った。
 女性はにおいを嗅ぐような動作を取ったかと思うと、ぐるりと身体ごと振り返り、勢いよくこっちを見た。
 気づかれた、と思ったときには、女性が目前に迫っていた。
 どんな身体能力だよ、それは血肉を摂取することで身体強化でもされているのか、それってもう吸血鬼かなにかじゃん。そんなまとまりのない思考が、頭の中を駆け巡る。
 咄嗟に、私はみどりを庇うように身体を乗り出した。同時に、みどりの持つスマホを指差して、それで雅貴くんに助けを求めるように促す。
 大丈夫、みどりは少しずつ人間の言葉も発せるようになってきているんだ。今朝だって、友達が殺されていて心はぐしゃぐしゃに動揺していただろうに、人の言葉で話せたんだ。大丈夫、大丈夫。
 そんな私の気持ちが伝わるように、みどりに笑顔を向けた。恐らくは恐怖で引き攣った笑顔だったのだろう。みどりは、これまでに見たことのない悲痛な表情を浮かべていた。ああ違う、そんな辛そうな表情をしてほしかったんじゃないのに――なんて思う暇があったのは、もしかしたら身に迫る危険を前に、目の前の光景が全てスローモーションになって見えていたのかもしれない。
 鋭い牙を持つ口が、迫る。
 この牙が、私たちの友達を殺したんだ。
 そう思うと、恐怖よりも、一矢報いたい衝動に駆られる。いや違う、この人に危害を加えたいんじゃない。あくまで、この人を捕まえて、然るべき罰を受けてほしいだけなんだ。
 みどりから渡された催涙スプレーを取り出そうと、ポケットに手を伸ばす。が、伸ばしたその手を女性に掴まれてしまった。振り解けないほど強い力に、骨まで折られてしまうのではないかと危惧する。痛い。催涙スプレーが取り出せない。牙が、私の首元を狙っている。怖い。
「――コハクくん、いただきまぁす」
 噛みつかれる、と思った瞬間、女性は確かにそう言った。
 彼女の目的は人間だったのか。いや、今確かに私の名前を口にした。つまり、目的は私だったということか? 私をおびき出す為に、猫や鳥を殺したというのか?
 それは。
 それは、許せない。
 怒りに歯を食いしばり、奥歯が悲鳴を上げた気がした。
 こうなれば、一度わざと噛みつかせて、そこから形勢逆転を狙うしかない。怒りに支配された身体は正論なんて丸無視して、とにかく一発この人を殴らないと収まらなくなっていた。
 しかし。
「ぎゃっ」
 短い悲鳴と共に、女性は私から離れた。いや、離された、と言ったほうが正しい。
 『それ』は、真っ白な腕だった。色白とかそういう次元じゃなくて、本当に白色。夜の闇すら弾いてしまうのではないかと思うほど、艷やかで毛並みの良い白色だ。
 白色の腕は大きく、その手のひらで――いや、肉球で、女性の上半身を容易に踏んづけて抑え込んでいる。
「……――しろさん?」
 不意に口をついて出たのは、二年前の冬に亡くなった、兄弟同然の大切な友達の名前だった。
 人間を片手で抑え込めてしまうほど巨大な手を持つ『それ』の顔を確かめようと、顔を上げる。
 ああ、どれだけ身体が大きくなっていようと、間違えようのない。
 よく見知った琥珀色の瞳が、私を見つめ返してきていた。
「しろさんじゃん!」
『久しぶり、琥珀』
 しろさんは目を細め、懐かしい声で鳴いた。
 どうしてそんなに大きくなっちゃったのとか、あの日確かに私の腕の中で死んだはずとか、次々に言いたいことと聞きたいことが溢れて、口の中で渋滞する。そんな私を見たしろさんは上機嫌な様子で、
『あとで説明する。ただ、ちょっと待ってくれ』
と言った。
「ぐううっ、またお前か! 離せ、離しなさいよっ! コハク君の血を飲ませろ! 飲ませろ飲ませろ飲ませろっ!」
『うるさい、静かにしろ』
 しろさんの手の下で暴れていた女性は、しかし、しろさんが手に僅かに力を込めると、あっさりと気絶した。
『さて。お嬢さん、縄は持っているか?』
 スマホを握り締めて呆然と座り込んでいたみどりは、しろさんにそう声をかけられると、はっと我に返った。そしていそいそと、リュックサックから縄を取り出す。……持ってきてたんだ、縄。
「二人とも大丈夫か?! ――って、うわあ、なにこの状況」
 ほどなく、雅貴くんも公園に入ってきた。
 なんだか緊張感に欠ける言いようだが、体高二メートルはありそうな巨大な猫が居ては、そう言いたくなる気持ちも十二分に理解できる。
「こっちに来るまでに通報は済ませたけど……ええと、それが犯人?」
 困惑気味の雅貴くんは、そう言って、縄で縛られた女性を指差した。万が一意識が戻って噛みつかれても困るからと、簡易的に猿ぐつわまでしている徹底ぶりである。みどりのリュックサックからあまりに様々なものが出てくるものだから、私もしろさんも絶句していた。
