アイルランドの異教的伝承「エウェルへの求婚」(アルスター物語群)①:¶1~10
私が翻訳したアイルランドの異教的伝承「エウェルへの求婚」(Tochmarc Emire) をここに掲載していきたいと思います。
「エウェルへの求婚」は複数の写本に書かれており、それぞれバージョンが微妙に、あるいは大きく異なりますが、それらについてここで細かく示したりはしません。また原テクストを載せてもあまり需要がないと思いますので、訳文のみを載せることにしたいと思います。脚注での解説なども省きます。
「エウェルへの求婚」はパラグラフに分けて書かれており、全部で92のパラグラフがあります。本ノートではパラグラフ番号を示しつつ訳文を載せて公開します。
あらすじ:
アイルランドの大国アルスターの若き英雄クー・フリン。彼に添うべき妻を皆が探し求め、クー・フリン本人はある貴族フォルガル・モナッハの息女、エウェルへと求婚する。エウェルはクー・フリンがまだ一人前の戦士でないとしてこれを断る。クー・フリンは彼女の父フォルガルの奸計によって異界へと武者修行に行き、帰還してフォルガルを殺し、エウェルに課された条件を満たして結婚する。
今回は言わば導入部分です。舞台設定、ことの起こり、主要人物の説明が物語られ、クー・フリンがエウェルに会いに行くところまでです。
エウェルへの求婚、ここに始まる
ことの起こり
¶1
昔々、エウィン・ウァハに素晴らしくかつ高名なる王、ファフトナ・ファサッハの息子コンホヴァルが住んでいた。彼の治世下、アルスターの人びとには素晴らしいことがたくさん起こった。平和と平穏と喜びがあった。裁きと地の恵みと海の恵みがあった。支配と法と良い統治が長い間アルスターの人びとの上にあり、名誉と集会と財産とがエウィンの王の舘において大であった。
¶2
その舘、すなわちコンホヴァルの〈赤枝の舘〉ができてから〈蜂蜜酒の巡る舘〉を真似て飾り立てがあった。というのは、この館の部屋には炉から内壁まで九つの寝椅子が置かれ、それぞれの寝椅子の青銅製の前面は三十歩もの高さなのである。壁には赤いイチイの材を用いていた。その下の方には羽目板が張られ、その上の方には茅葺の覆いがなされていた。館の前の方にはコンホヴァル王の寝椅子が置かれており、寝椅子には銀の板がはめてあり、その板にはザクロ石がはめ込まれており、それ故昼夜を問わず同じ明るさが保たれ、その銀の板は王の頭上、館の最上部まで届いていた。コンホヴァル王が銀の板をその王杓で叩くとき、アルスターの者たちは皆静粛にするのであった。十二人の戦車戦士の十二個の寝椅子が王の寝椅子を取り囲んでいるのである。
¶3
アルスターの戦士は皆王の館で酒を飲む場所を見つけ、一人残らず座ることができた。火に照らされて煌めき、豪壮で、陽気なのがこの館にいるアルスターの戦士たちであった。その王館における集会は常に豊富な料理が供され、多くの比類なき腕前の楽師が演奏をしたものであった。そこでは技が披露され、演奏が行われ、そして歌が歌われた。戦車戦士たちは技を披露し、詩人たちは歌い、ハープとティンパニー奏者たちが演奏をしたのである。
¶4
アルスターの人びとがある時エウィン・ウァハでコンホヴァル王とともに「イアルン・ゴラ」(鉄の器の意)から酒を飲んでいた。この器で夜ごとに百度飲み物が計られたものであった。それは「地獄の計り」であった。これはアルスターの人びとを一時に満足させた。エウィン・ウァハのこの館で、アルスターの戦車戦士たちはドアからドアまで横ざまに縄の技を披露した。その館にいた人数は、なんと10の30倍の5倍に加え20の9倍であった。この戦車戦士達が行っていたのは三つの妙技、すなわち〈槍の妙技〉、〈林檎の妙技〉、〈刃の妙技〉である。
¶5
