見出し画像

共感を得る

今日の写真はレタスチャーハン。

共感とは喜怒哀楽を同時期に感じることです。他人を笑うもしくはバカにする行為には共感できません。その場にいて空気を読んで共感したふりをすることもできません。

バカにされたり笑われる人に同調してしまうのです。他人から見た他人は、わたしです。自分のことではないのに自分が笑われていると感じでしまうのです。

感動することで共感することがあります。

食べるものが無くて新聞紙を丸めておにぎりだと言って妹に持たせたり、弟の水風船吊りの鍵を手でヅラして紙のこよりが水に浸からないようにして一つも釣れなかったのにおばちゃんが一つだけ水風船をくれたこと。

弟や妹のプレゼントを買うことができなかったから手作りで色々作ったこと。子どもの手作りだからもらっても悲しくなるような出来でした。

大人になるまでは純粋でした。小学校からアルバイトのお金は全額生活費でしたので金額を知りません。損得で生活をしていません。

小遣いもなければ食費もないのです。

同じような経験をしても同じような気持ちにはなりません。ましてや環境も体験も違う人と価値観が同じになるはずがないのです。

兄弟姉妹の性格もやることも同じでは無いバラバラなことからも個性があると言えるのです。

共感できることがある。価値観が同じである。相性が良いとそれは一緒にいて心地よいのです。個性を尊重するが相性が合わないのは、仕方が無いのです。

誰とも仲良くすることが大事だけど、合わせる必要は無いのです。それは仕方がないことです。価値観が一緒だけど表現力が弱くて上手く伝わっていないのです。

相性の良し悪しはその時々で変わるものです。最悪だと思っていても最良になることも、またその逆もあるのです。そんな変化するものを基準に判断してはいけないのです。

心地が良いからとそれに安住してはいけません。刻々と変化する事態に対応することが必要です。原因と要因と結果が自然の道理です。

ものつくりは子どもの頃からの夢でした。大人になって小さな夢は簡単に達成できました。腹一杯のご飯を食べる。お小遣いがある。使い方を知らなかったお小遣いは、酒、タバコ、パチンコに消えました。

老人になって子どもの頃の夢、おじいちゃんになりたいが実現して気づきました。なぜおじいちゃんになりたかったのか、それは夢を見ても叶わないと思っていたからです。叶いそうな夢は歳をとることです。1日1日生きていればいつかおじいちゃんになれるのです。

夢は叶いました。夢が叶うと抜け殻のようになるのです。
小さな夢は叶いました。叶いそうな夢ばかり見ていたからです。

身の丈を考えずに夢を見ても頑張れません。自分の今までの生き様が間違っていたとも思えません。これからも夢を見続けます。夢はスーパーおじいちゃんになることです。

スーパーおじいちゃんの定義はこれから考えますが現状維持でないことは確かです。人生って答えのない問いに答えることなんだと実感しています。