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いくら写真を撮ってもどうせあの世には持っていけない

私は昔、妻と二人で世界中を旅した事がある。
約2年ほどかけて五大陸を放浪した。

その時に数万枚の写真を撮った。
私が今、写真にハマっているのもその経験があるからだ。

その旅先で出会った方の一言を今でもたまに思い出す。

2016年エチオピア PENTAX k5ii

いくら写真を撮ってもどうせあの世には持っていけない

それはエチオピアを旅していた時の事だった。
旅人たちの間で世界一の絶景と注目される『ダナキル砂漠ツアー』に参加した際に、たまたま同じ車で移動する事になった日本人の方が言った言葉だ。

世界一の絶景と注目される『ダナキル砂漠ツアー』は噂に違わず、まさに絶景だった。私たちが約2年の歳月をかけて世界中を旅した中でも一番すごい場所だった。

2016年エチオピア PENTAX k5ii

当時、世界遺産ハンター.comというブログを書いていた私は、ブログに載せる為の写真を夢中になって撮っていた。

しかし、私が見る限り、その方は一枚も写真を撮っていなかった。不思議に思った私は『写真とか撮らないのですか?』と聞いた時に帰ってきた言葉が『いくら写真を撮ってもどうせあの世には持っていけないから』だった。

その方は多くは語らない方だったが、官僚、もしくはそれに近い仕事を定年退職された方で、いわゆるエリートと呼ばれた方だったのだろう。

仕事を退職し、独身で子供も居らず、タバコは昔に辞め、酒や女遊びもしないので死ぬ前に世界中を見てまわる事にしたらしい。

2016年エチオピア PENTAX k5ii

私は今でも何気ない彼の言葉を思い出す。
それは、死を覚悟した男の言葉か?
それとも旅人としての完成系なのか?

当時の私はまだギリギリ30代で死を想うには早すぎた。
彼の言葉に凄みや潔さを感じたがうまく消化できずにいた。
だから今でもたまに思い出すのだろう。

40代後半に差し掛かった今ですら、まだその境地には立てていない。

2016年エチオピア PENTAX k5ii

私の写真もあの世には持っていけない

これは確実だろう。
否定のしようがない。
だけど、生きていた証を何か残したい。
そう思ってしまうのが凡人というもの。

私には二人の息子がいる。
私が生きていた証という事であれば、それで十分だろう。
それでも私は写真を撮る。

もし、私が明日、死んでしまっても子供達に写真を残してあげられる。
私がどのように考えて、どのように生きてきたのかを文章で残してあげられる。私は欲張りなのだ。

彼の言う『いくら写真を撮ってもどうせあの世には持っていけないから』という言葉に憧れもありつつ、否定したい気持ちもある。

旅人として彼の一言に憧れを抱きつつ、私は今日も写真を撮る。

2024年 SONY A7C

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