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⭐️心の学び:好きな仕事に出会うには…

世の中で好きな仕事に出会えて、それをやり続けている人はほんのわずかしかいないようだ。

動物園の飼育係を選んだ人は、そのわずか人の中に含まれているといわれる。

「好きな仕事をしたい!」という願望はほとんどの人が抱くが、それすらも現実化することが難しい。

ぼくは、たまたま好きな仕事に出会えたから幸福な人間だと思う。
きっかけは、力を持て余していた頃に「あなたの仕事は、今、あなたが人からして欲しいことだ」という聖書の黄金律に従ったことにある。たまたまだ。

最近、そうしたからといって好きな仕事が見つかるわけではないことに気づき始めた。

「好きな仕事」とは何だろう。
ぼくは、好きな仕事をしているので、嫌いな仕事をどうやってやればいいかよくわかっていない。それならばと好きな仕事について考えてみた。

自分がやって欲しいことをやることは好きな仕事ではなく「やるべきこと」である。

好きな仕事というのは全ての力をそれに注ぎ込むことが出来る対象だと言ってもいいように感じる。

好きなだけでは恋愛と同じように嫌いになることもある。嫌いになったら二度と好きにはならない。好きな仕事はそれとは違うのだ。

ぼくはこうやってnoteに投稿しているが「心」について全力をあげて知りたいと思っているので毎日書くことは辛くない。
読む側は面倒だと思うが、そんなぼくに付き合っていただいてとても感謝している。

他の何よりも心について書きたいのだ。繰り返しになろうとも書きたいのだ。そのための勉強は毎日やっても苦にならない。

また、絵を描くことにも全力を注ぎ込んでいる。なんでも試してみたいのだ。上手いとか下手とかは関係ない。全力を注ぎ込みたいのである。

これは好きな仕事に全力を注ぎ込むことの快感がそうさせるのではないかと思っている。

中途半端な取り組み方ならやらない。面白くないからだ。

noteへの投稿においても、なかなか続かないのは中途半端なせいではないだろうか。

好きなことは、見返りを求めることなくgive and give になるものだ。
結果として見返りはあるかもしれないが求めることはない。全力を注ぎ込む尽きない意思である。

それが難しいからこそ「好きな仕事」に出会うことが難しいのではないだろうか。

常に、「こうやったらこうなるんじゃないか…」という不安があるなら、本当に好きなものに出会うことはないだろう。賢すぎるのだ。

盛りがついた野良犬の様に、まっしぐらに目標に向かわなくてはならない。若いうちなら尚更だ。

アクセルを踏みながらブレーキも踏んではならないのだ。

残念なことに、年齢を重ねると誰しも賢くなる。ビビって何も出来なくなるのだ。それでもまだバカになれるなら大したものだ。

バカだと、好きなことが嫌いになることは滅多にない。それしか見えていないからだろう。ある意味幸せだ。その対象が仕事だと尚幸せだ。

何でもいいから好きなことを毎日やり続けてみるといい。それが出来ないなら性格的に好きなことを相手にすることが難しいかもしれない。賢いからだ。

noteなんてわかりやすい実験材料だ。三年くらい投稿し続けてみるといい。

こうやってぼくがnoteに思いつきを投稿しているのもバカだからかもしれない。賢ければ、もっと躊躇するか投稿しないかのどちらかだ。

長くなった。
好きな仕事を見つけるには野良犬になった気分を経験することだ。
そういうことで。         
                  おわり

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