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母は毒親ではなく、カサンドラ症候群である

今まで「カサンドラ症候群」という言葉の意味を知らなかった。(見かけたことはあるけど、そういう用語なんだろうな程度で調べなかった)
この方のツイートを見かけて、意味が頭の中でつながって、調べていくうちに、「これってもしかして、うちの両親だよな!!」と気づいた。

母親のことを毒親と思っていた自分にとっては最新の気づきになる。
どうして毒親になってしまったのか」など疑問を持ち続けていた。

カサンドラー症候群について2時間ぐらい調べていったら、
結果論からいうと、アスペルガー症候群のパートナーと離婚できなかったことが苦しみの元凶として大きい。

子供を産んでしまったがために、自立する決断がしにくい、離婚しにくい状態に陥った。
夫との関係性に苦しんだ妻がカサンドラ症候群になり、そのストレスが激しくなる。日常的で継続的。
他人とは思えない、壁が見えない、自分の子どもこそ「何を言っても大丈夫な相手」。ストレスのはけ口に、ちょうど良かったらしい。

「春にして君を離れ」(Absent in the spring)をもう一度、読み返してみたい。
現実の二重性を描いた作品。(本当に春なのか、どういう意味の春なのか、というタイトル)
実は、分かり合えないことと優しさがテーマとして存在する。読みたくなった時に読むと、読むたびに認識が変わっていく。

毒親をゆるす、ゆるさないというのは、よく言われていることだけれど、どうしてそうなってしまったのか、というのが分かれば許したり、優しさをみせることもできるのではないかと思う。
毒親に育てられ、苦い思いをしつづけたという過去は残酷ではあると思うが。それは単なるアーカイブなので捨てたい。

重要なのは「母は毒親ではなく、カサンドラ症候群である」という認識をもつこと。それが許すことや優しさをもつことなのではないかと思う。

自分たち兄弟が産まれてから、日常的にずっとカサンドラ症候群で悩まされてきた。そう思うと、母に対して申し訳なさを感じるようになった。
今までは憎いほど苦しめられた存在でしかなかった。
いつか安らかに眠ってくれと思えるようになった。