管理人室と4人の若者の青春
きっと、今しかできないこと
それは2010年、秋の話。
2010年に、U君がぼくに
「いっしょに管理人室に住もうや」
と言いました。
そこで何かが始まったのです。
ぼくの心の深いところで、何かが揺れました。
現実的に考えたら、家賃も今より上がるし、リフォームを行ったら、さらにお金がかかる。
しかもそのほとんどを、ぼくが作業する。
「ちょっと考えさせて。Hさんとも考えるわ」
とぼくは答えました。
Hさんは現実的な人。
「ちょっと家賃高くないですか?すごく寒そうだし」
と彼女。
「そうですね」
とぼく。
ぼくとHさんは結婚を考えているし、そんな時にこんなことをする意味があるのだろうか?
「でも、やっぱり住んでみたいんです」
とぼくは言いました。
きっと、今しかできないこと。
そして、必ずいつか自分にとって貴重なものになる、という目に見えない実感。
結果的に、ぼくとHさんとU君とCちゃんの4人は、共同生活を始めることになりました。
そして、Hさんのおなかの中に1人目の子どもがいる間、僕たちはその管理人室に住みました。
床を張り、壁を塗る。静かにコップに水を補給するウエイターのように
大型日用品店で資材の仕入れ。
針葉樹合板、コンパネ、ビス、塗料、そのほかたくさんの資材を購入し、ぼくは鴨川を自転車で移動しました。
そして、100才以上の枝垂桜の下の部屋に到着し、管理人室の床を張るのでした。
そのようにしてぼくは、「管理人室」という名の4部屋をリフォームしました。
管理人室の4つの部屋(6畳+8畳+12畳+10畳)の床を張り、壁を白く塗る日々。
ぼくが深夜に仕事から帰ってくると、Hさんは眠っていました。
隣の部屋から、英語の会話が聞こえます。
U君とCちゃんと彼らの友人たちが、ニューヨークやドイツや東京からきて、よなよな語り明かしているのでした。
ぼくは、U君のように自然に人を引きつけ、リラックスして話すことがとても苦手でした。
それよりはむしろ、気配を消して、無意識に人が望むものを、気づかれないように提供することに喜びを感じる人でした。
喫茶店のウエイターが、リラックスしたお客様を驚かせることなく、静かにコップに水を補給するように。
アイコンタクトだけで、2つ分の会話をするみたいに。
古い洋館が教えてくれたこと
ぼくはそのアパートに約4年住みました。
アルゼンチンから帰ってきた、ピンぼけした27才の青年を快く受け入れてくれました。
そこでぼくは、多くの人たちと出会ったし、今の奥さんとも出会いました。
それはもう8年くらい前のこと。
当時はまだ、ぼくとHさんの間に、今いる2人の子どもたちも居ませんでした。
ぼくも年をとり、奥さんも同じように年をとりました。
そのアパートはすべてを包み込んでくれる、人間らしさがある建物でした。
まるで、必要な人にだけ門を開け、もう必要でなくなった人には、潔く別れの挨拶ができる、懐が深く、人を認知してくれる建物でした。
「どうやら、アパートの管理人さんが人を選んでいるらしい」
という、もっともらしい噂も流れていました。
ぼくはその場所で、自分で生活する部屋をリフォームし、自分で焙煎したコーヒーを淹れ、大切な人たちをもてなしました。
「もうあなたは、ここでできる最上のことをしましたよ。これからは、その場所を自分で作ってみなさい。不安かもしれませんが、大丈夫。あなたならできます。」
そのアパートは、そう言っていたのかもしれません。
終わる青春、残る記憶
「きれいな桜だねえ~」
気が付くと、植木の向こう側から歩く人の声が聞こえました。
秋に始めたリフォームは、2011年の冬を超えても、まだ終わっていなかったのです。
それもしょうがない。
だって、飲食店で朝から晩まで働きながら、週一回の休みの日、限られた時間だけで作業をしていたのですから。
かつて、京都市の古い洋館に、4人の若者が住んでいました。
かれらはそこで、文字通り、青春を謳歌しました。
とても静かに。
今はもうそこに彼らはいないのですが、
彼らの心の中には、今もあの時の空間があります。
それは今でも、一人ひとりの背中にそっと触れ、それぞれ離れた場所にいても、いつでも繋がっていることを思い出させるのです。
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