ケルト神話における王の盤遊戯フィドヘル

彼は繰り返して言った 、「王に聞くがいい」と。「これらの技芸の全てを一人で持つ者が、王のもとにいるどうかを。そしてもしいるのなら、私はタラの王宮に入ることはない」
それから門番はヌァザ王の館へ行き、王に全てを語った。「王宮の門のところに来ている戦士」と彼は言った、「その名前はサウィルダーナッハといいます。そしてあなた様の人びとの役に立つ全ての技、それら全てを彼一人が持っており、ゆえに彼は全ての技芸を持つ者です」
ルグは言った、タラの盤遊戯フィドヘル を自分のところへ持ってくるようにと。そして彼は全ての杭〔=遊戯の駒〕を取り、それゆえ彼は「ルグの杭」をつくった。(「マグ・トゥレドの戦い」¶67~¶69、拙訳

先日公開した「マグ・トゥレドの戦い」では、フィドヘル (fidchell) という盤遊戯が出てきます。このフィドヘルがどのようなゲームか、そしてこの場面でフィドヘルが登場したことの意味とは何か、説明したいと思います。

1.フィドヘルはどのようなゲームか

フィドヘルはチェスによく似たゲームで、そのためか「チェス」と訳されることもあります。正方形の盤に二人のプレイヤーが向かい合って座り、駒を動かしてプレイする点は同じです。フィドヘルの駒は杭のような形であり、恐らくは木製だったと推測されています(フィドヘルは「木の知恵」の意味を持つ)。フィドヘルはしばしば神話のなかでプレイされているのが見られます。

フィドヘルの盤は現存していません。アイルランドではブランドゥヴ (brandub) というボードゲームも存在し、しばしば混同されていたようです。「エーディンへの求婚」では、盤は銀製のうえ、角には宝石が輝き、駒は金でできており、そして駒を入れる袋は銅線で編まれているという、見事なひと揃いをミディル神が持っています("Tochmarc Étaíne", Ériu. vol. 12, pp. 174-175)。

また、ウェールズ語gwyddbwyllが語源的にフィドヘル (fidchell) と対応しており、同一のゲームと考えられています。


2.王の遊戯

フィドヘルは単なるゲームではなく、王の遊戯であるとされています。なぜそのように考えられているのか、例を見ていきましょう。

2.1.「侵略の書」フィドヘルの起源

最初の「マグ・トゥレドの戦い」の引用でも出たルグ神ですが、彼はその後神族トゥアサ・デー・ダナンの王となります。また、「侵略の書」では、そのルグがアイルランドにフィドヘルをもたらしたものと語られています。

(前略)ディアン・ケーフトの息子キアンの息子ルグ、彼はアイルランドにフィドヘルと球技と競馬と集会をもたらした者である。(R. A. S. Macalister, "Lebor gabála Érenn : The book of the taking of Ireland", vol. 4, ¶316)

実はルグ神は王権との結びつきがとても強い神でもあります。ある話では、ルグ神は「王権の女神」とともに登場します。神族トゥアサ・デー・ダナンがアイルランドに持ち込んだ四つの宝物のうち一つは、王となるべきものが踏むと叫び声をあげる、王を選ぶ石「リア・ファール」でした。あるとき〈百戦〉のコンという有名な王がリア・ファール石を踏むと、突如周囲が異界に変わり、そこでルグ神の館に招かれます。そこには「王権の女神」がおり、コン王に食べ物と飲み物を与えます。そしてルグ神はコン王の系譜に連なる歴代の王の名を挙げていきました('Baile in Scáil', in Myles Dillon, "The Cycles of the Kings", pp. 11-14)。この話は、徹頭徹尾王権への関心に占められています。この話でルグが主要な役割を果たすことが、ルグと王権との繋がりの深さを示しています。そしてそのルグこそがフィドヘルをアイルランドにもたらしました。

2.2.「クアルンゲの牛獲り」コンホヴァル王

コンホヴァル王はその王たる一日の三分の一を、子供たちを見守って過ごし、もう三分の一をフィドヘルで、もう三分の一を眠りに落ちるまで酒を飲んで過ごす(Thomas Kinsella, "The Táin", p. 76)

「クアルンゲの牛獲り」における、クー・フリンの子供の頃のエピソードです。コンホヴァル王はその「王たる」(原文ではflaith「支配」)一日の三分の一を、フィドヘルをプレイして過ごすとされています。ここでわざわざこの言葉が入っていることは、フィドヘルと王の関係を示唆するものの一つとなります。

2.3.戦士の王クー・フリン

「アルスターサイクル」の中心的英雄クー・フリンは、フィドヘルの達人としても知られています。アルスター国の三人の英雄が最高の英雄の称号を争う「ブリクリウの饗宴」では、アルスターサイクルの中心的英雄クー・フリンが、御者ロイグを相手にフィドヘルをしているのがみられます。そしてこの場面は、コナハト国の女王メイヴが、三人の英雄に序列をつけ、クー・フリンが最高の英雄であるとの裁きを下す場面の直前なのです。