「そ、この人が犯人。俺への暴力行為は撮れたと思うから、ひとまずそれで逮捕かなあ。なんか、最初から俺のこと知ってたみたいだし、ストーカーとかで捕まえてもらっても良いかも」
 私の脇の下に顔を突っ込んで爆音で喉を鳴らすしろさんを腕全体で撫でながら、私は言った。
「それはわかったけど、琥珀くん、その猫は一体どうしたのさ」
 雅貴くんの指摘はもっともである。
 私は再度、死んだはずの友達を見遣る。
「雅貴くんもこの子とは何度か会ったことあるよ。名前はしろさんって言って、俺の知る限りは普通の猫で、二年前の冬に亡くなったはずなんだけど……」
 しろさんが姿を現したことは、この際一旦置いておくとしても。なにより、このサイズ感である。しろさんはせいぜい七キロほどの、猫としては大型に入る部類の雑種猫だったはずだ。たとえ記憶でいくらか補正がかかっていたとしても、これほど巨大ではなかったことは断言できる。
『おれは琥珀の兄弟で、友達だ。そして今日からは、琥珀の守護霊になる』
「んん……? しろさん、俺、最後のだけよくわかんない。守護霊って言った? しろさん、今って幽霊的な存在ってこと?」
『うん。琥珀みたいに転生することもできたんだけど、それより、ずっと琥珀の隣に居たいって言ったら、守護霊になることもできるぞって言われて。この間まで、ケンシューってやつをしてたんだ』
「研修……」
 まさか猫の口から、研修なんて単語が発せられる日がくるとは思わなかった。
『全日本守護霊・守護天使協会動物支部ってところだ。人間を守る術をたくさん教えてもらったから、これからはおれが琥珀を守る。琥珀、嬉しいだろ?』
「うん。すごく嬉しい」
 経緯はさておき、それは私の素直な気持ちだった。
 本来であればあり得ない再会なのだ。心が弾まないわけがない。
『……しろさん、ひとつ訊いても良い?』
 そう言って控えめに挙手したのは、みどりだった。
 しろさんはその巨躯をぬっと動かし、みどりのにおいを嗅いでから、
『人間なのに鳥の言葉を話すのか。面白いな、お嬢さん。琥珀と仲良しみたいだから、良いよ、答えてあげる。なにが訊きたいんだ?』
と言って、また私の隣に戻ってきた。
 なんだかしろさんが変な勘違いをして上機嫌になっている気配を感じるが、今は言及しないでおこう。
『その女の人、さっき「またお前か」って言ってたけど、もしかして、ここ数日ほどこの人が猫を殺さなかったのって、しろさんがこの人の妨害をしたから?』
 犯人に襲いかかられたことと、突然のしろさん登場に動揺していて私は気がつかなかったが、言われてみれば確かに、という質問だった。
 公園で猫が殺されて、私が張り込みをするようになって、三日間は被害が出なかった。
 私をおびき出して食べる為なら、張り込み初日を狙ったっておかしくない。それどころか、その三日間、私は一人で公園内に居たのだから、犯人からしたら絶好のチャンスだったのだ。
『その通り。ずっと邪魔してたら諦めると思ってたのに、今日一日、おれの監視の目を掻い潜って姿を消したかと思ったら、ここで琥珀を食べようとしたんだ。許せない』
 そう言って、しろさんは低い唸り声を上げた。
 身体が大きくなっていることもあり、それはほとんど地響きのように聞こえる。
「ま、まあまあ。しろさんのおかげで俺は無事なわけだし。ありがとうね、しろさん」
『琥珀、怖かっただろ。これからはずっとおれが一緒にいるからな。もう大丈夫だぞ』
 そうして私を安心させる為だろう、口を僅かに開いたかと思うと、その大きな舌でざりざりと私を舐め始めた。守護霊といえど、ほとんど実体に近いからなのか、普通に痛い。
「あの、ちなみに、しろさん、前に比べて身体が随分大きくなったみたいだけど、それはどういう理由で?」
『え? 大きいほうが強いだろ?』
 さも当然と言わんばかりに、しろさんは言った。
「ということは、今のしろさんは大きさを自由に変えられるの?」
『そうだぞ』
「そしたらさ、前と同じくらいの大きさになれる? もうすぐ警察の人も来るだろうし、大きなしろさんを見てびっくりすると、話がややこしくなっちゃうからさ」
『そういうものなのか』
 面倒臭そうな顔をしつつ、しろさんがぎゅっと目を閉じると、間もなくその姿はしゅるしゅると縮んでいき、次の瞬間には見慣れた大きさの猫がそこに居た。
 そして、それを見計らっていたかのように、パトカーのサイレンが聞こえ始めた。じきにこの公園へ到着するだろう。
「みどり、君はそこの裏道から公園を出て、早く家に帰ったほうが良いよ。送っていけないのはごめんだけど、ほら、事情聴取とかで家に連絡がいくと、いろいろ面倒でしょ」
