小説「光の物語」 番外編 休暇
「きみには休暇が必要だ」
べーレンス家の出来事がひと段落した頃、ディアルはそう言い出した。
ちょうど休みの時期だったのを幸い、ほとんどアルメリーアに有無を言わさず旅行に連れ出した。
行き先は新婚の旅で滞在した湖の城だ。
彼は案じていた。
彼女がこの件で心労を重ねてしまったことを。
ここ最近は表情も曇りがちで、気分も晴れないようだ。
休養してもとの元気を取り戻してほしい。
その一心で湖へ向かった。
しばらくは浮かない様子だったアルメリーアも、旅先で過ごすうちに張っていた気がとけてきた。
憂い顔も徐々に消え、くつろいだ笑みを浮かべることも増えてくる。
動きに活気が戻り、毎朝の散歩であたりを見る目もいきいきしてきた。
ディアルは胸を撫で下ろす思いだった。
「このお庭・・・懐かしいわ」
ある昼下がり、アルメリーアはお気に入りの小さな庭で息をついた。
去年この城に来た時も、彼女は暇さえあればこの庭を訪れたものだ。
「この庭にはいい思い出があるな」
彼女の肩を抱き寄せながら彼は言う。
「あら・・・」彼女は優しい声で答える。「私もよ」
彼が初めて彼女に愛を告げたのがこの場所だったのだ。
微笑んだ彼女の額に彼は唇を押しつけた。
ディアルはあの時の自分を思い出す。
初めて味わう感情に戸惑い、足元すらおぼつかない気分だったことを。
庭では小さな蝶が夏の花を揺らしている。
あの頃と同じように、彼女だけが起こせる甘い痛みを彼は胸に感じていた。
「水が深すぎないかしら?」
「大丈夫」
「魚が足に当たるかも・・・」
「ちゃんとよけてくれるよ」
昨年来た時は水が冷たすぎたが、今は泳ぐのにちょうどいい季節だ。
子供の頃以来泳いだことのないアルメリーアは不安がり、水が深くなったところで彼にしがみついてきた。
「大丈夫だよ、ちゃんとつかまえてる」
子供の頃からこの湖で泳いできたディアルは彼女をかかえて水の中を移動する。
笑い混じりの叫びを上げる彼女に密着されるのは、実にいい気分だった。
夏の湖はまばゆいばかりに輝く。
水から上がった二人はマントにくるまって城に戻り、一緒に入浴して温まる。
午後の眠りから目覚めたあとは、櫛をとって彼女の髪を梳いてやる。
昨年は思いがけない彼の軍務で夏を共には過ごせなかった。
逃した季節を取り戻すかのように、思う存分彼女を甘やかした。
「蛍の洞窟?」
「夏の間だけ見られるんだ。リーヴェニアにはいない?」
「聞いたことがないわ・・・初夏に飛ぶ蛍だけ」
「この蛍は飛ばないんだ。息を呑む眺めだよ。まるで洞窟が光っているようでね」
日が沈んだ後、彼女の手を引いて小さな洞窟へと向かう。
そのいちばん奥には青白い星空のような光景が広がっている。
暗くひんやりした洞窟の天井に無数の蛍がほのかな光を放ち、まるで石が発光しているようだ。
「なんて美しいの・・・」彼女は感に堪えないようにつぶやいた。
「光るのは雄なんだよ。ああして相手を探しているんだ」
うっとりと立ち尽くす彼女を背中から抱きしめる。
「あいつらも幸運に恵まれるといいね」
それを聞いた彼女はくすくすと笑った。
「私はあなたに出会えて本当に幸せ・・・」
彼女がため息混じりにもらす。
「自分の幸運が信じられないくらいよ。今でも時々夢かと思うほど」
「私も同じだよ。夢よりも美しいお嬢さん」
体をあずけてくる彼女に彼は頬ずりした。
幻想的な光を妻と見上げ、ディアルは思う。
この休暇を必要としていたのは自分の方かもしれないと。
アルメリーアの沈んだ様子が心配だったのは本当のことだ。
それに彼女のこの国への心象も気掛かりだった。
仮にも伯爵家であのような事件が起こるなど・・・野蛮な国だと思われても仕方ない。
彼女の父であるリーヴェニア王にその印象が伝われば、隣国との関係さえ変化しうる。
そうした諸々を案じていたつもりだった。
だが・・・。
「リーア・・・」彼女の耳元で低く囁く。
「きみは素晴らしい人だ。きみという王子妃を得られて我が国は幸運だよ」
彼女は物憂げな瞳で彼の言葉に耳を傾ける。
「だが、きみを一番必要としているのは私だ。王城に戻っても、ときどきは私だけのきみでいてくれ」
アルメリーアは首を回して彼を見上げ、小さな子供を見るような笑みを見せた。
「こんな甘えん坊さんは見たことがないわ」腕の中で体の向きを変え、彼を抱きしめる。「私のかわいい人」
その言葉と頬へのキスに彼は目を閉じた。
結局、彼は彼女を取り戻したかったのだ。
輝く瞳で彼だけを見てくれる彼女を。
喜んで彼を甘やかしてくれる彼女を。
二人だけの世界にこもって独り占めにしたかったのだ。
「かわいい?王子の威厳が・・・」
彼女の唇に優しく唇を封じられ、言葉はそれきり途切れた。
蛍は変わらず彼らの頭上で輝いている。
ディアルは彼女を抱きしめてキスを深め、ようやく求めていた休暇に身を任せた。
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