「アルスターの奇跡の申し子よ、エーリゥの戦士の炎よ、私たちはお前を騙したかったのではない」とメイヴ。「もしエーリゥの最も優れた戦士達が来ようとも、私たちは一番最初にお前にそれを与えるだろう。なぜならエーリゥの戦士達は、名声と勇気と武勇とにおいて、理知と若さと気高さにおいて、お前の方が優れていると認めているからだ」
するとクー・フリンは立ち上がり、メイヴとともに女王の館へと行った。アリルは彼に歓迎の意を示し、彼に赤い黄金のカップを手渡した。それは極上の葡萄酒で満たされており、宝石でできた鳥が付いていた。さらに彼の両目と同じ大きさの竜石が特別に与えられた。(「ブリクリウの饗宴」、¶61~62、拙訳、https://note.mu/p_pakira/n/n8d47f761ec68)

そしてそのクー・フリンですが、「ブリクリウの饗宴」の中で、アイルランドの戦士たちの頂点という意味で「戦士の王」としばしば称されています。

「おお、エーリゥの戦士の王よ、もしあなた様が元のように真っ直ぐに戻さなければ、この世界には元に戻せるものはいないでしょう」(¶27)
「いまから俺をエーリゥの戦士の王にして〈英雄の分け前〉を争わず俺のものにして俺の妻を常にアルスターのあらゆる女たちの先頭に立てるようにしろ」(¶87)
「今この時より、そなたはエーリゥの戦士達の王となる。誰もそなたと〈英雄の分け前〉を争うことはできぬ。」(¶102)

この「ブリクリウの饗宴」における、「戦士の王」(rí láech nÉrend;ríは「王」)というクー・フリンの呼ばれ方と、フィドヘルを指していたこと、そのタイミングは、意図的なものと考えるべきでしょう。

2.4.フィアナの王フィン

「フィアナサイクル」の英雄フィン・マックールも、フィドヘルが非常に上手いことが知られています。

「フィンの少年時代の功業」で語られるところでは、彼の父クウァルは戦士団フィアンの長でした。しかし父クウァルが敵によって殺されたため、フィンは敵達から隠れ、二人の女戦士に育てられました。フィンは一人立ちし、ある王の傭兵となりました。ある時、王がフィドヘルをしていたところで、フィンが王に指示をすると、王は立て続けに七回勝利しました。このせいでフィンはかつてのフィアンの長クウァルの息子であると看破され、逃げるように助言されます。(「フィンの少年時代の功業」、¶14 https://celt.ucc.ie/published/T303023/、あらすじまとめ:https://note.mu/p_pakira/n/nfcffe3ee453e

フィンはただの戦士ではありません。フィアンと呼ばれる戦士団はアイルランドにいくつもありましたが、その中でもフィンの戦士団は最も強く大きいものに成長します。後の伝説では、フィアンと言えば特にフィンの戦士団を指すものとなっていきます。そしてフィン自身は、しばしば伝承の中で「フィアンの王」と呼ばれます。彼もまた王なのです。ただし、アイルランド王にも匹敵する力を蓄えてしまったために、王に敵視され、破滅を招くこととなってしまいますが。

「イチイの木の下でのフィドヘル」という話でも、フィンと息子オシーンがフィドヘルを指しています。この話では、フィンは"flaith na fFían"「フィアンの支配者」と称されます。この語はコンホヴァル王の項でも現れました。(Duanaire Finn vol.2, LXIX, p. 402 https://archive.org/details/duanairefinnbook02murpuoft

2.5.王と神が指すフィドヘル

神話サイクル「エーディンへの求婚」においては、フィドヘルが重要な役割を果たします。トゥアサ・デー・ダナン神族から人間に生まれ変わったエーディンという美女がいました。エオヒズという王がアイルランドを支配しましたが、妻がいないため税を払わせることができず、妻となるべき女性を探すと、エーディンがふさわしい女性として見つかり、結婚します。しかし、生まれ変わる前のエーディンは、神々の王ミディルの愛人だったのです。彼女はミディル神の妻の嫉妬のため、魔法で人間に生まれ変わったのでした。

ミディル神はエーディンを探し出し、その夫エオヒズ王に計略を仕掛けます。ミディル神はエオヒズ王がフィドヘルに長じていることを知り、フィドヘルでの賭けに誘ったのです。ミディル神はエオヒズ王を何度も勝たせ、そのたびに欲しいものをたくさん与えてやりました。いい気になったエオヒズ王を、ミディル神は最後の一戦で負かしました。そして、エーディンへの口づけを勝利の対価として要求しました。

エオヒズ王は一カ月待てと言い、その間に戦士を集めました。そしてミディル神が来る当日、武装させた戦士達に彼を迎え討たせようとしました。しかしミディル神は魔法でそれらをすり抜け、エーディンとともに二羽の白鳥となり、神々の世界へと去ってしまったのでした。

エオヒズは人間の王、ミディルは神々の王であるため、フィドヘルを指す両者はどちらも王となっています。


3.フィドヘルと宇宙

さて、以上に紹介してきたように、フィドヘルが王と関連付けられていることは確かなように思えます。なぜフィドヘルはこんなにも王と結びついているのでしょうか。これを考えるために、一時アイルランドから離れてみましょう。

