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許してはいけないnote
noteを毎日書くようになってしばらくたってみたが、どうやらnoteを書く上で必要なのは文才やセンスではないということに気が付いた。
書かなくても別にいい期間は最大3日までとジャムくらい甘いルールを己に課しnoteに取り組んではいるもののやはりなにを書けばいいのか分からない日も頻繁に訪れる。
先日パソコンの前であらゆる角度から思考を研ぎ澄ませてみたところで己の脳裏に汲めども尽きぬ女たちの乳のこと以外なにも浮かばぬほど思考が桃くらい桃色に染まったときにふと今までどんなときにすらすら書いていたのかを思い出してみることにした。するとあることに気が付いた。
過去の記事を読み返してみると比較的すごく早いスピードで書き上げた記事には当時の私の精神状態にある共通点があった。私のストレスが沸点をゆうに超えていたときである。
祖父の通夜で久しぶりに帰宅した際に、久方ぶりに会う親族たちから一斉に砂埃でも通ったのかと思うほどに目を細められて睨まれた私のような決して誇ることのできない生活を送る人間の精神はふとした言葉やアクションで風見鶏のようにグニャグニャと回りまわる。
京料理ぐらい繊細な私の心はちょっとしたことでなにかに無性に怒っていたり、なにかに絶望的なまでに悲しんでいたり、腹部の肉をそぎ落とされても気づかないほどに無のときだってある。このなにかの感情が一色であるときが一番スラスラと書けるのだ。
ちなみに以前こんな記事を書いた。
自分の声にコンプレックスを感じたことを書いた記事なのだがこの記事を書いていたときの私はというと、職場の先輩のおばさんが私がそのおばさんが普段していても見逃してなにも指摘しないような小さなミスを私がした際に大声で怒鳴られたことにより殺意に満ち満ちていた。
そんな感情のエネルギーが指先に宿るのかメカニズムは分からないがどうやら私はなにかに憑りつかれているような状態のときにだけやたらと筆が進むらしい。
そう考えるとnoteを毎日やり続けるという作業は心が優しく穏やかな私のような人間には難しいのかもしれない。しかしnoteをやると決めたのだから続けなくては・・・そう考えるとnoteに腹が立ってきた。
そうやって書いたのが今回の記事である。もう私はnoteを一生憎んでいこうと決めた。
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