⭐️エッセイ: 自分ばかり見ていると損をする?
「自己中心的」「利己的」「わがまま」「気まま」「自分勝手」こう表現される人はほぼ嫌われる。
なぜかと考える人はほとんどいない。
人間の心理は面白いもので「自分は特別である」という心理から利己的な心理の持ち主を批判するものだ。
「自分はそうじゃない」と思っているが、普通の生活をしていて利己的な心理でない人はいない。それを克服するには理性が必要なのだ。
利己的な心理とは「自分の利益を最大限」にしようとする人のことだ。他人から奪うということでもある。
そうされたくないから、そうしようとする人のことを嫌うのだといえばわかりやすい。
「あの人はね…」と批判しがちなのは、正しいや間違いだとかを言いたいのではなく、自分の利益しか考えていないということを嫌うのだ。
怠け者を批判する時は、そのツケが自分に回ってくることを嫌うからだ。
割り込み運転を嫌うのは、本来自分が得るべきものを奪われるからだ。
道徳はそういった軋轢を解消しようとすることでもある。
幸福を求める人は数多くいるが、今ひとつピンとこないのは自分の利益に関与しないからだ。
あまりにも自分ばかりに目を向けていると、周囲は自分の利益を奪う人ではないかと思い始めるものだ。
自分の言いたいことばかりをいっている人から遠ざかりたいと思ったことのある人はたくさんいるはずだ。自分の時間を奪われることが損だと思うからだ。
自分ばかりに関心がいくと、他人の時間を奪っていることに気づかなくなる人もいる。自分の利益を最大限にしようとするからだ。
反対に、他人に自分の時間を与えようとする人は好まれる。相手の求める利益にかなうからだ。
人間の心理は、無意識に、本能的に、微妙にやりくりしているものだ。
そのことに無知であると、心のブレーキをかけ忘れて自分が求めることと反対のことばかりが起こるようになるだろう。
自分への関心は3、他人への関心を7くらいにしよう努力していればいろんな利益がもたらさられるはずだ。
ぼくはこういった記事を書いたからといって何の利益もない。あるとすれば自己満足だ。
利益がないからnoteであっても継続する力が削がれるのだ。ネタ切れ以外のやめてしまう人の理由になるだろう。
利益があることばかりが価値のあることではない。そこから離れることにも価値はある。
そうすれば、好かれることもないが、嫌われる筋合いもない、そんな世界を経験できる。
無視されることならあるかもしれない。