次の者たちがかの技を披露した戦車戦士たちである。コナル・ケルナッハ・マク・アウァルギャン、フェルグス・マク・ロイヒ・ロダーヌィ、ロイガレ・ブアダハ・マク・コンナズ、ケルトハル・マク・ウシャハル、ドゥヴサッハ・マク・ルグダッハ、クー・フリン・マク・スアルダウ、エウィン・ウァハの門番シュケール・マク・バルジャニャ——彼からベラッハ・ンバルジャニャ、すなわち「バルジャニャの峠」が名付けられた。また彼に由来するのが「シュケール・シュキョール」(シュケールの物語)という慣用句である。彼は偉大なる語り手であるがゆえに。
¶6
クー・フリンは素早い電光石火の技の腕前で、彼ら全員を凌駕していた。アルスターの女たちは、その技の素早さ、腕の動きの機敏さ、頭脳の切れ、話し方の甘さ、顔貌の愛らしさ、面立ちの良さゆえ、クー・フリンを大変愛していた。彼の王のごとき両目の中には瞳が7つ、すなわち片方に4つ、もう片方に3つあるがためである。両腕と両足にはそれぞれ7本の指。彼には数多の長所があった。まず、〈英雄の光〉が発されるまで存在する聡明さの優れたること、妙技の披露に秀でたること、「ブアンヴァッハ」と「フィズヒェル」という盤遊戯に秀でたること、予言に秀でたること、感覚の優れたること、肢体の美しさである。クー・フリンの三つの欠点は以下のものである——まず、若すぎること。なぜならば彼の口ひげはまだ生え揃っておらず、見知らぬ若者は彼を見くびることが多かったからである。そして、大胆すぎること。最後に、可愛らしすぎること。
¶7
妻たちと娘たちが彼をあまりにも愛していたため、アルスターの人びとによりクー・フリンに関する話し合いが行われた。この時クー・フリンに沿う妻がいなかったためである。その話し合いはクー・フリンの結婚相手を見つけ出すためのものである。男に連れ添う妻がいれば、娘たちはその男に魅了されなくなり、妻たちはその男を好ましく思うということを、彼らは確信していたからだ。そしてまた彼らは、クー・フリンがあまりにも早死にするのではないかと悩み恐れていたため、後継ぎを得させるためにも彼に妻を持たせたかったのであった。再び生まれたものはクー・フリンその人となるということを、彼らが知っていたためである。
¶8
そこで、コンホヴァル王は九人の男たちを、エーリゥ五大国の全てに送り出した。クー・フリンの妻を探すため、エーリゥのあらゆる砦や主要な街で、王や大地主やブリウグ〔訳注:訪れた者に無際限のもてなしを行う、公共的な役割を担う富者〕の娘——クー・フリンが欲し、求婚するのにふさわしい——が見つかるかどうか、探るために。コンホヴァル王に送り出された全員が一年以内に帰って来て、誰もクー・フリンが求婚する相手に選ぶような娘を見つけられなかった。
¶9
そこで、クー・フリンは自分で求婚しに行った、彼がルグロフタ・ロガという場所で知り合った娘——すなわち、フォルガル・モナッハの娘エウェルに。クー・フリン自身とその御者、つまりロイグ・マク・リアンガヴラが戦車に乗って行ったのである。それはアルスターの戦車のうち数多の戦車がその戦車とそこに座った戦士の速力と機動力ゆえに追い付くことのできない唯一の戦車であった。
¶10
するとクー・フリンは遊技場で乳姉妹たちに囲まれたその娘を見つけた。フォルガルの砦の周りに住んでいたブリウグの娘たちである。彼女たちはエウェルとともに針仕事とその他の手仕事を学んでいた。またこのエウェルこそは、エーリゥの乙女たちの中で、クー・フリンが言葉を交わし結婚を申し出るのにふさわしい、ただ一人の女性であった。なぜならば彼女は6つの長所を持っていたからである。姿態の美しさ、声の美しさ、声に宿る音楽のような調べ、手先の器用さ、機知、貞淑さである。クー・フリンは言った、アイルランドの娘たちの中で、年齢と姿態と家柄において自分にふさわしい娘を除き、誰も自分とともに来ることはない、そして彼女がそうでないのならば、誰も自分の妻にふさわしくはないと。なぜならば、彼女こそはこれらの条件を全て満たす唯一の娘だからである。クー・フリンが誰をも措いて彼女に求婚に来たのはそのためである。
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