子供の写真は、時が経てば経つほどプレミアがつく
一年半前に写真の練習の為に子供を撮り始めた。
毎日のように子供の写真を撮り続けた。
ひたすら近所で写真を撮りづつけた。
一年くらい経つと流石に同じ場所での撮影に飽きてしまい、挫折した。
しばらく、写真を撮らない日々が続いた。
ある日、一年前の写真を見返すと驚くほど、子供が成長していた。
勿論、私の写真の腕も成長しているのだろうけれども、子供の成長はあからさまに見た目に現れる。
そして、何よりも特筆すべきは、もし、あの時に写真を撮っていなかったらこの日の記憶は私の記憶から抜け落ちていただろう。
勿論、5歳と2歳の息子たちはこの日の出来事を全く覚えていない。
写真を撮ると言うことは、自分たちの記憶、そして子供達の記憶を作るという事でもある。いつの日か、この写真を見る事によって私たち夫婦の、そして子供達の記憶が再構築される。
責任は重大だ。
それ以来、私が子供を撮る目的は写真が上手くなる事ではなく、子供の記憶を作る事になった。だから何気ない日常の中で、子供たちが楽しかったんだという記憶を出来るだけ『盛って』あげたい。
過去にあった出来事は変えられないが、過去にあった出来事の意味は変えられる。私の写真で出来るだけ輝かしい子供達の記憶を作りたい。そう思ってまた写真を撮り始めた。
今日撮った何気ないこの写真も、きっと10年後には目頭が熱くなる写真に昇格するだろう。今はその確信がある。
子供の写真は古ければ古いほど価値がある
写真は練習すれば上手くなる。
でも、時は巻き戻せない。
だからこそ価値がある。
私たちの家族にとっては。
古い写真はプライスレス
問答無用で価値がある。
この頃、私はあまり写真を撮っていなかった。
もっと撮っておけば良かったと思うが今更どうする事もできない。
今できる事は、これからの成長を撮ることだけだ。
だからこそ日々の生活を大切にしたい。
もうすぐ6歳になる長男
最近は生意気になってきたけれども、ほんの2年前はまだぷっくりとしていて可愛かった。
この写真がなければそんな事も忘れてしまうのが人間というもの。
私は忘れるという事を否定しない。
人間は忘れるように出来ているのだからきっとそれが正しいのだろう。
しかし、記憶に残しておきたいという気持ちも否定しない。
記録しておくという事は記録したいものだけをチョイスする事が出来る。
このメリットは絶大で、素敵な記憶だけを残すことが出来る。
人間は生物学的な構造から失敗した経験が強く記憶に残るらしい。
なぜならば同じ過ちを繰り返さないようにプログラムされているのだ。
逆に楽しい記憶は忘れやすい。
なぜならば、楽しい記憶は完璧な成功体験である為にそこで完結してしまい記憶に残す必要がないからだ。
だからこそ、素敵な体験こそ、記録するべきであると私は考える。
私が使用しているカメラ
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