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友達が 1人もいない 変わり者 ~祝・毎日note88日達成~

 私には友達が1人もいない。どんなに淡い色合いの妄想の世界へと逃避行を図ってもそんな漆黒の現実に覆いつくされるような絶望的状況ではあるけれどそんな恥辱の日々をつづった毎日投稿が今回の投稿をもって88日連続となったことを報告したい。

 前回の記念の記事が連続投稿75日目。その前が69日目。そして今回が88日目ということでいよいよ節目の概念を捨て去ったのかと思われるかもしれないが88回も立派な節目だ。日本では88歳の誕生日のことを米という字を分解すると八十八になるという理由で米寿と呼び祝う風習がある。ならば88回目だって立派な節目ということだ。決して米寿にかこつけて記事を一本書けるとか祝〇〇みたいなタイトルにした方が閲覧数が稼げるとかそういった邪な思惑が頭角を現したわけでは決してない。ただ過去の私の記事の閲覧数などを見ても祝〇〇としたタイトルの記事がよく読まれているのは事実だ。これは果たしてなぜなのだろうと考えたすえある仮説に思い至った。

 おそらく私の記事を好きだという読者のほとんどはクリスマスには虐殺された七面鳥の無念を思うあまり涙を流し、バレンタインには戦後に匹敵するほどに溢れたギブミーチョコレートの想いが暴走し大型トラックで森永に突っ込むことを企てるそんな人たちだろう。

 そういった人間たちの大多数は私の持論であるがヤフーニュースのコメント欄へと流れ着くのが普通だ。会ったこともない人の不祥事に狂喜乱舞し、若き成功者の価値観にシーシェパードばりに文句を垂れるコメントを書きこむもののありきたりなコメントでは注目されないと気づき、自身の持ち合わせた文才の全てを人の悪口に注ぎ込むことに快楽を覚えることだろう。

 ただ本来そうなるはずなのにこの記事や私の過去の記事を読みふけるような、現代日本を生き抜く大和の民として大変間違った時間の使い方をする私の読者となった人たちがいる。そのことに感謝はしているのだけれども今日が88回目の記事だと直前に気づかなければ昨夜の菜箸で乳房をつつきまわしていた今まで見た中で最もエロい夢の話を記事にしようとしていた阿呆に時間を使うのはどうかと思う。

 そしてさらに私の「祝」と書かれているだけで対してめでたくもない安っぽいダイソー的記事をこぞって読んでくれている。このことから考えられる私の読者の特徴は1つしかない。


あなたたちは変態だ


 まずはせっかく応援してくださっている読者の方々にそんなことを言ってしまい申し訳ない。騎馬ぐらい猛々しい剣幕で私を凶弾してやりたいと思った方もおられるだろう。ただ私がこのような発想の転換にいたった経緯が先日あった。

 私が仕事を終え帰っていると公園の近くの自動販売機の真下を死海文書ぐらいズタズタの恰好のおじさんがのぞき込んで小銭を探していた。公園の子供たちはそのおじさんに興味を示していたがすぐそばの母親たちが見てはいけないと必死で目を隠そうとしていたのだが、子供たちが興味を示した気持ちが子供の頃ゲームが好きだった私には分かった。小銭、すなわちコインを探しているおじさんのやっていることはスーパーマリオと同じだったのだ。

 確かに母親たちからすればそのおじさんの社会的にミュータントな行動は子供には虫眼鏡越しの太陽ぐらい直接見せてはいけないものだっただろう。だけれどそのおじさんの姿は見方を変えれば日本の子供たち・・・いや世界の子供たちのヒーローでもあったわけだ。

 ではこれを今回の私の読者に置き換えてみよう。私の読者たちは学生のころおそらく生徒たちを情熱で燻し上げるタイプの教師を公民の授業よりも煩わしく思い、遠足や修学旅行の前日には天候を司る神の前で雨乞いの神楽を舞い踊ったタイプの人間であり、元来人の悪口を言うことに生き甲斐を覚えていたはずの人生にも関わらず私の記事を読んで私を祝ってくれる。それは一見すると心優しい人たちに見えるのかもしれない。でも見方を変えてみよう。

 

あなたたちは変態だ

 

 

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