⭐️学び: 努力の値打ちを学ぶ
「努力しても無駄だ」「努力は報われない」といった努力を何かと勘違いしている人は多い。
努力するという能力のことがわかっていないから、努力の言葉の使い方も間違ってしまうのだろう。
いつも何かに成れると思って目標設定して、うまくいくと喜び、うまくいかないと悲嘆する。そのことと努力は関係ない。
努力は何かに成れるためにあるのではないからだ。
勉強することは何かに成れるためにしているのではない。学習能力を維持するためにやっているのだ。
試験勉強は記憶力を高めるためだ。考えることは思考力を鍛えるためだ。
そうしたからといって個々の能力は鍛えられても、何かに成れたりはしない。
努力は努力するという能力を鍛えはするが、何かに成れたりはしない。
ひまわりの種を蒔いたのにアサガオの花が咲いたりしないのだ。
ぼくが毎日noteへの投稿を繰り返していても「作家」に成れるわけではない。たまにしか投稿しない人よりも毎日努力して投稿していてもだ。
能力のないことを努力のせいにしてはならない。
作家になる努力は毎日noteへ投稿する努力とは違うものだ。
ぼくが毎日投稿する目的と、作家になるという目的を持つことは同じ努力では通用しない。
また、「努力する」という目的なら「継続した努力」が成功のゴールとなる。
努力しない人はどういうことかわかるはずだ。
いい加減、努力したら何かに成れるという思い込みが、うまくいかなかったからといって「努力は無駄だ」だという言いがかりはやめた方がいい。
中華料理を食べに行って握り鮨を頼むようなものだ。お門違いだということだ。
努力の成果は、努力する能力を得られることでしかない。
何かに成りたいなら最適な方法を探すべきだ。どんな方法があるだろうか、といった「探す努力」は、きっと何かの答えを見つけるだろう。
努力はそうやって使うものなのだ。努力を悪く言うヤツは嫌いだ^_^