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孤独に触れられる夜に

前触れなく『淋しさ』に襲われることはありませんか?
私はしょっちゅうあります。それは特に夜、急にやってきて、誰かといてもいなくても、”涙が出るくらいにさびしい気持ち”になることが。

思い返せばまだ物心がつく前、小学生になる前からそうだったような気がします。いつからかすらも覚えておらず、もはや私ってさびしさと一緒に産まれてきたのかな?って思っちゃうくらいに染みついています。
どこからやってきてどこに消えていく感情なのか、今でも分かりません。本質はどこにあって、今の私のどこと反応しているのか。
それさえ分かれば消すことは出来なくても、さびしさと上手く付き合っていくことは出来ると思うんです。

亡くなった祖母の日記帳

寂しさ淋しさの違いを知ったきっかけは、3年前に亡くなった母方の祖母の日記帳でした。
遺品の整理をしていると、箪笥の奥からものすごい量の日記帳や、祖父と結婚前に交わした恋文が100通以上(!)出てきました。
叔父は、
「こんなん残してたかてしゃぁないから、火葬場で一緒に焼いてもらおか」
と、パンかよ、ってくらいの軽いテンションで言いました。

そこに待ったをかけた私はそのとき、亡くなった祖母について知りたくて知りたくて仕方がないときでした。もっと一緒に過ごせばよかった、もっといっぱい話を聞いておけばよかったという後悔と罪悪感を抱いていました。
少しでも祖母の”心”に寄り添いたい。その一心でした。
正直、それがたとえ今は亡き身内のものだとしても、他人のプライバシーを侵害するようなことはやってはいけないのでは…?という気持ちが全くなかったわけではありません。
けれどなんとなく、本当になんとなくだけど、祖母が私にそれらを読んで欲しがっているような気がしたんです。じゃないと普通、死ぬ前に処分するはずだから。

都合よく解釈しすぎでしょうか?

叔父も他の親戚たちも「好きにすれば?」みたいな感じで、特にそのことに興味も疑問も抱いていない様子でした。


1941年、太平洋戦争が勃発した年に産まれた祖母の日記帳と手紙はだいぶ年季が入っていて、博物館に展示されている歴史的資料のようでした。
手に取ってぞくぞくとしました。これから祖母の亡霊と対峙するような気分。
祖母が何を思い、何を見て感じて生きていたのか、そして私はそれに耐えられるのか。期待と不安が入り混じっていました。
でも私の手に渡って来たことには必ず意味があって、だから何が何でも読まなければならない。それが祖母に対する礼儀で、私の責任と義務でもあると直感しました。


寂しさと淋しさ

その日記は祖母が14歳の頃から28歳、約14年の間に書かれたもので、少女から女性、妻、母になる過程が赤裸々に描かれていました。
現代よりも、女性にとって生きにくい社会。さらに祖母は日本人ではなく韓国人。今でも両国の関係は良好なものとは言えませんが、祖母の時代はもっと酷いものでした。
その時代を生き抜いた祖母の苦しみや悦びが伝わってきて、まるで読んでいる私もその時代にタイムスリップした感覚。

私の知っている祖母はとても優しくて、けれど孫を甘やかすことなくお作法や躾には厳しい、品やかで一本筋の通った強い女でした。
一方、母や叔父から見た祖母は、いわゆる”やばい女”だったそうです。
感情の起伏が激しく、怒り狂ってお皿をたたき割ったり、テレビをハンマーでぶっ壊したり、幼い子供たちを残して突然行方不明になったり…。
かと思えば、急に聖母マリアさまのように慈悲深い性格に豹変したり(祖母は一時期、カトリックの協会に通っていました)、献身的に家族の面倒をみたり…。
躁状態と鬱状態を繰り返していたそうです。

私にはそんな祖母の一面をどうしても受け止めきれず、ただ祖母は素直で純粋すぎて、感情をひとつに絞れなかっただけなのではないかという気がしています。


そんな祖母が婚前祖父に当てた手紙にたびたび、
『淋しい』
と書いていました。

――とても淋しいの。私のは寂しいではなく、淋しいなのです。

違いを調べると、
”寂しい”→人の気配がない場所や静かな状況を表す言葉
”淋しい”→涙が出るくらいにさびしい時、孤独や誰かを失った心情に使う言葉。

もしかすると祖母は、今私がたまに感じるものと同質の感情に、慢性的に襲われていたのかも知れません。


淋しさはどこから来るのか

日記を読んでも、祖母の数々の奇行のはっきりとした原因は分かりませんでした。ただ、『そうなるのも仕方のないことだよな』と、漠然と共感しました。読み進める内に、祖母と私の物事の捉え方、感じ方にどこか共通点がある気もして、もしかすると私もいつか狂っちゃうんじゃないかと不安になりもしました。

祖母は誰かに強く愛されることを求めすぎたあまり、自分の内面にどんどん埋もれていって、真っ暗な場所まで沈みきったことがある人でした。
掴もうとしても掴めない、どうしようもなく遠い場所にあると思い込んでいるものは、実はとんでもなく近くに既に在るということに気づかないまま、
手に負えないくらい大きく膨らんだ淋しさに飲み込まれたのだと思います。


淋しさはどこからくるんでしょうか。
幼少期の境遇、親との関係性、愛情不足…。
そのどれもが当てはまると思います。自分の欲望が何なのかが分からないということも、淋しさが癒えない原因のひとつでもあるでしょう。

祖母が私に託したもの

祖母が見つけられなかった(気付けなかった)もの。
あんたは同じようになったらあかんで
一方的に祖母からのメッセージを受け取って、読む前よりも少し心が軽くなったような気もするし、余計に肩の荷が重くなったような気もするし…。
私一人の人生ではないんだな、繋げてるんだな、歴史の一部なんだなと思うと、過去と現在と未来を繋ぐ線がより太く長いものに思えてきました。

淋しさに潰されそうになる人は、いる。それも意外とたくさん。
時代的にも、昨今は淋しさを感じやすいのではないでしょうか?
淋しいと感じること自体は、別に悪いことではないと思うんです。むしろ、淋しさを感じている自分を否定せずにじっくり抱きしめてみると、新たな自分の一面を発見できることもある。

ただ、矢印がずーっと自分の内側に向きっぱなしでふさぎ込んでしまうと、淋しさがただのさびしさで終わってしまうような気がします。
旅に出たり、美味しいご飯を食べたり、本を読んだり、人を好きになったりして、
定期的に心の窓を全開にして風を通す習慣を持てば、淋しさもそんなに悪いものでもないんじゃないかな。

書いてるうちは大丈夫

えらそうになんか悟ったようなこと言ってますけど、私は懲りずにまた淋しくてどうしようもなくなって、ピーピー泣くんです。笑
一昨日の夜がそうでした。
「なんか分からんけどさびしい。どうすればいいのか分からない。」
私に急にそう言われた友だちは、もっとどうすれないいのか分からず、
無言のまま私の好きなアーティストの音楽をスポティファってくれました。
それがめちゃくちゃ切ないメロディーと歌詞で余計に食らってしまい、慰められているのか追い込まれているのかも分かりませんでした。
ありがとうね。

唯一淋しさを忘れられる時間は、何かを書いているときです。
綴った文字に感情が放電されるのでしょうか。
あ、気付けばどっかいってるや、といつも不思議に思います。
だから書くことは、私にとって表現の場でもあり、防衛手段のひとつでもあるんだなと、つくづく思う今日この頃です。

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