アイルランドの神話・伝説と法律

古くから伝わる伝承と、現実社会における決まり事である法律――この二つが一体どう関係するのか、疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。イメージの上ではこの二つは繋がりませんが、実際にアイルランドの伝承を読んでみると、法の知識は慣習や文化ほどではないにしても、文章の意味を隅々まで理解するためには不可欠なものであるとわかります。

1.「ブリクリウの饗宴」における「人質保証」

先日全訳が完了した「ブリクリウの饗宴」(Fled Bricrenn) において、次のような記述がありました。

するとアルスター中の貴族たちが話し合いに集まった。 その話し合いでシェンハが彼らにした助言は次のようなものであった。
「それでは、ブリクリウとともに行くしかないのだから 、奴から保証となる人質を選べ。そして奴がその宴会とやらの様子を見せたらすぐに奴を追い払うために、周りに剣を持った者を八人置くのだ」(¶7)

ここに出てくる「人質」という語です。これがどういうことを意味するのか、訳している間はわかりませんでした。この語はその後も出てきます。

ブリクリウは、どうすればアルスターの人びとの間に争いの種を蒔けるか思いを巡らせ、その間に彼のための人質がやってきた。(¶8)
宴が催されている間、歌い手たちと楽師たちが音楽を奏でた。ブリクリウが宴会に用意されたものを、飾りつけと一緒に見せているとき、ブリクリウは人質保証に基づき、ホールを去るよう命じられた。保証人たちは抜き身の剣を手にして、彼をホールから外に出すために立ち上がった。(¶13)

この「人質」という語はアイルランド語ではaitireといい(「保証人」と訳した語も同様)、eDILによれば "hostage-surety(ship)"、「人質保証(人)」という訳語が充てられています。これは一体何のことなのか、それはアイルランドの法システムを参照しなければ理解できません。


2.「人質保証」の機能

今回参照するのは、Fergus Kelly, A Guide to Early Irish Law (Dublin Institute for Advanced Studies, 1988) です。以下いちいち断りませんが、この本からの引き写しです。

さて、初期アイルランド法においては、私人間の契約の場合、その契約が履行されるようにするため、保証人を立てるのが一般的です。

保証、及び保証人には三種類あり、それぞれráth、naidm、そしてaitireといいます。この三つ目が上記の「人質」に当たります(原文ではそれぞれaitiri、aittiri、atairi、また¶13の「保証人」も同じくaittiri)。

このaitire(hostage-surety;「人質保証人」)という保証人は以下のような働きをします。契約を結んだ二者の片方が、もし契約に定められた義務を履行しなかった場合、aitireが、定められた期間(通常は10日)、まさに「人質」として、違約者でない側に身柄を預けなければいけません。言わば行動の自由を担保とするわけです。

しかし、それで不利益を被るのは保証人であって、違約者本人ではありません。では違約者はその時どうなるかというと、上記の定められた期間内に適切な金額を払うことで、この人質を解放しなければなりません。その金額は、元々の契約に定められたものに加え、契約不履行の違約金、さらに人質に対する慰謝料が含まれるようです。契約において定められた期限をすぎてもなおaitireの解放のために契約者が支払いを行わなかった場合、違約者にはさらなる罰金が課されます。

以上がaitireの概要です。ここまでを理解したうえで、改めてこの保証人の働きを考えてみると、その意味が理解できると思います(拙訳①(¶1~7)②(¶8~16)をご覧ください)。

アルスターのコンホヴァル王以下の面々は、貴族ブリクリウによって宴会に招待されます。ブリクリウは常に不和と争いをもたらす男なので、彼らは参加を渋りますが、宴会に出席しなかった場合、アルスター中に争いの種を蒔くと脅しつけられます。直接書かれているわけではないですが、その後の展開を見る限り、彼らが宴会に行く代わりに、ブリクリウが彼らとは別の部屋に席を確保するということで契約が成立しているのでしょう。ブリクリウは宴会場の外に備え付けられた、日当たりのいい、宴会場を見渡すことのできるテラスに、自分の妻や従者と一緒に座りますので、恐らくそのような約束をしたものと考えられます。

