動じない心について
「自分ならこうする」という生き方についての考察を前回は述べたが、実践するとなると簡単にはいかないものだ。
「自分ならこうする」という意志には、それと同時に他人への「見本」が含まれないとならないからだ。
人間は利己的な生き物である。
良い人に思えても現実は自己の利益を最大限に考えていることを知っておかなくてはならない。
そういった中で自分を貫くとなると、邪魔され、叩かれ、悪口の対象になり、いじめの対象になる確率も高い。
「自分ならこうする」という生き方の中に「見本」を含めておかないといけないという理由がわかるだろう。
そうした上で「動じない」という心を養っていくことだ。
動じない心は強い意志とは少し違うのだ。頑固や意固地とも違う。
なぜなら「見本」が含まれているからだ。利己的な目的を果たすべき心の使い方と違うことは重要なのである。
人間の心は探究していけばいくほど腹がすわってくるものだ。
「考え過ぎて頭が変になりそう」という話は完全に嘘である。
あれは、思い過ぎて頭が変になったのであって考えてはいないということだ。
そういった思考すら見本になることもある。
心は、日々養っていくという意思がないと、ゼロはゼロでしかない。そのことはわかっている。