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伊藤計劃『ハーモニー』私見③
③で最後になります。長々と綴らせていただきました!ここまで読んでくださったみなさま、ありがとうございます😊
5.自殺と意志についての考察
学生時代には友人に自殺を斡旋したり、自らも自殺未遂を繰り返したりしていたミァハであったが、物語終盤では自殺を「人間としてあるまじき最低の行為(P.346.12)」と唱えている。
後者についてミァハの自殺に対する考えの根本を、ショーペンハウアーの哲学に見出したい。
以下はショーペンハウアーの『自殺について』、『意志と表象としての世界』より、自殺と意志に関する要約である。
ショーペンハウアーは、自殺を愚かしいものであるとする。自殺では目的を達成できず、目的に対して誤った手段を取ることは愚かしいからである。
では「目的」とは何か。
それは苦痛からの解放である。
自殺によってもたらされるのは、死であり個体性の消滅であるが、それは苦痛からの解放と同義ではないとする。
苦痛は人間の本能の本質である「意志」から生じるものであり、自殺は個体性の消滅しかもたらさないため、自殺によって意志の本質である苦痛は解消されないとしている。
つまり、個体が消滅しても苦痛そのものは世界に残り続けるということであり、本当の意味での苦痛の解消にはならないため、自殺をすることは愚かしいとするのである。
さらにショーペンハウアーは、自殺を「意志の強烈な肯定」と説き、自殺するのは現在の自分の諸条件に満足できていないからだとする。
自殺者は生きようとする意志を放棄するのでなく、単に生を放棄して個別の現象を破壊するのにとどまっていると述べる。
自殺では果たせないのだとすれば、苦痛からの解放とは一体どうすることなのかという問いに、ショーペンハウアーは以下のような結論を下す。
それは「生への意志を否定すること」である。
全ての意志を否定することで、この世のあらゆる存在は無となり、苦痛を感じることもなくなるというのである。
真の救い、生と苦悩からの解脱 Erlösung は、全面的な意志の否定なしには考えられない。そこに至るまでは、誰もがこの意志そのものに他ならず、意志の現象は儚い生存であり常に空しく、絶えず水泡に帰していく努力であり、万人が平等な仕方で否応なく属している、苦悩に満ち満ちて示現している世界なのである。
このようなショーペンハウアーの哲学的思考はミァハが唱えるハーモニクスと非常に似通っている。
意志とは意識のことであるので、ハーモニクスがもたらす意識のない世界とは、生への意志を否定しこの世のあらゆる存在を無とする、苦痛を感じない恍惚な世界を作り上げることなのである。
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学生時代のミァハは自殺未遂を繰り返していた。そして何度も死に損なっていた。それは命を絶つという明確な強い意志がミァハにあったということを明らかにし、同時にミァハが「意識」を重んじていたことに繋がる。
しかし後に「ハーモニー・プログラム」の存在を知り、ミァハはこのショーペンハウアーの哲学思考、「意識」を捨て去ることで苦痛から脱却し幸せを手に入れるという考えを持つようになったのだといえる。
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6.おわりに
ここまで、伊藤計劃『ハーモニー』についての考察を行ってきた。
物語における平和で健康な一見ユートピアのような社会の中に潜む、生きさせる権力とソフトな監視社会について述べ、パノプティコンの効果が人々に働いているとした。
外からの監視によって内を制する必要性が苦痛を生じさせることもあるとし、「意志を求められることの苦痛、健康やコミュニティのために自身を律するという意志の必要性だけが残ってしまったことの苦痛(伊藤計劃『ハーモニー』P.344.7)」を解消するための意識の消失について述べた。
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意識の消失がもたらすのは「調和(ハーモニー)」であり、社会的ストレスからの解放であった。
意識の消失を可能にする「ハーモニー・プログラム」を作動させたミァハの思想には、「全面的な意志への否定」が根底にあり、これはショーペンハウアーの哲学に類似しているといえ、特に自殺と意志という観点から、その類似性を顕著に見ることができると結論付ける。
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