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健康と病気予防について

世界保健機関憲章 では、
「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にある」とし、

厚生労働省では、それを「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であること」と解釈しているようだ。

文脈を読み取ってほしい。
「良好」や「満たされた」という状態は主観的なものである。

潜在的に病気を抱えていたとしても、自覚症状という主観的な感覚がない人は病気が発覚するまでは「健康」というわけだ。

また病気とは、
「生体がその形態や生理、精神機能に障害を起こし、苦痛や不快感を伴い、健康な日常生活を営めない状態。医療の対象になるもの」だと定義される。

医療の対象という文言がなければ、病気でない状態は、一時的なものか、全くないのではないだろうか。

苦痛や不快感は、一日のうちに一度や二度はあるものだ。
「今日はお腹が…」「肩が…」「首が…」「腰が…」「頭が…」「メンタルが…」いくらでも不快症状が挙げられる。

ぼくは何十万回と人の心身を観てきたことから言えるのは、
「健康とは、心身の不調や障害から回復できる状態である」と定義する。

回復には、心身だけでなく、栄養状態や体質、生活環境なども関与する。それらが整ってこそ「回復」がのぞめるのだ。
自覚症状がないというのは健康だといえなくもないが、人様に推奨できるかというとどうなのだろう。

背中が円くなって背骨の変性があっても、「曲げていると楽だ」と言う人もいる。真っ直ぐにしようとすると痛い。健康だろうか。

動くと痛いけど動かないと楽だ。だから動かないと言う人もいる。健康だろうか。
それを改善するつもりがない、というのは心が満たされているからだろうか。

食べすぎ飲み過ぎ太り過ぎでも、どこも悪くないし、病院の検査でもひっかかったことないという人。健康だろうか。

そんな人をたくさん観ていると、「健康とは?」と問われて、皆に通用する定義は難しい。

しかし、「心身の不調から回復することが健康」だとすると、より広く理解され、病気予防も含めた目標にもなるはずだ。

コロナウイルスへ感染することが悪いことではなく、回復しないことが問題なのだ、と考えることができる。

何もしないで「どこも悪くない」という自覚よりも、あちこち歩き回ったけれど「どこも悪くない」ことが大切だ。

「風邪を引いたけど、1週間で九割治ったよ」というと健康だと言えるのではないだろうか。

血液検査や画像検査で異常がなくても「病気」の定義に合致する人はいくらでもいる。
ぼくは、病気探しをするのではなく、動ける身体や不調から回復する心身が重要なのだと考えている。

「◯◯病」と名前を付けられるまで待っている人もいる。健康だろうか。

「どこも悪くない!」
病気になるまで言い続けるそのセリフは聞き飽きた。このセリフが変更できるなら、本当の健康観を手に入れたことになるように思う。

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