働き方の多様性について考えたい【前編】
デザイナーとして世に出てまだ2年。
何を偉そうにと思われるかもしれないが、フレッシュな目線だからこそ、なぜこれが世の「普通」なのだろうか、と不思議に思うことがたくさんある。
例えば、(弊社の場合)なぜ仕事がないのに仕事があるふりをして会社で時間を潰していなくてはいけないのか。会社に属して働くってそういうもんだよっていう声は多いだろう。自分の時間と引き換えにお金を得ているのはもちろんわかっている。でも、それと同時にその時間は「わたしの人生の限られた時間」でもある。例えば私が暇を得たら、会社の周りを10分でも良いので堂々と散歩したい。日光と外の風にあたるだけでもその後のパフォーマンスは絶対良くなる自信がある。オフィスやデスクにへばりついてヒマを潰すよりも、きっともっと働き手にとっても会社にとってもプラスになる“暇の潰し方”があるはずだ。言ってしまえば、わたしの場合はその時間のお給料は必要ないので、自由に過ごしたい。会社としても、ただ時間を潰すだけの私に払うお金もったいないよね?と思う。
私は、多様性が謳われている時代だからそこ、働き方の多様性についてもっと考えられても良いのではないか、考えられるべきではないかと思う。
人が100人いれば究極、100人それぞれに合った働き方があるのではないか、と。
今の日本では、週休2日1日8時間労働が基本。
雇用形態によって社会における信用度は変わってくる。私の雇用契約は週5日勤務のパート。
(正社員で雇用されなかったのは会社の事情。私以外の正社員は皆年に2回のボーナスももらっているし、住宅手当も出ているらしい。就労時間は正社員と同じ8時間。土日も上司が出るなら出るし、案件を任されることもあるし、大きな案件でも上司のものを抑えて私のデザインが世に出ていくこともあったりする。お給料は交通費別で手取り平均14万円を切る。繁忙期は、土日が2週潰れることもある。)
やっていることは正社員と同じで専門職なのに、金銭的にも圧倒的な差があり、社会的信用度も低いと考えると、やはりしんどい。でも正直なところ、手取りよりも何よりも、私にとっては週5日勤務が1番しんどい。この"普通"の働き方が向いているかいないかで聞かれれば、きっと向いていない。仕事の内容自体が向いているかいないかは、ある程度長く働いてみないと分からないかもしれないが、働き方は別な気がしている。だから、みんなが週に5日も会社に行っていることは本当に凄いと思う。いくらそれが"普通"だからといって、嫌だと言いながらでも働いている人たちはすごい。
私は、普通に週5日出社して働くことを2年間続けた今、体調を崩してお医者さんから治療のために出勤日数を減らすように言われた。職場の環境もあったのかもしれないが、週5日勤務が負担だという自覚があった。小学生の頃から感じていた感覚なので間違いはない。きっと私みたいな人を「社会不適合者」というのだろう。遅刻もしたことはないし、余程の体調不良でないと休まない。大学の授業もサボったことがない所謂マジメというやつ。でも本当の私は社会の「普通」ついていけていなかったようで、胃と心がやられた。頭では分かっているのに他がついていかないのではどうしようもない。どうやら私は普通の働き方ができないようで、私に合った働き方を探していかなくてはいけなくなった。(そしてたどり着いたのが、前に書いたノマドワーカーだった。)
私は人生の大半を、今の職業であるデザイナーとして過ごすことが当たり前だとは、どうしても思えない。それは、仕事以外にもやりたいことがたくさんあるから。
国内外を旅して新しい世界を見ることも、デザイナーとしての勉強も、英語の勉強も、編み物の練習も、字の練習も、華道や茶道も、ものづくりも、自分の暮らしに手をかけることも(まだまだあるけど、)全部したい。
多くの人は仕事が最優先で、仕事と両立できないような好きなことは我慢しているのだと思う。私は会社の人にこう言われた。「もう大人なんだから」と。
でも私は、自分が本当にやりたいことを突き詰めて、会社に属さずにやりたいことをやっている人を知っている。そしてその人は、自分の人生だけでなく、周りにいる人や地域社会にもとてもいい影響を与えている。自分のやりたいことだけをやって生きることが「大人じゃない」とは限らないんだと思う。
そう考えると、私らしく生きることが自然と仕事になっていけば、こんなありがたいことはないなと思う。
後編へつづきます