それが夢なのか…

先日、夢についての話を書いた。
巷の夢に対するイメージはすこぶるいいが、それが何になるのだろう。
私たちの日々の生活を見渡してみると夢と言えるものがあるだろうか。
小さな子供たちが「野球選手になる〰︎」「ケーキ屋さんになる〰︎」とありきたりなことを言うのと、大人になってから語る夢は全く違うということは誰でもわかるはずだ。
子供の夢は蓋然性も含めて具体的なのかもしれないが、遠い夢の話である。
大人の夢は達成の蓋然性が低く現実的ではないことが多い。それを巷で言う夢と言えるのかといったことだ。
私たちの残り時間は刻一刻と減っていく。夢を語る時間はもうないのだ。
「夢がないなんて…」とバカにする人もいるだろう。では、あなたはその夢がどれくらい現実化しているだろうか。
また、夢を実現させるためにどんな努力をしているだろう。
おそらく人に語れるほどの大した努力はしていないはずだ。それは夢だからだ。幻を見ているのではないだろうか。
大人になってから非現実的な夢を語れるほどの暮らしをしているのはお花畑の住人くらいのものだ。
私たちの残された時間は少ない。
夢を語るなら目標を語るべきだ。それなら現在にどんな努力をして、それがいつくらいに開花して、どれくらいの位置までいけるかを計画することができる。
もし、あなたがそこそこの年齢なら体力や気力、能力、健康、などが低下していくことも計算しておかなくてはならない。
そして、その目標に全力で集中する環境を作っておかなくてはならない。
ここで「わかっているんだけど…」と言う人は夢を語っていればいい。いい夢が見れたと人生を終えることができるだろう、
明確な目標がないと「夢」という言葉で誤魔化すことになりかねない。
「昔は夢があったんだけどね…」と語る人を分析してみてほしい。
そう、それだ。
ある程度の年齢を重ねた人は夢を語るのではなく目標を語らなければならない。
目標が語れないなら今すぐ見つけるべきだと思う。
「どう死ぬか」でもいい。「コロッと死ぬのが夢だ」なんてバカなことを言ってはならない。
コロッと死ぬにはたまたまか強い努力がいる。それは目標にしなければならないものだ。
夢を語るのはチビっ子たちに任せてオジン、オバンは目標を語ろう。今やるべきことの話だ。自己啓発の話をしたいのでもコーチングの話をしたいのでもない。
私のこれらの話は、ある程度の年齢を重ねてきた人にはわかるはずだ。それなら、やがて私たちもそれくらいの年齢になれば気づくのだとしたら今やるべきことをやらなくてはならないのではないだろうか。
そう自覚することは真理だと思う。
残り時間がない。


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