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ヒトラーvs.ピカソ はミステリー映画ではない


こんにちは。チャン・パムです。

4月に晴れて新卒入社し、日々の生活に追われ、映画からも離れておりましたが...

昨日は久しぶりに映画を観たので鮮度が落ちないうちに投稿します。

ヒトラーの秘宝。だれも知らない闇の美術史。

今回は、映画「ヒトラーvs.ピカソ  奪われた名画のゆくえ」について考察します。

タイトルだけで観ると、どうですか?

すごく気になりませんか?面白そう!って。

予告ポスターの下の方にも「究極の美と権力に秘められた名画ミステリー」なんて謳われていて、きっと芸術の力によってナチス政権の勢力拡大を図ったヒトラーと、ナチスによって奪われその後行方不明となった名画の謎を握る人々による真相解明ミステリーなんだろうな、と私は思っていました。

いや、確かに。それはそれで間違ってはいないんだ。

間違ってはいないんだ、けど

この映画の主軸はそれではない。と、私は感じました。

芸術作品って、何でもそうですが、現代社会と切り離せない部分があって、映画もそのひとつだと思うのですね。

そんな現代社会を生きる私たちに、この映画がどのようなメッセージを投げかけようとしているのか。それが、映画「ヒトラーvs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」の見どころとなったのではないかと思います。

(以下 ネタバレ含みます)

物語は、全編ドキュメンタリーで構成されています。

劇中でも解説があるように、絵画=上流階級の者のたしなみ というイメージが強いことから、人々は絵画を通して自分自身の価値も上がった“気になって”しまいます。実際、ヘルマン・ゲーリングは絵画を通して上流階級との交流を行っていましたが、ナレーションでも言っていたように所詮は「成り上がり」でしかなかったのですね。これが芸術の怖いところです。

このシーンを見たとき、私は、映画「グリーン・ブック」のマハーシャラ・アリ演じるシャーリーがヴィゴ・モーテンセン演じるトニーに雨の中訴えかけるシーンで言ってた言葉とリンクしました(わかる人にはわかるかな?)。

奪われた絵画の背景には様々な悲しい人間ドラマがありました。

自分たちが所有する絵画を守り抜こうとした結果、ナチスの人間に囚われた、とある夫婦。夫婦は長い間収容所に入れられ“釈放”された後、別々の収容所に入れられます。そのとある夫婦の孫にあたる男性が、祖父は独房に入れられ、ナチスの人間によって殺され後に死体を湖に棄てられた、その後祖母のほうも殺されてしまった、と、涙ぐみながら話していたシーンは特に印象的でした。

また、権力拡大の為に絵画等芸術品を奪ったナチス。一方で、奪われた3枚の絵と1枚のデッサンの為に全財産と人生をかけて奪い返そうとした人もいる、と劇中で語っておりました。これが権力を愛する者と芸術を愛する者の悲しい物語であり、芸術の二面性のように感じました。

つまり、ヒトラーvs.ピカソとは「政治vs.芸術」だったのではないかと思います。

vs.、と言うと対立しているように思えますが、対立を表しているというよりかは、合わせもつ二面性がお互い絡み合っているように感じました。芸術は一方的に消費されているように見えますが、実は、政治と芸術とは、相互的に依存しあった関係にあるのです。

芸術は政治によって消費され、政治もまた、芸術的に処理されるのではないでしょうか。

そして最後の、パブロ・ピカソの言葉。

「音楽を耳で聴くだけの音楽家や、絵を目で見るだけの画家がいたら、それは芸術とは言えない。芸術家は常に世の中の悲しみや喜びに敏感でなければならない。無関心ではいけない。絵は、盾にも矛にもなる戦うための手段だ。」

こういった過去の悲しみや喜びを自分の肌で感じるために、この映画は映画として作られたのではないでしょうか。悲しくて辛い過去はなるべく忘れたいと思うのは、どうしてもあると思います。しかし、私たちが生きている現代は、その残虐な過去と繋がっているということを忘れてはならないと思うのです(劇中でも語られておりましたが...)。

ユビキタス社会に生きる現代の人々は、目で見た情報だけで全てを知った気になってしまいがちですが、五感を刺激するような「生の体験」こそが自身の肉となるのではないでしょうか。

過去の出来事というものは、生の体験ができないからこそ、こういったドキュメンタリー映画を通して少しでも肌で感じることができたら、と思います。また、現代社会を感じとる手段として、あるいは現代社会と向き合う手段として、芸術があり続けてほしいと強く思いました。


それと、有名な画家の名前や絵がたくさん出てくるので、好きな人は楽しめるはず(*^^*)













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