そして、その契約を保証するためのaitire(保証人)を選出しているのです。¶13で、ブリクリウは保証に基づいて、宴会場を追い出されています。このaitire(保証人)は、もし約束を破った場合、囚われの身となるわけです。そしてその解放のため、約束を破った側は経済的な損害を受け入れなければならないので、保証人の存在が約束を守る圧力になるのです。


3.「ブリクリウの饗宴」以外の伝承における法

このような法(当然慣習と深く結びついている)の理解は、もちろん「ブリクリウの饗宴」のみにおいて役立つのではありません。例えば伝承ではしばしば「風刺詩」(英語sataire;アイルランド語áerad, rindad) が物語上重要な役割を持ちます。風刺詩というのは、相手を侮辱し、名誉を攻撃する詩です。

まずは有志の方が訳された「クー・フランの死」(抄訳版)の邦訳(訳文の全体はこちら)をご覧ください。「クー・フランの死」では、ルガズという戦士により英雄クー・フランを殺すための姦計がめぐらされます。詩人が三度彼に槍を要求し、その槍をルガズが投げると、クー・フランが死ぬという予言があったのです。もしその詩人による要求が拒否されれば、詩人はクー・フラン自身、彼の国アルスター、そして彼の親族を詩によって讒言し、侮辱すると脅します。吝嗇は恥と見なされていたからです。この英語での抄訳しか見ていないので原文を確認できていませんが、ほぼ間違いなくこれは前述した風刺詩のことを言っています。そしてこの脅しが効いた結果、クー・フランは自らの槍によって致命傷を負うことになってしまいます。

さて、クー・フランはなぜこのように、風刺詩によって侮辱されることを恐れ、敢えて危険を冒したのでしょうか。もちろん彼はアイルランド一の英雄であり、自らの命よりも名誉を何よりも重んじていましたが、それは単に彼自身の価値観の問題であるだけではなく、初期アイルランドの法システムと深く関わっているのです。

風刺詩は、それが向けられた人の名誉を文字通り「傷つけ」ます。それはつまり、その人の「名誉の値段」(díre) が下がることを意味します。我々現代日本人にとって、名誉とは曖昧模糊としたものですが、初期アイルランド法においては、それは具体的な価値を持ったものであり、特定の出来事によって上下するものでした。そのうち一つが風刺詩です。この「名誉の値段」は、様々な場面で受け取ることのできる金額であり、言わばその人の社会的価値そのものとも言える、非常に重要でした。よってクー・フランが風刺詩を避けようとしたのは、合理的な理由に基づいているのです。しかもクー・フランは、自分のみならず自国と自分の親族への不名誉も示唆されたので、彼の行動はむしろ当然のものとすら言えるかもしれません。

それでも、彼が名誉の、しかも自国と親族の名誉のために、まさに英雄にふさわしい自己犠牲を行ったという事実、その気高さには変わりませんが、上記のような社会・法システムの知識を加えると、そこに違った角度から光を当てられることがおわかりだと思います。


4.まとめ

やや散漫な内容となってしまいましたが、伝承における法知識の有用性はおわかりになったでしょうか。伝承というものは、それを生み出した社会と非常に深い関係にあるため、その社会に関する様々な面での知識が、その理解を助けるものです。神話研究で有名なのは、ジョルジュ・デュメジルの「三機能説」であり、これはインド・ヨーロッパにおける神々とその社会構造とが対応しているという、広く知られた説です。社会構造の面から神話の理解が深まるのと同様に、法律の面からも神話や伝説がよくわかることもあるのです。

「ケルト神話」という言葉には、ある種魔術的な神秘のイメージがつきまとっているかと思います。しかしそこに含まれるものを実際に見ると、より生々しい、そして現実的な、社会生活の機微とでも言うべきものが、随所に顔を出しています。それは幻想的ではありませんが、一方で人というものの普遍的な性質に思いを馳せることができます。我々は我々自身が抱くイメージを読むのではなく、書かれたものを読むのであり、書かれたものを理解するには、それを語った人々、聞いた人々、書いた人々のことを知る必要があります。それを怠れば、我々現代人にとって都合のよい勝手な解釈を許してしまい、書かれたものではなく我々自身を読むことになってしまいかねないのです。


参照文献:

Fergus Kelly, A Guide to Early Irish Law, Dublin Institute for Advanced Studies, 1988.

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