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治療的哲学:考えることは「満足」で終わるものだ

考えることは死ぬまで続くが、死ぬまで悩むこととは全く違う。
思考は「不満」から始まり「満足」で終わるものだからだ。

ぼくの哲学の解釈は考えることをどう考えるかである。

哲学の対象を「生きること」に限定すると苦しいものになりがちである。それは「不満」ではなく「不安」から始まった思考だからだ。そこには「満足」はないと思う。そう考えることができるのだ。

「どううまく生きるか」とぼくは考えるのだが、それは悩むこととは違う。
病気で悩むこととは違い、健常な心身を維持して、どう使いこなすかということを対象にするからだ。

健常ではない思考は苦悩を生むことがわかっている。健常な思考を身につけ実践すれば苦悩が消失することで理解できるだろう。

そう考えると、苦悩は病気のようなものだといえないだろうか。

ぼくは思考を治療するかのように使いたいのだ。
そんな使い方をする思考は健常だと思っている。

「満足」で終わらない思考は、間違った思考か、まだまだ思考が足らないか、そもそも対象が間違っているからではないかという気がする。

どちらにしろ、考えることが死ぬまで続くのは確かだとして、それが悩み続けるといった意味ではないことも確かだ。

考えることと悩むことは違うのだ』


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