友達が 1人もいない 知らぬ街 ~誰も知らない大阪の歩き方~

 私には友達が1人もいない。そうなってくると虚無という孤独から来る悪玉的感情が芽生え活動意欲を奪い行動を狭めてしまうことにより、朝起きてから昼過ぎぐらいまで態度はともかくとして祈りでも捧げているのかと思うほどに微動だにしないことがある。

 そんなヒレ肉を焼きあげる油の躍動する音を聞き逃さんとする一流シェフばりの集中力で壁の染みを眺める日常を送っていると遠出しようという気に全くならない。大阪というガラパゴス的進化を遂げた人間たちがソースの香を身にまとい跋扈する東洋の魔境とも呼べる地に住んでおよそ10年ほどたつがほとんどの街に行ったことがない。

 有名なのに行ったことがない街のひとつが新世界だ。大阪のシンボルとも呼べる通天閣を街の中心部に構え、ただでさえ個性の強い大阪人の中でも選りすぐりの選ばれた大阪人のみが暮らしているワンピースでいうマリージョア的な街である。私が新世界に行ったことがないのは宇宙に行った人よりも深海に行ったことがある人の方が少ないという灯台下暗し的ロマンな話などでは決してなく単純に怖いからだ。

 そういった街にはなにか理由でもない限り私の性格上これからも行くことはないのだろうけど先日行ったことがない街に訪れてしまった。それは行かなくてはならない目的地の場所を根本的に勘違いしていた私の完全なるミスによる訪問であったのだけれどそこで思わぬ出会いを果たした・・・いや果たしてしまった。

 場所を勘違いしていたミスに気づいた私はそのミスを舌鼓的な帳消しをはかろうと美味なる店を血眼になって探し回っていた。旨い飯にさえありつければこのミスもよかったミスで片づけられるからだ。正直月末ということもあり血も涙もない懐の状態であったが、ミスすらも忘れさせるほどのレ・ミゼラブルばりの革命的料理にありつけるならば金に糸目はつけないと決心し未知なる街を歩き回っていた。そのときである。

「すみません。ティッシュ持ってまへんか?」

 突然後ろから深みのある関西弁で話しかけられた。そこに立っていたのは小太りで髪が薄く心なしか顔色も少し悪い50代くらいの収穫されたのに市場に出回ることもなくジュースにされるトマトみたいなおじさんだった。身なりは薄汚れていて、それに手元を見るとなにかをタオルで包み大事そうに抱きかかえていた。

 ティッシュは本当に持っていなかったのだがそのおじさんが醸し出す得体のしれないなにかに違和感を感じ、頭を下げながら横を通り過ぎようとしたときにおじさんの手元を見てしまった。


赤ちゃんの人形だった


 夏に突入してからというもの私が初めて寒いと感じた瞬間であった。私の顔は子供の頃の正月の親戚の集まりに無理やり参加させられたときのおよそ10倍引きつっていたが、そのおじさんは毎日が大安吉日と言わんばかりににこやかな顔で私に微笑んでいた・・・

 これが大阪である。

 


 

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