アンドレアス・フォンダーラッハ『人種の脱構築: 生物学に反する社会科学』➁

はじめにボアズありき

 1890年代以来、アメリカの人類学——それはヨーロッパとは違って、生物学的な人類額と文化人類学(エスノロジー)や比較言語学をも包括している——において、フランツ・ボアズは、指導的な人物であった。アメリカの文化人類学者であるマーヴィン・ハリスは、彼をして、「社会科学の歴史において最も影響力をもった人物の一人」と名づけている。そしてアメリカの科学史家であるカール・デグラーは、人種という門代におけるアメリカの社会科学者へのボアズの影響は、過小評価できないと記している。
 フランツ・ボアズ(1858年-1942年)は、ヴェストファリアのミンデンという街において、ユダヤ人の両親のもとに生まれた。学問的な訓練をドイツでアドルフ・バスティアンのもとで受けた後に、彼は1887年にアメリカに移住している——伝説によれば、その理由はユダヤ人として当時のドイツでは教授職に就く機会がほとんどないと考えたから、ということになっているが、実際にはアメリカ人女性と婚約したことがきっかけであった。アメリカにおいて1896年に、彼はニューヨークのコロンビア大学で講師の仕事を得て、さらにそこで1899年に正教授となった。コロンビア大学の正教授として、ボアズは、まだ生まれたばかりのアメリカの人類学において、重要な地位を占めることになった。ボアズにはカリスマ的な性格があって、多くの弟子たちが彼に引きつけられることになった。そして、彼の弟子たちのうちの何人もを、アメリカの大学において新たに創設された人類学の講座に就職させることにも成功したのだ。
 ドイツの哲学者ヴィルヘルム・ディルタイ(1833-1911年)の精神科学学派によって薫陶を受けていたボアズはまた、アメリカにおける文化相対主義の創始者にもなった。人間の文化は石器時代の狩猟と採集から現代の産業社会にいたるまでさまざまな発展段階を示していくものであるという、当時の文化人類学の世界に流布していた進化主義の考え方に異議を唱えたのである。彼がこの進化主義を否定したのは、彼が文化だけではなくて人種に付随する多種多様な価値観念を自明のものとしていたからである。「文化的なメルクマールの心理的基盤はすべての人種において同一である」、ボアズはこう確信していたのである。ボアズの意見によれば、あらゆる文化は、文化的メルクマールとその内実の特殊な組み合わせによって規定できるのであった。このメルクマールがどれになるかについては、歴史的に偶然的に発生し、必然的な連関によっては条件づけられないのである。あらゆる文化は、それに固有の価値観念をもって、それ自身からのみ理解可能となるのである。
 そうしてボアズは、自分と政治的、学問的な前提を共有するような弟子のみの研究を奨励した。彼の弟子の一人であるアルフレッド・L・クレーバーが証言しているように、ひとが「妥協の余地なく彼自身と同じ価値観を認める」ことを要求したというのである。1915年には、ボアズ一派は、アメリカの人類学協会を支配し、さらにその三分の二のポストを意のままにするにいたった。そして1926年には、あらゆるアメリカの大規模な人類学の学部はボアズの弟子たちによって導かれ、またその大半はユダヤ人であった。
 ボアズは人間の本性について、極端なまでの環境規定論的な理解を主張していた。文化的な環境の圧倒的な力を前にしては、遺伝的な影響などというのは「まったく重要でない」というのである。ボアズは、人種的な区別が実在することを全般として否定するまではいかなかったが、彼はすでに1894年には、人種というものは、個別の文化的な発展上の相違にとって、つまりは(文化)人類学とエスノロジーにとって重要なものではないと述べていた。「文化による説明の試みがやり尽くされないかぎりにおいては、私たちは決して社会的現象を心理学的に説明しようとはしなかった」。こう彼の弟子であるマーガレット・ミードは、記している。1911年のボアズの著作である『未開人の心性』は、アメリカの人類学者のレズリー・スピアによって、「人種的平等のマグナ・カルタ」であるといわれている。
 この本においては、自然的な人類学についてはほとんど扱われておらず、ボアズは、自然な民族の性質を、生物学からは独立したものである文化へと帰している。確かに彼は、ネグロイドには古代的な肉体的なメルクマールがより少なく、彼らが相対的に小さな脳しかもっていない、ということを認めてはいるが、それは彼にとっては、その認知的な性格とは何も関係がないのである。形態上の古代らしさが精神的なそれと同時並行的に出現するという意見に対する彼の重要な反証は、脳の大きさと知性のあいだにはいかなる相関関係もないということであった。この議論は、それは多くの研究によってとっくに反証されているにもかかわらず、「反人種差別」的文献において、今日でもなお部分的によく見られるものである。ちなみに知性と脳の大きさの相関関係は、頭蓋の大きさを基準にすると0.3であり、現代の画像処理的方法を基準にすると0.4である(創刊の比率は、0.0から1.0の値のあいだで測られる)。
 人間の「可塑性」についてのボアズの確信はさらに進んでいって、人間の外見上の姿に及んでいくことになる。色々な国々からのヨーロッパ出身の移住者たちの頭蓋骨を研究するうちに、彼は、さまざまな頭のかたちが、まぎれもなく環境のみによって、次の世代においては中規模のアメリカ人の頭のかたちに順応しているという結論に達したのだ。このボアズの仕事は世界中で引用され、環境による人間の可塑性の証拠として認められた。2001年になってようやく、アメリカの人類学者であるリチャード・L・ジャンツによって、ボアズの結論が指示されるべきものではないことが明らかとなった——むしろデータが証明したのは、頭のかたちが遺伝によって定着し、環境の影響を受けにくいことであり、つまりはボアズが自身のデータを操作したに違いないということがわかったのだ。

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