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哲学: 人間のあるべき姿

エミール.ゾラは著書の中で、

「重要なのは、好かれるか嫌われるかではなく、己であること、自らの心を赤裸々に見せること、一つの個性を精力的に表明することなのだ。」

「人は平凡であればあるほど好まれ、理解される」

という。

これは芸術家の話なのだが、人間らしく生きようとする際にも同じことが言えるのではないだろうか。

己であることには不安がつきまとうものだが、不安を恐れそれに従うと、人からは好かれ、理解もされる。それを良しとすることもできる。

人間を前面に押し出して生きようとすることは、好かれたり賛同されるどころか、否定され嫌われることの方が多い。

『平凡な者は非凡を嫌い、非凡な者は平凡を拒絶するのだ』

人に好かれたいなら平凡を目指すといい。簡単だ。

平凡、非凡、どちらを選んでも、何もないということはないのだ。

ぼくは、何事でも探究をすればするほど孤立していくことがわかっている。熱意が差となって現れるからだ。

他人と分かり合えることはほとんどないといっていい。そもそも賛同されることなど初めからないのだ。

しかし、ぼくの己に従って生きるという信念は変わらない。それが、どういったものに適しているかはわからない。

己に従って生きることは、他人の生き方をなぞって生きるのではないから当然だ。孤独に向かうといってもいい。

己に従って生きるとは、気まま、または野放図に生きることでは全くない。
気まま、野放図に従うと人から好かれる生き方になるが、己を捨てなければならなくなるはずだ。

己に従うとは信念に従うことでもある。何かに成れるのものではないが満足に生きることができる。

他人に理解され好かれるかは、その時の運にもよるが、おそらく好かれることはないだろう。このことは知っておいた方がいい。

そのことは自分の中ではっきりしている。

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