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あの頃の自由が丘

永井宏さんの著作「カフェ・ジェネレーションTokyo」(河出書房新社/1999年)には、1970年代中頃、「ロック喫茶」といわれていたお店を中心に、永井さんの「喫茶店時間」が綴られている。学生時代から雑誌記者として就職した頃の話が中心だ。

「ロック喫茶」とはいっても、この本に登場するのは「デス・メタル」な感じの店ではない、もっとやわらかい「ウエストコースト・ロック」や、人によっては「フォークソング」にカウントしそうな「シンガー&ソングライター」の楽曲が流れる、つまり「陽の光」を拒絶しないようなコーヒーショップだ。

(永井さんが学生時代の話には、学校近くの「ゴージャス系昭和喫茶」も登場するけれど)

永井さんは「街」を語りながら、すっと「喫茶店」に入っていく。「陽の光を拒絶しないような店」ばかりなので、登場するのは、渋谷でも松濤に近い方、自由が丘、鎌倉など。あの頃の、サンクチュアリな店の雰囲気が活写される。

永井宏さんは1951年の生まれ。だから、僕より10歳、歳上の方。だから、この本に出てくる店のうち、行ったことがある店は一店舗しかない。

(あの頃の「喫茶店」には短命な店も多かったから)

だけど、大人ぶりたかった僕は、高校生になる頃には、こうした「喫茶店」にデビューしていたから、その店の雰囲気や人間関係のあり方には頷けるものがある。

想像がつく…というか。

自由が丘という街はときどき不思議な体験をさせてくれた。何気なくやっていることでも、そこに洗練された知識や意識が散らばっていて、たまたまこっちがそれに興味を持ったときにハッとさせられてしまうのだ。それは自分のコンプレックスを刺激したが、同時に新しい眼を開かせてもくれた。

永井宏さん著「カフェ・ジェネレーションTokyo」より

僕の学校は大井町線にも校舎があり、ヨコハマから通っていたから「自由が丘」は結節点になる。だから、あの頃は「自由が丘」にいた。確かに居心地も良かったし。

(今はどこにもない「それは自分のコンプレックスを刺激したが、同時に新しい眼を開かせてもくれた」街だったから)

学校を卒業して、しばらく疎遠だったけど、少し歳の離れた奥さんの学校もまた大井町線沿線だったので、以来、この30年以上を「自由が丘」で過ごしてきた。

でも、数年前かな。梅沢富美男さんの事務所が入ったビルあたりに再開発がかかるよという噂を耳にした頃

ある日、ふと。「あゝ、自由が丘。無くなっちまったな」と。

すでに学生時代に通っていた喫茶店は、更地になり、ペンシル・ビルになり、それだけでなく、たいていの店が無くなっていて、近頃、ひとりで「自由が丘」にいる時は、消去法的に、奥沢駅に直結の「TULL’S COFFEE」にいるようになっていた。

(奥さんと散歩することは滅多になくなっていた)

とっくに、そぞろ歩く気分も奪われているのに「損切り」ができなくて、また自由が丘にいる。そういう自分が虚しくなってもきて。

もちろん若者が起業したコーヒーショップはあるけれど、そういう店でも、たいてい、あくまでも珈琲という「飲料を販売するところ」であって、やっぱり「場所」としてはソリッド。だったら「TULL’S COFFEE」の方が空間にゆとりがあって居心地はいい。

そんな「自由が丘」なんて。

やっぱり、奥さんも同意見で、二人ともがなじみだったヘアサロンに行くのも止めてしまった。

でも「自由が丘ロス」は、あらかじめ経験していたので、結果的に「行かなくなった」という事実が残っただけだったな。
だからといって「代替」を探すわけでもなく、よりご近所を愉しむようになったし、今は、土を耕している。

考えてみれば「消費する」が「ストレス解消になる」自体と距離をとることになった自分が先にあったのかな。
そこに「金太郎飴」化、つまり「カオナシ」化し、さらに高層化し、空間は肥大化、「消費する」だけがあって「人」の温もりが感じられなくなった…そういう「自由が丘」の変容が重なった。馴染みの「自由が丘」の全てが無くなってしまったわけではないんだけれど…

でもね。

誰もいなくなっちゃったなって思っちゃったんだ。

空間だけでなく、たぶん、無意識のうちに「人」も変容している。店の人に話しかけられることも無くなったし、キャッシュ・オン・デリバリーだし。

「自由が丘」だけじゃない。東京都心やヨコハマ都心の街の多くが「カオナシ」で「消費するだけ」「人の温もりが感じられない」に、同時多発的に変容し、変容しつつある。
これに、地方都市でも「ソリューションなまちづくり」が続き「ブルータスよ、お前もか」状態にあるのが今だ。

まるで1944年から45年。日本中の都市という都市が空襲され、焦土と化した、あの頃の状況に似ている。質的には同じだと思う。

ただ、今度は、この国が自らが「街」を破壊している。しかも、その自覚がないかのごとくだ。もちろん暗躍する人は確信犯だろうけれど、現場で働く人は無邪気に「まちづくり」をしていると思っているだろう。

だから、数年後、あるいは十数年後には、僕らは焦土に等しくなった都心を目撃するんだろうな。

そのとき「闇市」文化が立ち上がるんだろう。「都心」ではないと思うな。少なくとも「場末」だろう。

人が集まって暮らしている限り「街」は無くならないはず。

ただね。

今のままで推移すれば、多くの人々が街を必要としないほど、それぞれに「蛸壺」の中に暮らしているライフスタイルに変化してしまう可能性はある。

それが心配ではあるな。

だって、スタバやドトールが「居心地」なんだろうから。

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