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哲学: 自由について

全ての人は「自由」について賛同するはずだ。誰だって自由がないのは嫌だ。

しかし、面白いことに「自由ですよ」と言われているにも関わらず自らに制限を加えようとする人もいる。また、人の自由すら奪おうとする人もいる。

最近の流行病などわかりやすい。「マスクは任意だ」といっているにも関わらず強制しようとするバカちんもいる。
任意から任意になることへ何の疑問も持たない人もいる。

ワクチンも任意だと言っているのに「ワクチン射たない奴は人間じゃない」みたいなことを言い出す。

自分の自由は奪われたくないけれど他人の自由を奪うことに何の疑問も持たないようだ。
自由を苦労して手に入れたことのない民族のせいだろうか。

人の自由を奪うことを容認すれば、将来、管理され自由を奪われていくきっかけになることを想像できないのだろうか。

人間は他人を管理したがるものなのだ。抑制は難しい。

学校の校則のことを想像してほしい。無意味なルールがたくさんある。学校側が「管理したい」という心理傾向を抑制できていない良い例だ。

野放図にすればいいと言いたいのではない。

生きていく上で重要とも思えないこと、説明のつかないことをルールにしていることのおかしさを言いたいのだ。

交通法規のように必要なルールもたくさんある。強制すら必要だとも思う。秩序を構築しなければならないこともあるからだ。
それは理由を説明することができるものだ。

サルトルが言ったように「人間は自由の刑に処せられている」というのは本当だ。
自由を与えると、自分で考えることも判断することも出来ずに、指示されることを待ち望む。
そして自由に考え行動する人を縛ろうともする。

自由を表明すると、「自由だからといって何してもいいわけじゃないんだぞ!」と、誰が聞いても意味不明なことを大声で言ったりもする。

自由を手に入れることの難しさは、自由の刑に処せられた人たちが暴走するせいでもあると思う。

哲学はそれを乗り越えなくてはならないので大変なのだ。
自由をどう表明するかを考えたことがない人がほとんどだろう。自分に選択権があるということを自覚するには哲学の思考が不可欠だと思う。

「自由とは何か」、自由は意外にも難しい課題である。さらに勉強しようと思う。

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