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体を壊すような忍耐強さは要らない

掃除してたら古いお薬手帳が出てきた。東京でひとり暮らしを始めた頃からの記録。花粉症がひどくて、春と秋に耳鼻科に通っている記録が多い中、内科へ行って胃薬をもらっている様子が残っていた。最初の胃薬処方の記録から数年ごとに、胃や腸の不調を訴えている。

今ならわかる。それはストレス反応だ。

記録をさらに見直す。胃腸の不調は定期的に起こるので、内視鏡検査をしようと初めて思った。調べたら、胃炎の痕がたくさんあった。ストレスが溜まっている状態と自覚しない当時の私は、医者の言葉に「へえ」と思っただけで、検査後すぐにロイホでハンバーグをガツガツ食べてた。そういえば、めまいが起きて、仕事を早退して病院に行ったこともあったっけ。

今ならわかる。私は、無理してた。必死に我慢してた。

過去、元気だったときとそうでなかったときを分けて、それぞれの共通点を考えると、あぁそういうことかと、しっくりくるのは、ありのままの自分でいることを自分で否定しているとき。元気が削がれていったときは、正直なふるまいをグッと抑えている。

私は私に与えられた場所と求められる役割を理解し、そこへ美しく納まることこそが、集団生活を送るホモサピエンスとしてするべきことだと学習してきた。はみ出している気持ちをひとりこらえて、なんとかしてきた。尖ったり凹んだりしている歪で硬めの物体を、立方体の箱に収めようと力づくで押し込んでる感じ。不快を訴えてもワガママだと言われたり、可愛げがないと言われたりして、結局は我慢することになるからと思っていた。

だから、自分の「イヤ」には無頓着になった。それに気づいてしまっていたら、私は学校や会社といった社会では生きてこれなかったのかもしれない。

「忍耐力が長所だね」と両親にも友人にも言われた。自己PR欄には、そのとおりに書いた。

長所は短所にもなりうる。忍耐強く我慢することは、裏返せば、自分で自分を追い込むこと。

いくら我慢強いと言って一時は立方体の箱に収まったように見えても。しばらくすれば「やっぱりここは無理でした」と、ビヨーンと出ちゃったり、箱を突き破ったりするだろうに。こんな調子なら、何処へ行っても誰と居ても、私はストレスで苦しむことになるんじゃないか。それはもう、仕方のないことかもしれない。そういう性質で生まれてきたのだったらと、半分諦めかけていた。

現在。私がお世話になっている場所場所で、ストレスについて学んでいる。セルフケアで最も大切なのは自分の状態に気づくことだと知った。私は、自分の状態(こころとからだの両方)に、とことん気づけていない。気づこうとしない。私は大丈夫って思ってる。思いこんでる。そう自分に言い聞かせることが基本になっている。

例えば「苦手な人のタイプや環境ってありますか?」と聞かれたら「どこでも大丈夫。誰でも大丈夫です」って反射的に答えてる。そう私は自覚していたから、意識上では矛盾はなかった。でも、やっと、のどの奥で何か詰まっている感覚に気づくことができた。苦手だなと思っていたことが、たくさんあったような気がする。

そして、ストレスに対してより能動的に対処していく、新しい価値観や手法(例えば、ストレスコーピングや、アサーティブなコミュニケーション)のトレーニングをしている。まるで、つかまり立ちを始めた子のように。試して失敗して、また試して。

もう、体を壊すような忍耐強さは、やめたいから。いい塩梅に私を表現できるようになりたい。急には変わらないと思うから、少しずつ。ありのままの自分を否定せずに生きていけるように。