⭐️心の学び:利己的な心を超えて…
生物学者のドーキンスは、
「私たちが利己的に生まれついている以上、私たち自身の利己的な遺伝子が何をしようとしているかを理解しようではないか。」
という。
そうすることができれば、
「遺伝子の意図をくつがえすチャンスをつかめるかもしれない」
としている。
それは、私たちが生きていくうえで、うまくいくことやうまくいかないとされていないことをうまく説明することができ、それをどう制御しどう扱うかもわかってくるのだ。
私たちが「ストレス」と呼ぶものは、利己的な遺伝子による心の働きが影響している。
ずる賢さや出し抜く、裏切る、足を引っ張る、嫉妬、悪口、ハッタリ、勝った負けた、優劣、自慢などの行為にも説明がつく。
すごいと思われたい心理や、自分は特別であると思う心理にも説明がつく。
「自分」に対する強い思いや、それに抵抗しようとする気持ちにもうまく説明がつくだろう。
それらは利己的な遺伝子の仕業でもあるのだ。
しかし、その意図を制御し、時には否定することもできるのが私たちの心の力である。
これは自動的に働くのではなく、能動的な意思の力を必要とする。
それが、これまでぼくの記事で述べてきたことだ。
心の力は脳の力でもある。
ドーキンスが述べるのは、
「脳は生存機械の日々の営みに携わっているばかりでなく、未来を予言し、それに従って行為する能力を手に入れている。
脳は遺伝子の独裁に叛く力さえ備えている。」
ということだ。
それが本当なら、人間は自動的とも思える利己的な心を制御するために生きているといえなくもない。
そして、利己的な心を受け入れてからが心の力の働きであるともいえる。
こういったことから「どう考えるか」という課題が生まれるが、これは利己的な心とは関係ないものだ。