考察:人生をたまたまで考える
「たまたま」「偶然だ」というと必ず宗教に関わっている人が「この世に偶然はない」と言い出す。この世に偶然があっては困るかのようだ。
進化心理学では「そのことをすることによって得るメリットは何か?」という問いから考えることが多い。「偶然はない」と言うことでメリットがあるのは誰だ。答えは簡単だ。
今日はそんな話ではない。
ぼくは「たまたま」だという言い方が好きだ。今日は「たまたま」の効用について考えてほしい。
ぼくは仕事で多くの人を観てきているけれど、病気の原因は「たまたま」が多い。
そうなることをたまたま知らなかったということだ。
知ってしまえば、真理の再現性によって回避する方法もわかる。
また、うまく生きていると思い込んでいる人に「それはあなた、たまたまですよ」と言うと面白くないだろう。
反対にうまくいっていない人に「それってたまたまですよ」と言うと心が晴れるのではないだろうか。
慰めで言っているのではない。本音だ。
誰でもうまくいかないことはある。ぼくにもある。
その原因は能力がないからではなく、たまたまやり方を知らなかったということがほとんどだ。
ぼくはこのたまたまのマイナス面を減らしてプラス面を多くしたいと思っている。
それを知るか知らないかは「たまたま」に依存するはずだ。
ぼくの考える哲学は実践に則したものでありたい。
記憶力を必要としないので老若男女、誰でも使え、効果はわかりやすいと思う。
当然ながら、変更や改善は常に行わなければならない。
日々の投稿で少しずつ言葉に表せるようになってきた。積小為大は真実だと考えていい。