インド神話がご専門の沖田瑞穂先生は、盤遊戯の盤面とは宇宙そのものであり、遊戯の進行は宇宙そのものの運行であると述べられています。近著『マハーバーラタ入門』では、インドの神話的宇宙観における時代区分と、インドのサイコロ遊戯の賽の目が一致していることを指摘され、「インドでは、宇宙の循環がまさに骰子賭博の展開そのものである」とされています。またWebマガジン「考える人」(新潮社)で連載中の「インドの神話世界」において、この問題を詳しく取り上げ、さらに中国の事例も扱われています(「2 古代と現代、「ゲーム」はどうつながる?」https://kangaeruhito.jp/article/5814)。それによれば、「中国やインドの神話の盤上遊戯において、ゲームの進行が世界の運行を意味している」とのことです。

アイルランドの神話的世界において、宇宙秩序(コスモス)は、王と結びついています。例えば、良き王が統治すれば、地は肥え、作物と家畜が良く育ちます。逆に悪い王が統治すれば「マグ・トゥレドの戦い」におけるブレス王のように、人々は貧しくなり、作物も家畜も育たなくなってしまいます。そして最後には、悪しき王は放逐され、新しい王が統治することになるのです。そのため、王には様々なゲシュ(禁約)が課されます。

「ダ・デルガの館の崩壊」には、コナレ大王という王に課される様々な不思議なゲシュが述べられています。このように、王というミクロな存在と、宇宙というマクロな存在がつながっている(神話的にはマクロコスモスとミクロコスモスの対応という)という世界観が、アイルランドの神話の中には見て取れます。

「エーディンへの求婚」のあらすじで述べた通り、王たるものは結婚しておらねばなりませんでした。なぜならば、ルグ神のくだりで説明したように、王権は女神、そしてそれは大地そのものである大地女神、のものであったからです。王は大地女神によって王権を授けられます。よって王は結婚していなければならないのです。そうして考えてみると、「エーディンへの求婚」は、宇宙の支配権をめぐって人と神とが争う物語として捉えることもできます。エーディンという大地女神の支配権を争って、地上に住む人間と、地下に住む神々とが、戦争の代わりにフィドヘルという遊戯で戦うのです。つまり盤上の争いが、宇宙的な規模の争いそのものであるということです。

元々、アイルランドの神話的世界では、人と神とは平和裏に共存しているわけではありません。神々は先住者を追い出してアイルランドを支配したのですが、彼らをさらに戦いにより追い出したのがミールの息子たち、すなわち人間でした。しかし負けた神々は、魔法により作物を腐らせ、人間を害します。そこで協定が結ばれ、人間は地上に、神々は地下に住むこととなったのです。そのようにして緊張した関係である人と神との宇宙的な争いとしてフィドヘルをみてみると、非常に重要な意味を持ったものだと思えてきます。


参照文献

・James MacKillop, "A Dictionary of Celtic Mythology", 1998

・Peter Berresford Ellis, "A Dictionary of Irish Mythology", 1991

・Patricia Monaghan, "The Encyclopedia of Celtic Mythology and Folklore", 2004

・Eoin Mac White, 'Early Irish Board Games', "Éigse", vol. 5,  1945, pp. 22-35, http://www.unicorngarden.com/eigse/eigse03.htm

・「エーディンへの求婚」Osborn Bergin and R. I. Best, 'Tochmarc Étaíne' "Ériu", vol. 12, Dublin, 1938, page 137–196

・「マグ・トゥレドの戦い」[ed.] [tr.] Gray, Elizabeth A., Cath Maige Tuired: The second battle of Mag Tuired, Irish Texts Society 52, Kildare: Irish Texts Society, 1982. http://www.ucc.ie/celt/published/T300010
拙訳:https://note.mu/p_pakira/m/mf413463da04c

・「侵略の書」R. A. S. Macalister, "Lebor gabála Érenn : The book of the taking of Ireland", vol. 4, https://archive.org/details/leborgablare04macauoft/page/128

・「霊の幻視」Myles Dillon, 'Baile in Scáil', "The Cycles of the Kings", 1994 [1946], pp. 11-14

・「クアルンゲの牛獲り」Thomas Kinsella, "The Táin", 1969

・「ブリクリウの饗宴」Proinsias Mac Cana and Edgar Slotkin (ed. & tr.), Fled Bricrenn, Irish Text Society, 2005, https://irishtextssociety.org/texts/fledbricrenn.html
拙訳:https://note.mu/p_pakira/m/m17f81a61e09b

・「フィンの少年時代の功業」Kuno Meyer, Macgnimartha Find, in Ériu, vol. 1, Dublin, School of Irish Learning, 1901, page 180–190, https://celt.ucc.ie/published/T303023/
あらすじ: https://note.mu/p_pakira/n/nfcffe3ee453e

・「イチイの木の下でのフィドヘル」Duanaire Finn vol.2, LXIX, p. 402, https://archive.org/details/duanairefinnbook02murpuoft

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