 詳しくは聞いたことはないが、彼女の鳥に関する特性で、両親とあまり上手くいっていない話は、以前に聞いたことがある。
『それじゃあ、お言葉に甘えて。家まではさっきのフクロウさんについてきてもらうから大丈夫だよ。あ、リュックは琥珀に預けていくね。縄の出処とか訊かれたら、それこそややこしくなっちゃうから』
 私にリュックサックを預け、みどりはこれから行く裏道を一瞥して、続ける。
「ま、また、明日。ばいばい」
 それは鳥の言葉ではなく、人の言葉だった。


 それから。
 通報を受けて駆けつけてきてくれた警察官に事情を話し、女性は逮捕された。
 罪状は私への暴行だが、そこから調査を進めていくうち、ここ最近の猫や鳥の殺害以外にも、別の場所で似たようなことをしていたことが明らかとなった。
 彼女の目的は、雅貴くんが睨んでいたとおり、特性によるものだった。曰く、他者の血を栄養として摂取して生きている、とのことだ。失血死という割に遺体の周囲にある血の量が少なかったのは、彼女が飲み干さんばかりに貪りついていたからだという。
 私を狙った理由は、そういう意味では単純明快、今までで一番美味しそうなにおいがしたから。
 路上生活をしていた彼女は、ある日、駅前で私を見かけて跡をつけてきたらしい。証言で出た駅名から察するに、恐らくは高校の友達と映画を観に遠出した日だろう。私に目をつけて、この町へやってきて、猫と仲の良い私をおびき出す為、猫を殺して回り、ついでに腹を満たしていた。ようやく私が夜の公園で一人になったところを襲おうとしたが、大きな白猫に妨害されてしまった、と。……まあ、大きな白猫については、透目町すきめちょうだからそういうこともあるだろうと処理されたようだが、これが他所の土地であれば、精神鑑定を受けていたかもわからない。
 さて、しろさんのことだけれど。
 あの日、これからはずっと一緒だと言ったとおり、しろさんは常に私と共に居る。
 翌日、朝の登校時間に私の肩に乗るしろさんを目撃した地域猫たちは、それはもう驚いていた。チヒロくんに至っては、感極まって大鳴きし、学校まで付いていこうとしたほどである。まあ、ボス猫としてのあれこれを話したいのだろうという気持ちは、理解できなくもない。今度の猫集会のときに二人でじっくり話ができるようにするから、とチヒロくんを説得し、どうにかことなきを得た次第だ。
 しろさんだって、この二年間で地域猫の入れ替わりがたくさんあったわけだし、そういった意味でのパトロールや情報収集は必要なんじゃないかと思い、訊いてみたけれど。
『今のおれは、琥珀と一緒に居て、琥珀を守ることができれば、それで良い』
 だそうで、どうやら今のしろさんにとっては、生前の猫としてのあれこれへの興味は、極端に薄れているらしい。
 しろさんが常に私と一緒に居ることになり、一番の障害は家での生活だと思っていた。なにせ、家では動物を飼わないことになっている。が、この場合は幸いというべきか、父さんと母さんにはしろさんの姿が視えていなかった。ただ、家族の中で唯一、姉さんにだけは視えているようで、時折、しろさんの姿を大きくしてもらい、全身でそのもふもふを堪能しているようである。
「しろさんさあ、俺のテスト期間が終わったら、どっかにおでかけしようよ。行きたいところとかある?」
『おれは琥珀と一緒なら、どこでも楽しいぞ』
「本当? それは嬉しいな。それじゃあ冬は一緒にスキーに行こうよ。ちょっと身体を小さくしてくれたら、しろさん、俺の頭の上に乗れるでしょ。それで一緒に滑ろ。それで、春は花見に行って、夏は海、秋は芋掘りとか」
『そうだね。琥珀と一緒にたくさん散歩しよう。なんだったら、大きいおれの背中に琥珀を乗せても良いぞ』
「やったあ!」
 なんにもないこの町では、しかし、なんでも起きる。
 奇跡なのか必然なのかは、この際どうでも良い。
 だが、大切な兄弟であり友達であるしろさんと、再びこうして共に過ごせる日々を迎えられたのは、この町だからこそ起きた事象だろう。
 私は猫に愛されている。
 そしてきっと、この透目町にも、愛されているのだろう。
 ちょっと自意識過剰かもしれないけれど、そう思った。




※OFUSEにて、後書を書きました。
 琥珀とみどりが名前で呼び合うようになった経緯とかを書いてます。


※短編連作『透目町の日常』シリーズ内で、琥珀(一部、しろさんと一緒)が登場する物語は、以下の通りです。
 全て一話完結型です。
 よろしければ、こちらも合わせてお楽しみください。


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