自立と孤立は似ている

「誰にも頼らずに生きるんだ」と宣言する人もいる。これを聞いて年齢を重ねた人は「そうだ、そうだ」と言う人はいるだろうか。
老いるということは出来ていたことが出来なくなることをいう。それでも「誰にも頼らない」と言えるだろうか。
老いは、年齢を重ねるということではないのだ。ちなみに育つということは出来なかったことが出来るようになることだ。この違いは意外に大きい。
誰にも頼らずに生きていくことはもっともらしく聞こえるが。本当に可能なのだろうか。
頭の片隅に「身内が何とかしてくれるはずた」という思いがないだろうか。全くないとはいえはい。
私は何度も威勢のいい話を聞いてきたが、老いてなおその勢いを保てる人はほとんどいないことを知っている。「私は誰にも頼りません!」と宣言することは結構だが、その宣言を聞いた人から「はいそうですか」と冷めた視線で見つめられることだろう。
自分の老いを見誤ってはならない。自分の考え方が変わるのはいつも不幸か病気なのだ。
「こんなはずじゃなかった」「こんなことになるとは思わなかった」という後悔は、他人から見れば当然のことであり不思議でもなんでもないのだ。
誰にも頼らない生き方は相当の覚悟がいることを知っておくことだ。
「なんか風邪っぽい」と言ってすぐに病院に行くような人は思ってはならないのだ。
高熱が出て、食事も喉を通らず、食料を買いに行くことも出来ず、トイレに行くことも困難になっても、自力でなんとかするということが言えるなら「頑張れ」と言ってあげる。
また、元気な時に「誰にも頼らない」と言うのはよした方がいい。そんなのは誰でも言うが、いざとなったらなんにも出来ないものだ。
ほとんどの人は誰かに頼らなければならない時がくる。そう言ったことが想像出来ないとしたら、これまで何を感じて生きてきたのだろう。
出来もしないことに頑になるよりも「困ったときは助けてね」と言っている方が人間的だ。頑な人間の特徴は「やりにくい人」ということを知っておきたい。
やりにくい人間なら簡単に成れるが、やりやすい人に成るにはかなりの努力が要る。
やりにくい人は自立に向かっているのではなくて「孤立」に向かっているのだ。
みんな生きていくことの難しさよりも死んでいく難しさを知る時がくる。それは出来ていたことが出来なくなるという「老い」がそうさせるのだ。
くれぐれも自立と孤立を勘違いしてやりにくい人にならないようにしてほしい。自戒も込めて言っている。

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