スピリットで生きる人たちの漫画「劇光仮面」「シグルイ」
山口貴由さんの漫画が面白い。表紙を見るだけでもわかるのですが、絵の持つ力強さが強い。主人公たちの鍛え抜かれた肉体に、命がけで生きる者たち特有のスピリットが宿っているのが著者の漫画の特徴なのかなと思いました。
劇光仮面は特撮に命をかける社会人たちの物語。シグルイは、江戸時代(寛永6年)の2人の剣士を巡る試合を描いたもので、時代小説『駿河城御前試合』を原作としています。江戸時代の剣士が命がけで戦うのは何となく想像できますが、劇光仮面も現代版のシグルイ(死狂い)という感じでした。
劇光仮面は、大学のサークルで特撮美術研究をしていたメンバーのその後を描いたものです。サークルメンバーが作る特撮の着ぐるみやヒーロースーツはリアリティが半端ない。
精巧で重厚、なおかつ殺傷能力がある機能も妥協なく再現し、それを着るために体を鍛え上げ、精神も整え、何時間もかけてそれを着用して、時には正義のために戦う。なかなか狂気じみていますが、あまり感情の起伏を感じない主人公が何かに憑かれたように特撮ヒーローに突き動かされていく様を見ていると心を動かされます。
劇光仮面の主人公は大学を卒業後、アルバイトをしながら日々を過ごしており、「僕は何者でもない。僕は器に過ぎない。それこそが僕の強さだ」と一巻の冒頭で、静かに心の中で語ります。シグルイの主人公も、感情をあまり見せずしゃべらないことから、兄弟の中でもないがしろにされながら育ちましたが、武士として「虎眼流」の道場に入ってからは、めきめきと頭角を現していきます。
いずれの主人公もスピリットベースで生きているというか、他の主人公と対峙する人物たちもとにかく迫力がすごい。何となくシステマっぽいなと思ったのは、「斬る前に斬っている」という描写が、両作品で多かったことです。実際にはまだ斬っていない(動作すらしていない)のに、「そこにいる」という迫力と存在感によって、相手や聴衆は斬られたと錯覚してしまう。
面白いなと思ったのは、劇光仮面では相手がその妄想にとりつかれると蛇に睨まれたまれたカエル状態になってしまうのですが、シグルイの場合は、必ずしもその通りの結果にならないことです。
シグルイは、剣の達人ばかりが現れるので、イメージ上で斬られても、そのイメージを塗りかえてそれを上回る剣術や気迫で相手を斬り返してしまうという。システマでもそんなやりとりはあるのでしょうか。かなりレベルが高い話ではあると思いますが。
あと、シグルイで「ものを思うは脳ばかりではない。臓器にも記憶は宿る。筋肉とて人を恨むのだ」という言葉が出てきます。決闘で負けた武士が、致命傷を食らって肉体的には死んでいるはずなのに、なぜか立ち上がって気迫だけで相手を討ちに舞い戻ってきて、その相手が恐怖する場面で流れるナレーションです。
システマでも、体にネガティブな感情や記憶が宿るという考え方がありますが、シグルイは論理で説明できないような常軌を逸したシーンが満載でした。怖いけど気になって見ちゃうってやつです(笑)。
登山漫画の『神々の山嶺』も面白いのですが、スピリットベースで生きている話が好きなのかもしれない。当たり前のようにスピリットベースって言ってますが、スピリットベースって結局のところ何なんですかね(笑)。そんなことを考えました。
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