見出し画像

⭐️心の学び:美への憧れが芸術なのか…

日本人は美術館へ行くのが大好きだという話を聞いたことがある。いつも美術館は大流行りだ。

美術や芸術についてよく理解しているからだと思っていたがそうでもないようだ。「美術館に行った私が好き」と思っている人は多い。

知り合いから
「どやった?」
「うーん良かったよ❤️」
と言いたいのだ。

「何が良かった?」と問われると
「…なんか、こう、すごくて」
「へー」
「ま、パッと見てキレイーと思ったのが好きなの〰︎」こんな感じだ。

芸術とは、パッと見てキレイで自分好みであるものが芸術であるという定義が生まれる。

先日、モネ展に行った。結論から言うと、普通に見れば風景画でしかない。芸術かどうかもわからない。観た人はそう思った人も多いのではないだろうか。

絵から読み取れるものは、当時の風景が偲ばれるというものだ。
美術史的な価値があることはよくわかる。技法の転換期を作った価値もわかる。しかし、風景画でしかない。

もちろんモネの作品が悪いわけでもない。

どうやら多くの人は芸術というものに過大な期待をしているように思える。
無理やり美を感じようともする。
無理やり芸術だと言いたがる人もいる。
しかし、本当にわかっているようには思えないのだ。

「美」だけについていうなら写真の素晴らしさは見ての通りだ。一瞬の美を切り取って描くことは不可能に近いからだ。
写真と同じことを絵画でやるとなると写真を写し取ることしか出来ない。写真を超えられないのだ。

ま、そんな話は置いておいて、芸術の定義にもよるが「芸術は美だけではない」という言い方もある。

それに従えば、制作物から何を読み取るかということが問われる。
バンクシーの作品を観るように鑑賞者の眼が問われるのだ。「パッと見て…」とは言えないのである。

そうなると、人間が思わせられがちな「美への憧憬」や「優れたものへの追従」が消え失せるはずだ。

ぼくは制作者の意図に興味がある。そこに普遍的なものが含まれているなら、それを芸術だと呼んで差し支えないと考えている。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,334件

#探究学習がすき

7,441件