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いじめられる準備はできていた

江國香織の代表作「号泣する準備はできていた」。内容をすっかり忘れてしまったけど、号泣に至るまでの確実なフラグが、たくさんあるんだろう。それは、他の誰でもなく自分で生み出している。もしかしたら”いじめられる準備はできていた”。私にも、そういえるのかもしれない。

まず、私には戦う姿勢がない。どうにかして言いまかしてやろうって気もない。特にこだわりもない。優しいかんじ。でも、ちょっと正義感がある。それだけで準備したつもりがなくても、準備完了している。

反対に、わがまま。すぐに手が出ちゃう。怒りっぽい。いたずら好き。冒険好き。たのしいことはやめられない。嫌いなことは嫌っていう。それだけでも、いじめっ子はあらかた準備完了となるのかもしれない。

しなやか、おおざっぱ、きれい、ブサイク、ハゲ、運動神経いい、女受けがいい、お年寄り。“人”って存在は、カテゴライズされた瞬間に、妙に悲しい何かへの準備ができてしまっている。



・・・・思い直してみたい。

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普段優しい人が怒ると一番怖いと言われているのは、誰も何もどこにも準備されてないからであろう。ブサイクがモテるのが理解されにくいのも、そのモテるアドバンテージの準備がどこにあるのか見えないから。

本当ならば、そんなのどこにもないのが普通なんだ。悲しくも人は、この世界に、それをなんとなしに基礎として作ってしまった。


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一見怖い人の腰がものすごく低い。クリクリっとしててつぶらな、かわいい目をしてるすぐ殴る凶暴な人。泣き虫な人の趣味が狩猟。キティーちゃんだらけの部屋に住むイケメン俳優。なにもおかしいことはないはずなんですが、みんながみんな知らずに準備しているなにかを、この暑さで出てくる汗と一緒に吹き流したい。

と、おもいました。







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