哲学: 自分の敵を知る
人間は同じ人間である他者を敵とみなす傾向にある。そんなお互いの感情に振り回されて生きることが辛くなる人もいる。
ウィリアム.ジェイムズは著書の中で、
『敵と矛を交えようとする将軍にとって、敵の勢力を知ることは重要ではあるが、しかし敵の哲学を知ることの方がよりいっそう重大なことであるとわれわれは考える』
という意見に賛同している。
人を理解するには、「あーした、こーした」」「こんなことされた」という話よりも、「相手の心理的傾向を知る」ということがとても重要だとぼくは考えている。
人間は誰しも生き残りのために自分が生きやすくすることを最優先しようとするものだ。
これは誰しもがそうであるということだ。他人と自分の比較もその表れの一つだ。嫉妬もそれだ。
この動物的な感情を乗り越えるのは簡単ではない。
「敬意を払う」「尊重する」といった理性には、そういった解決の糸口があるが、それには「お互い」が付与されていないと成果は現れにくいものだ。
自分自身を生きるということは容易いことではない。力がいる。経済がいる。能力がいる。信念がいる。
それらを獲得していない者には辛い生き方になるかもしれない。
そんな中で、他人を敵とみなすなのなら「人間を知る」ということは尚更重要だ。そのことを知るだけで多くの煩悶は解決できるはずだ。
そして、敵である他人を知ることは、自分自身を知ることでもあることを忘れてはいけない。それが「人間を知る」ということでもあるからだ。
これが敵に克つということなのかもしれない。